イエスは彼らに言われた。
「わたしについて来なさい。人間を取る猟師にしてあげよう」
すると、すぐに彼らは網を捨て置いて従った。



マルコの福音書 第一章より抜粋














……1999年6月24日 午前4時 ラスベガス……




 ――夜と朝の境の時間。

 空は白じみもせず、かといって黒に染まっていない。
 これを比喩して言うなれば、コバルトの色をした大いなる天幕だろう。
 全てに覆い被さるような、それでいて全てを遠ざけるような天幕。
 天幕に張りつくのは、少し欠けて満月に足りない月と小さな星々。
 勢いを無くして瞬く星々が天に在るならば、地には何が在るのだろうか。

 ――地には、灰色の街が在った。

 明々とネオンを灯した看板が在る。
 フィラメントが切れてちらりとも光らなくなった電球が在る。
 道路を走り去る、鏡のように磨き抜かれた車が在る。
 放置されて、タイヤが赤茶けた色になった車が在る。
 高価そうな寝間着を着て、ホテルのベッドで熟睡する男が在る。
 ボロボロの服を着て、ダンボールと新聞紙のベッドで寝ている男が在る。

 ――灰色の街は、眠らない。

 日の出前だというのに、街には活気が満ちていた。
 コンビニは相も変らず不眠で営業を続けている。
 カジノも寝ずに、カモを食らうための口を大きく開けている。
 道路には多くの車が走り、ヘッドライトが闇を裂く。
 だが、不眠なのは街の賑やかな所だけだ。

 ――眠るのは……。

 街の中心部に対し、外れともなれば人の気配すらなく静寂に沈んでいた。
 暗い街灯。
 錆びた車。
 浮浪者たち。
 ヒビの入った安アパート。
 どれもが暗く静かな夜の幕の下で眠っている。
 こんな時間に起きている者は、ごく僅かだろう。
 何らかの理由で徹夜している者や、早起きをした者。
 それから、夜を生きる者たち。
 起きている誰もが静かに。ただ静かにひっそりと時の流れに身を任せている。

 ――太陽が姿を見せると眠るのは……。

 カツン、という硬い音。
 無音の世界に、不意に音が生まれた。
 カツン、カツン、カツン。
 硬い音はゆっくりと、一定のテンポで進む。
 音の正体は、編み上げブーツを履いた誰かが歩く足音。
 それ以外の音は、一切しない。
 ただカツン、カツンと足音だけが響く。

 ――夜に起き、朝に眠るモノは……。

 電柱についた蛍光灯。
 足音を立てる誰かは、それの真下で歩みを止めた。
 ぼんやりとした光に照らされて、誰かの姿が映し出される。
 黒いコートに黒いブーツ。黒い髪に黒いサングラスをして、肌の色も黒い男。
 黒ずくめの彼はコートのポケットから紙切れを取り出した。
 しわしわになった紙に書かれているのは、どこかの地図。
 どこか。
 それはたぶん、ここ。

 ――……それは、たぶん。

 地図をしばらく確認する男。
 彼は不意に紙切れから視線を上げると、目の前の建物をサングラス越しに睨みつけた。
 十字のマークにステンドグラス。
 中から聞こえる祈りの声。
 それは、小さな教会だった。
 入り口の横には、色の饐えた真鍮に教会の名前が記してある。
 『サン・ジョージ教会』と。
 黒づくめの男は、白い歯を見せて笑う。
 口元だけを笑みの形に歪めて笑う。
 重苦しい獰猛な気配を撒き散らせながら。

 ――たぶん、バケモノだ。

 そして彼は、教会の門を蹴り開けた。






 アメリカ合衆国と一口に言ってみたものの、アメリカの国土は広大。人口は膨大。人種は多種。ついでにファーストフード店は異常な数があるので、例えば『ブッシュ』という名前の人を探したとしても検索で見つかるその数は眩暈を覚えるほどであろう。
 ならば探すものを、特定しやすいものにしてみてはどうだろうか?
 『アーノルド=シュワルツネッガー』で『白人男性』で『映画スター』という条件ならば、たぶん貴方の思い描いた人が見つかることだろう。
 そう。膨大な数から物を調べるならば、条件をできるだけ特定することが望ましいのだ。
 ではこの場所はどこだろうか?
 条件は『カジノ』と『ホテル』、『教会』くらいなものだろうか。
 後は『スラムを』連装させる単語ばかりである。『暗い街灯』『錆びた車』『浮浪者たち』『ヒビの入った安アパート』と言った具合に、だ。
 とりあえずスラムは確定として、問題はここがどの街かということだろう。
 だが、先に上げた『カジノ』『ホテル』という両単語は街の名前を連装させるのに十分な効力を持っている。
 考えてみて欲しい。『アメリカで、カジノとホテルで有名な街』という条件を満たすものを。
 そのような街は数在れど、人が最初に思いつくのは大方この都市であるだろう。

 カジノによる観光資源で年中沸いているネバダ州の都市、ラスベガス。
 つまりここは、ラスベガスの外れに位置するスラムの一角であった。

 観光客が集まる都市の表の顔は、綺麗なビルとネオンに彩られた化粧をしている。
 都市も女性も同じモノだ。人に見られる表の顔は、化粧を塗って見栄をよくしてあるのだから。
 女性は口紅とファンデーション、後はアイシャドウなど。
 都市はゴミの無い道路や瑞々しい生垣、くすみ一つ無いビルの壁など。
 ならば、化粧を取った裏の顔はどうであろうか。
 女性は化粧で化けると言うが、個人差はあれど化粧を取れば随分と変るものである。
 口紅を拭えば血行の悪い唇が。アイシャドウを落とせば細いだけの目が。ファンデーションを落とせば荒れた地肌が、という場合もままあるのだ。
 街も裏路地に入れば酷いものである。
 ゴミに埋まった小さな道。ねずみ色でボロボロの壁。茶色に枯れた草木が物哀しい生垣。
 この大都市ラスベガスのスラムも例に漏れず、閑散・猥雑・剣呑とした雰囲気に包まれていた。
 何年前に電球が交換されたのか分らない、ペンキが剥げて錆の柱になった街灯。
 風に巻かれて擦れ合いながら飛ぶ新聞紙が物哀しい、少し狭い通り。
 剥き出しの鉄パイプに埃が積もっている工場。
 人の気配がするものの、人が住めるとは思えないほどボロボロになったアパート。
 そんな退廃的な雰囲気に包まれたスラムは、夜闇に沈んでいた。
 時刻は午前4時だ。
 真夏ならばそろそろ日の出だろうが、6月の後半ではまだ太陽は地平から顔を覗かせない。気の早い鳥たちが時折わめくだけである。
 光明も無く、静かに沈む街。
 しかしこんな時間にも……いや、こんな時間から起きている人々もいる。
 そんな特異な人々が多いのが、このサン・ジョージ教会であった。
 いや、サン・ジョージ教会が特別なのではない。何故ならば神に仕えるものは、日が出るより早くに起きて、祈りを捧げなくてはならないからだ。
 サン・ジョージ教会は、名を竜殺しの聖人である『聖ジョージ』から頂いている。
 だからだろう。この教会のステンドグラスにはイエス=キリストでも聖母マリアでもなく、槍を手に竜と対峙する聖ジョージが、渾身の迫力を持って描かれていた。
 玄関の真上にあるステンドグラスの上をさらに見上げると、屋根の上にキリストのシンボルである十字架がそびえている。
 ゴルゴダで磔になったキリストのシンボル。
 魔に対する手段として信奉されているそれは静かにスラムを睥睨し、教会を魔から守っていた。
 教会の中から聞こえるのは、シスターたちがあげる朝の祈りだ。
 優雅な歌のように。
 神韻の響きを持つそれは、日の明けきらないスラムを満たしていた。
 ――祈りに、パイプオルガンの音が混じる。
 複雑なハウリングが耳の奥へ浸透する。軟らかな旋律が祈りの声と混じり、静かな祈りを荘厳な賛美歌と変えていた。

 パイプオルガンを演奏しているのは、神父だった。
 色素が薄いことを証明するような銀に近いブロンドと、血管が青く透けて見えるほど白い肌の色。身長は座っているために特定しにくいが、それでもかなりの長身のようだ。
 顔は横に細く、額からすらりと通った鼻筋がより一層その印象を深めている。
 唇は朱を引いたような綺麗な色をしている。目つきは優しげで、ワインレッドの瞳はパイプオルガンで演奏している曲の楽譜を優雅に追っていた。
 着ている服はありふれた黒い神父服。服の袖から覗く手は大きいもの、指は細い。
 その繊細な指は、白鍵と黒鍵の上を緩やかに……しかし比類無きほどの正確さで走っていた。
 神父の演奏につき従って祈りを歌うのは、揃いの修道服を着た7人のシスターたち。各々が手を祈りの形に組み、教会のホールの最奥部……祭壇の上にあるイエス=キリストの像の下で跪いていた。
 祭壇の左右には小さめの扉がある。たぶん神父やシスターたちが住む居住スペースへ続いているのだろう。
 教会の中は小ぢんまりとした外見と違い、意外に広い。
 まず左右に押し開く扉は重厚そうなオーク材でできたものだ。左右に一つずつ十字架が彫られており、それに赤黒色も美しいマホガニーが嵌め込まれている。ワックスでよく磨かれており、顔が映り込みそうなほどの光沢を誇っている。扉は建物の顔ということもあり、念入りに掃除されているのだろう。
 祭壇の傍までは規則的に配置された木製の長椅子が左右に二列あり、その中心である扉から祭壇までの道は一直線に、深紅の絨毯が敷かれていた。
 照明は天井にあるシャンデリアを模したライトと、祭壇に立てられている蝋燭のみだ。
 祈りの雰囲気を出すためだろうか、ライトの光はずいぶんと弱い。
 教会の中はは薄暗く、どこか物哀しさを感じられた。
 左右の座席のさらに横……つまり壁にはイコンが架けられている。
 イコンとは当時の名前でコンスタンティノープル、今で言うイスタンブールを首都としていた東ローマ帝国の美術様式を受け継ぎ、11世紀ごろからロシアで盛んに作られるようになった聖像画である。語源はギリシア語でイメージを意味する『エイコン』で、基本的に立体感を廃して色彩に特化したように描かれるものだ。
 書かれるのはキリストやマリア、天使、聖人、殉教者などだが、この教会に置かれているイコンは聖人が書かれたものばかりを集めたようである。
 印刷用紙で言えばA1版ほどの大きさのイコンは、合計して6枚。
 祭壇から順に『聖ジョージ』と『聖パウロ』、『聖フランチェスコ』と『聖女キララ』、『イエスの聖テレジア』と『聖アウグスティヌス』。
 天井には幾何学模様が刻まれており、弱々しいライトの光を受けて淡く見えている。
 スラムにあるとは言え、全世界に10億人いるとも言われるキリスト教徒の心の拠所である教会だ。世界宗教に相応の美しさを持って、まるで雑草の中に一株だけあるバラのようにスラムに在った。
 祈りは続く。
 いや、それは最早歌だった。
 いつのまにか立ち上がっていたシスターたちは唄い、神父はパイプオルガンを弾く。
 祈りは既に歌となっており、歌は終章へ向けてどんどん盛り上がっていく。

 そして、最後の一小節を唄い終えた瞬間。
 爆発したかのように、正面の扉が猛烈な勢いで開いた。



 薄暗い教会の中へ、外の電柱に引っ付いている蛍光灯が放つ遠慮も会釈も無い光が飛び込んだ。
 光は赤い絨毯の上に光と影を映す。
 ――長方形の扉の形をした光と、大柄な人影を。
 人影の主は、教会の入り口に立ちはだかっていた。後ろからの光で逆光になっているため、詳細な顔つきなどは分らない。ただし性別は男で、ロングコートを着ているということはよく分る。
 赤い絨毯をブーツで踏みしめ、男はまるで光の中から影が現れるようにゆっくりと歩き出した。
 軟らかな布地で作られた厚めの絨毯は足音を吸い込み、僅かに靴底と布が擦れる音がするのみである。しかし男の歩みは力強く、重量感に満ちている。現実の足音はしなけれども、空想の……言わば脳内でのみ再生される足音が聞こえるかのようであった。
 一歩男が進むたびに、ロングコートがひるがえる。まるで影か歩いているようだ。
 男は長椅子が整列する道の真中を歩く。
 彼が一歩を踏み出すたびに空気が重苦しく、息苦しくなっていた。
 既に開け放たれた扉から入って来る光は、男の体をシルエットにしてはいない。だが彼は遠目に見て、シルエットそのものであった。
 まず着ているものは裾が踵まである黒い皮のロングコート。コートの前は左右に開かれており、その下には鎖骨まで覆い隠す、装甲のようなものが見えていた。
 装甲はおそらくは防弾防刃用のものだろうが、かなり分厚い。加えてこれも黒塗りである。装甲は胸の前を強固なジッパーで止めるようになっていたが、それに加えて大人の小指ほどの幅のベルトを2本使い厳重に体に巻き付けていた。さらに驚くべきことに、この装甲にはポケットのみならず弾薬帯までついている。軍隊払い下げの装甲服と男が言い張ったとすれば、それを信じてしまったかもしれないほど剣呑とした物があった。
 下に履くズボンも当然の如く黒い。僅かな光沢があるがエナメルでもなく、ビニールで出来ているわけでも無さそうだ。装甲の前例から考えるに、これも防弾防刃使用の特殊な繊維で編まれた物であろう。
 そしてズボンの下には黒いブーツ。これもズボンと似たような材質であり、その材質を使った目的も同じようなものだろう。靴底のゴムは硬く、意外に薄い。ただしゴムと足の裏に敷かれたクッションとの間のスペースがやや長く取られているようにも感じられる上に、つま先と踵も皺一つ無い。おそらくは鋼か、もっと硬質な板状の物を仕込んでいるのであろう。
 手袋も同じく漆黒の色をしている。これは皮製のようだが、拳の部分には硬質のゴムのようなものが産め込まれているようであった。たぶんこれは、拳を防御するため……そして殴ったときの衝撃を相手の体内に伝え易くするためのものであろう。
 その出で立ち、まさに『黒衣の男』。
 だが、彼は服が黒いだけではなかった。
 装甲服からのぞく顔は黒檀のようであり、角刈りにした髪も口元の短い髭も薄い眉も黒一色である。だが、瞳の色を確認する術は無かった。何故ならば、彼は銀色の縁をしたサングラスをかけていたからだ。
 黒いサングラスのレンズに阻まれて、彼が何を考えているのかを読み取ることはできない。ただ、肌が痺れるような威圧感を撒き散らしていることは確かだった。どうやら神父たちに対して友好的なことは考えていないらしい。
 そびえるような体躯をした彼は道の中ほどに立って、分厚い筋肉に覆われた胸を呼吸に合わせて静かに上下している。
 だが、突然の来訪者に対する神父たちの対応も、また奇妙だった。
 神に仕える8人は一様に押し黙ったまま、祭壇の前で横一列に並んでいた。男に一言も声をかけず、ただ敵意を込めた視線を送り続けている。まるで男が、自分たちの敵だと最初から分っているように。
 神父たちに敵対する者となれば、彼は異端者なのであろうか。
 だがそれでも男に対する神父たちの敵意は尋常ではない。まるで魔女裁判が最盛期の時の異端尋問官が、『魔女』を見つけたかのような形相で睨んでいる。
 しかし男はそれらを意に介していないようだった。
 彼は表情を変えず、静かに立っている。しかし一呼吸ごとに獰猛な気配は強く、鋭く、激しくなっていた。まるで大型の肉食動物が、得物を狩る準備をしているようだ。

 不意にシスターの一人が動いた。
 やおら身を屈めて全身のバネを蓄え、跳躍。男に向かって弾丸のように突っ込むその速度は、人間の瞬発力が及ぶものではない。最速で最短で最高のルートを通り、シスターは男に肉薄する。
 その腕が男の顔に迫り――
 襲いかかるシスターの姿が、まるで絵画のように停止した。
 たおやかな手先にある、剃刀のように鋭い爪。拒食症になったかのように痩せこけた頬。血のような色の見開かれた瞳。そして大きく開かれた口に見えるのは、鋭い2本の牙。
 しかしその牙が、その爪が男に届くことは無い。
 何故ならばシスターの胸元には、銃口が突き付けられていたのだから。
 男の右手には、いつのまにか銃が現れていた。ベレッタ社のフルオート射撃が可能な自動拳銃、『M93R』だ。銃には見た目を気にしていないことがよく分る、大量のオプションがついている。銃口に捻じ込まれた短めのサイレンサーと、トリガーの先についているグリップを取り外した部分に取り付けられているレーザー・サイト。ご丁寧なことに、銃もつや消しの黒で塗られていた。
 薄暗い教会の中をマズルフラッシュが照らした。まるでストロボを焚いたように光は広がり、瞬きほどの時間だけ視界を白く染め抜く。サイレンサーのおかげか銃声はほとんどしない。パスッ、という空気が漏れるような拍子抜けした音がしたが、それより銃弾のガスを利用してスライドを動かして次弾を装填するブローバックの音のほうが大きく聞こえた。
 どうやら銃は3連射に設定されているらしい。一発目の銃弾を心臓に食らって吹き飛ぶシスターに、続いて弾丸が2発叩き込まれた。
 追撃の一発目は左の腹部に。もう一発は左の胸部に。側面へ弾丸の衝撃が加わった彼女の体は錐もみ回転をして、受け身もとれずに椅子に頭から激突した。
 ゴギリ、という鈍い音。首の骨が砕けたか、陥没したか、外れたかの3択。
 そこで絶命したかに思えたシスターだが、彼女はよろよろと椅子の背もたれに置いた手で体重を支えつつ立ちあがる。首は完璧に潰れており、骨のみならず脊髄も潰れているハズだ。それでもシスターは全身を震えさせつつゆっくりと身を起こした。
 3発の弾丸を浴びて、さらに首の骨が折れているのに動く生物。人間の既知の外にある生物は虚ろな目をしていた。
 彼女の体の震えはどんどん激しくなる。最初は震えだったが、ほんの数秒でそれは痙攣に変った。
 びくんびくんと体が脈打ち――それに耐えきれなくなったのか、彼女は肺の奥底から噴き出すような絶叫をあげた。
 聞いた者全てが思い身震いするような悲鳴をあげる『シスターの姿をした何か』。
 悲鳴は肺の中の空気が無くなるまで続き……突然声のヴォリュームが跳ね上がり、彼女の体は炎に焼かれたかのように黒く焦げる。
 焼死体のようになった彼女はそのまま崩壊し、黒い雲のような灰になって椅子へ降り積もった。
 絶叫の余韻が響く中、男は今しがた一ツの生物を葬ったM93Rを神父たちに向ける。
 シスターが死んだというのに、表情一つ変えずに彼を睨み続ける神父たちに。
 渦巻く殺気。張り詰めた空気。
 それを震わす、男の低い声。
 彼は無機質な声で一同に会するモノたちへ挨拶する。
「おはよう、バケモノども」



 ――そして、ショーが始まった。



 まず、残り6人になったシスターのうち、2人がブレイドへ向かって突進して来た。口元に見える牙と色素を失ったような風貌は神父・シスターに共通している。そして最も厄介なのは、その両手にある鉤爪だった。
 触れればぱっくりと皮膚が裂けてしまいそうなほど鋭く剣呑なそれは、両目を刳り貫かんと男へ迫る。その動きは迅速であり、灰となった一人目のシスターのさらに上を行っていた。さらに今度は相手が二人である。
 しかし男は冷静だ。銃を構えて照準をつけ……はせず、3連射をフルオートに切り替えてトリガーを引き絞った。
 猛烈な勢いで弾がバラ撒かれる。真鍮製の空薬莢が数珠のように銃から飛び出した。
 弾幕は飛びかかって来た二人を弾き飛ばし、その後ろで身構えていたシスターの二人をも打ち倒す。
 バチン、と音がして銃声が止んだ。どうやらマガジンは、中身を全て吐き出したらしい。後ろに下がって次のマガジンを待つスライドがそれを証明している。
 ハンドガンとは言え、フルオート射撃の速度を侮ってはいけない。マシンガンにも匹敵する秒間24連射のスピードは、初弾の薬莢が床に落ちるより速くマガジンの中に納まっている35発を吐き出してしまう。一列に飛ぶ薬莢のうち最初に排出されたものが、今ごろになって床に落ちて澄んだ音を立てた。
 今の一瞬でバラ撒かれた弾は、シスターたちに相当の被害を与えていた。
 飛びかかろうとしていた二人は全身を蜂の巣にされ、一瞬で灰になっている。残る二人は足を砕かれ、痛みに悲鳴をあげていた。どうやら骨まで貫通しているらしい。
 男は弾数がゼロになったM93Rを腰のホルスターに収めると、今度は背中から剣を取り出した。刃渡りは90cmと言ったところか。銀色に輝く両刃の刀身は、影さえ真っ二つになるほどの鋭さを持っている。材質は不明だが、その輝きは鋼のそれではない。刀身には不思議な文様が刻まれていた。
 飛び道具が尽きたと思ったのだろうか。男が剣を取り出したのを見た残り二人のシスターが、彼へ突進して来た。ご丁寧にも今度の二人は包丁を持っている。しかも中華料理に使うような肉切り包丁を。
 椅子の背もたれを足場にして、風のように突き進むシスターたち。
 しかし男は動じず、剣を自分の右足のつま先に添えて俯くという奇妙な構えをとっていた。
 鉤爪を振りかざし、シスターが殺到する。

 ――あっさりと終わった。

 旋回する刃が銀色の残光を残して弧を描く。
 跳ね上がった切先が一人目を縦に切り裂き、斬り上げた力を体を回すことで横方向に変えたもう一太刀が二人目の腹を切り裂いた。
 うかつに触れれば指が落ちるほどの鋭さを誇るその刃。切り裂かれたシスターは崩れ落ちて灰になり、剣を振りきった残心の姿勢で制止している男へ降りかかった。
 残るは3人。足を撃たれたシスターと、無傷の神父だ。
 黒いコートをひるがえし、神父へと迫る男。彼と相対する神父は無言のまま数歩後ずさった。
 整った顔には恐怖の色が浮かび、熱でもあるかのように汗がしたたっている。
 強い恐怖。神父はそれを感じているらしい。
 男は歩く。
 神父は後ずさる。
 やがて、神父の背が壁に当たった。
 歩みを止め、白い歯を見せて男は笑う。当然喜んだのではない。わざわざ神父に、己の不利と死の恐怖を知らせるために笑ったのだ。
 その屈辱に唇を噛む神父。彼は歯を食いしばり、炎のような瞳で男を睨みつけた。殺意が糸のように収斂されて、視線と共に叩きつけられる。
 並の人間なら震え上がるようなそれを受け、男は平然と笑っていた。相当の修羅場を潜っているのだろう。彼は剣を一振りすると、再び歩き出した。
 その一歩一歩が、神父が殺される時間をカウントダウンしている。
 神父の顔が恐怖に歪み――
 と。
 軽快な足音が神父の真横……祭壇に向かって左側の扉の向こうから聞こえて来た。
 男は、舌打ちをしつつ横目で扉を見る。新たな敵の登場を予想しているのだろうか、空いている左手でコートの裏を探り、ナイフを取り出した。ナイフの刃は中ほどが膨らんだ笹の葉のような形をしており。柄の尻には毛のような物が取り付けられていた。どうやら投擲用のナイフらしい。
 扉と神父、両方を警戒する男。右手の剣も左手のナイフも、いつでも攻撃が可能だ。
 足音の一つ一つが、徐々に大きさを増している。何者かは扉のすぐ近くまで来ているらしい。
 そして扉が跳ね開けられ……
 出て来たのは、15、6ほどの白人の少女だった。
 薄い桃色のパジャマを着た少女は、壁に背をついて恐怖の表情を浮かべている神父を見るなり声をかけようとして……剣とナイフを持った男に気付き、悲鳴をあげる。
「だ、誰よあなた!?」
「狩人だよ、お嬢ちゃん」
 男はそう言い、全身のばねをしならせて勢いをつけるとナイフを神父に投げた。
 銀色の閃光と化したそれは、空を斬って神父に迫る。
 狙いは眉間。当たれば頭蓋骨が割れ、ナイフは脳をズタズタにするだろう。
 だが神父は、人では避けることすら反応することも難しいその一撃を身を沈ませて回避した。
 鋭い音と共に、狙いを外したナイフが壁へ突き刺さる。神父へナイフが投げられたということより、その音に驚いて少女は身をすくめた。
 その一瞬。少女の横を、神父が物凄い速度で走って行った。
 抜き打ちでナイフを投擲しようとする男だが、彼女が邪魔になって神父へ狙いが定まらない。
 彼は即座に追おうとするも、神父は予想外の速度で遠ざかって行き……
 やがてガラスが割れる音がして、それきり静かになった。
 どうやら窓を突き破ってどこかに逃走したらしい。今から追っても、たぶん発見は無理だろう。何せここはスラムだ。身を隠す場所なら腐るほどある。
 だが全てが終わったわけではない。男はホルスターからM93Rを抜くと空になったマガジンを取り外して新しいそれをレシーバーに叩き込み、スライドを引いた。軽快な音がして初弾が装填される。
 フン、と小さく鼻を鳴らして男は銃を構える。M93Rに取りつけられたレーザーサイトが赤い糸のようなレーザー光を吐き出して、狙いがつけられたものに赤い染みのようなポイントを描いた。
 標的は……足を撃ち抜かれたシスターのうち一人。
「…………っ!?」
 少女はその時になってはじめて、シスターに気付いたらしい。修道着の脚部が血の染みに染まっているのを見て、彼女は貧血でも起こしたのか壁にもたれかかった。
 だが男が銃をシスターに向けていることを理解した瞬間、静止の声を叫ぼうと――

 男の指が数センチ動いた。
 それだけで十分。
 トリガーはハンマーを引き起こし、弾丸の尻を殴りつける。
 銃弾の中に詰まっていた火薬が衝撃で爆発。
 爆発によって生じたガスに押されて弾が薬莢から勢いよく飛び出した。
 チェンバーを抜けてバレルを通る銃弾。
 それはライフリングを通ることによって回転を与えられ、マズルフラッシュと共に吐き出される。
 殺害意志の塊。
 空気を切り裂き飛翔する弾丸は、シスターの胸……心臓の真上に命中した。
 肉に食い込んだそれは自らの勢いによって潰れ、胸の中をミンチにしてからやっと止まった。
 当然、心臓もズタズタだ。

 ――したものの、先に男が銃弾を放っていた。
 心臓を撃ち抜かれたシスターは悲鳴を上げようと口を開き、声を一言も上げることなく灰になる。
 人の形をしたものが崩壊して灰になる様を、少女は目を見開いて見つめていた。
 その場から一歩も動かず、男はもう一人のシスターに狙いを定める。
 呆けたような表情をした少女の見つめる中、弾丸を心臓に食らったもう一人も黒い灰になった。
 それきり、沈黙が訪れた。後に残されたのは黒衣の男とパジャマの少女、それから6人分の黒い灰。他には生きて動くものは何も無い。
 つまり、少女はシスターを撃ち殺した男と二人きりだ。
 そのことに気付いた彼女は慌てて逃げようとして……動揺のせいか足を滑らせて盛大に転倒した。
 咄嗟の事で受け身もとれなかったのか、ゴチン、と景気のいい音がする。たぶん彼女の視界はホワイトアウトしていることだろう。
 少しの間転がっていた少女だが、突然ごろごろと転がり始めた。じっとしているのが辛いほど痛いらしい。
 ごろごろ、ごろごろ。
 少女は痛みを噛み殺して転がる。
 そのまま転がっていると、何か硬いものにぶつかって止まった。
 ぼやけた視界に、黒い影が映る。黒い影はすぐに人の形になった。
 ……あの黒衣の男の形に。
 男は少女に向かい、無造作に手を伸ばした。
 殺される、と思って目を瞑る少女は顎を掴まれて身をすくませる。だが無理矢理頭を左右に向けられただけで、すぐに手は放された。それきり、何もしてこない。
 恐る恐る目を開ける少女。
 男は何をするでもなく、少女をサングラス越しに見つめていた。
 二人の視線が、サングラスを挟んで交叉する。
 男の顔を見上げていた少女は不意に気恥ずかしさを感じ、慌てて起きあがった。
 神父様が冗談みたいなスピードで動くし、シスターさんたちは灰になる。しかも教会で平然と銃をブッ放すような人と二人きりになるし、挙句の果てにはその人と見詰め合ってしまった。
 もう、何が何だか分らない。
「……説明してくれるんでしょうね?」
 理解できないことが多すぎてふっ切れたのか、少女は男に対してどこか偉そうに言った。
 どうやら男はその態度に面食らったらしい。苦笑しているのか呆れているのか怒っているのか曖昧な顔をしばらくしてから、やおら真顔に戻ると淡白に答えた。
「おれはヴァンパイア・ハンターだ。そしてこの教会にはヴァンパイアが巣食っていた。だからそいつらを退治しに来た。それだけだ」
 この説明を聞いて、少女は頭をかかえた。ぶつけた頭はズキズキするが、それとは別の頭痛がしだした。今の説明は彼女の理解の範疇を超越している。
「ちょっとストップ。……今、ヴァンパイアって言ったよね?」
 何故か人差し指を立てて男に詰め寄る少女。
 どうやら彼に対して感じた恐怖より、好奇心のほうが勝っているらしい。ただ単に、恐怖心が麻痺しているだけという可能性もあるが。
「ああ」
 男は短く答えつつM93Rの安全装置をかけ、ホルスターにしまった。続いて剣を旋回させて血糊を遠心力で吹き飛ばし、背中の鞘に収める。
 その様子を見る少女だが、まず何から質問していいのか分らないらしい。疑問に思うことが多すぎて最初にどれを質問すべきか迷っているようだ。
 男は素っ気無く立っている。どうやら律儀にも、少女の疑問に答えようとしているらしい。
「……質問が無いなら、帰るが?」
 ぼそりと言ったその言葉は、何を質問しようか思案していた少女を思いきり焦らせる事になった。
「あの、その、えーと……。とりあえず、あなたの名前は?」
 そういえば名前も名乗っていなかったな。……名乗る必要も無いのだが。
 なにせこの女とは、ここでお別れなのだから。
 心の中で呟きつつ、彼はポツリと自分の名を告げた。
「ブレイドだ」



 ――なんでこうなっちまったんだ。
 ブレイドは愛車である1969年型ダッジ・チャージャーを運転しつつ、知らずに毒づいてしまっていた。ダークグレーの車体が東から昇る朝日を受けて、眩しく輝いている。重厚なエンジン音が不思議と穏やかな音色のように聞こえていた。
 流線型をしたチャージャーは朝日に霞むスラムを走る。まだ朝は早く、人通りは皆無に近かった。稀に対向車が通るものの、路上を歩いている人は見当たらない。
 空には雲一つ無い。今日もいい天気になるだろう。
 だが今のブレイドは、それを感じているほど心の余裕を持ち合わせていなかった。どうしてこうなっちまったんだ、と何度も自分の胸に問い合わせるだけだ。
 さり気なくサングラス越しに助手席を覗いてみれば、そこには例の少女が座っていた。メイと名乗った少女は、楽しそうに外を眺めている。
 何がそんなに楽しいのか。そう尋ねようと思ったブレイドだが、声をかけるのも気が進まなかったので沈黙しておく。彼は無口なのだ。
 目の前の信号が赤に変った。
 いつもなら快調に信号無視をするところだが今日はそんな気分になれず、ブレイドはしぶしぶ車を停止線の上で止めた。ブレーキペダルをを踏み込み、クラッチを踏んでギアをファーストに入れる。
 彼は車が好きだった。重厚で強大な力が自分の思うように動くのは、とても楽しいことだ。
 だが、今日のドライブはどうにも気分がモヤモヤする。それはたぶん、この娘のせいだろう。
 そんな彼の思いに気付いているのかいないのか。少女は外の風景から目を離すと、今度はブレイドをじっと見つめだした。視線には敵意も警戒心も無い。純粋な好奇心のみが感じられる。
 どこかくすぐったさを感じつつ、ブレイドは青信号に従ってアクセルを踏み込んだ。十分に加速するとアクセルから足を放してクラッチを踏み、ギアを手早く入れかえる。再びアクセルを踏みこむと、車体は伸びるように加速した。
 少女の視線は、相変わらず彼に注がれている。
「……何だ?」
 視線のむず痒さに耐えられなくなったのか、ブレイドは少女を見ずに声をかけた。
 彼女は柔らかく笑うと、
「そういえば、ちゃんとした名前を名乗ってなかったなーって思ったの」
 と返答した。
 確かにメイという名前を聞いただけだ。名字も知らないし、それが本名なのかどうなのかも聞いていない。
「あたしはメイフラワー。メイフラワー=レムリアス。フルネームはなんとなく好きじゃないから、メイって呼んでね」
 そう言って人懐っこく笑うメイ。
 彼女は太陽のような少女だった。
 ミルクのように白い肌。ターコイズのような色をした瞳が印象的な顔。ポニーテールに結い上げた、細い金色の髪。そして薄紅い唇。あまり上品さは感じないが、代わりに活動的な雰囲気が満ちていた。
 最初にブレイドに会った時はパジャマだったが、今の彼女は修道服を着ている。その格好を横目で見るブレイドは、心の中で似合っていない、とコメントしておいた。活動的な印象が強い彼女に修道服というのは、似合う似合わない以前にミスマッチだ。
 いや。ミスマッチと言うならば、この好奇心旺盛な娘がシスターだというのが一番ミスマッチだろう。何せ目の前で同僚のシスターを撃ち殺した相手について行くような少女なのだ。
 加えて彼女は一応ブレイドから「あいつはヴァンパイアに噛まれ、自らもヴァンパイアになっていた。治療法は無い。殺してやるのが犠牲者を救う唯一の方法だ」と説明を受けているものの、あっさりと死んだシスターに対しての感情を割り切るというのは如何なものなのか。
「それはね」
 彼女はどこか憂いを秘めた笑いを浮かべ、その問いに対してこう答えた。
「実はあたし、昨日この教会へ来たんだ。だから神父様ともシスターとも全ッ然面識が無いの。そりゃあ噛まれてバケモノになった挙句に殺されるのは可哀相だと思うけどね。……自分でもこんな考え方は冷たいと思っているけど……」
 その答えを聞いて、ブレイドはやっと彼女を『普通じゃない少女』として扱う決意がついた。
 『普通じゃない少女』である。あっさりとヴァンパイアの実在を信じ、ブレイドに興味を持ってついて来る少女。これを普通と言えるのだろうか?
 ため息をついて、彼はハンドルを切った。ウインカーも出さずに急カーブするチャージャーは路面に黒いゴムの跡を擦りつける。
「うわわわわわっ」
 遠心力でドアに押しつけられたメイは慌てて手をつき体を支え、いそいそとシートベルトを着用した。どうやらブレイドは乱暴な運転をするらしい。
「怪我をしても知らないぞ、お嬢ちゃん」
 軽口を叩く彼に向かって抗議の視線を送るメイ。
「ひどいなぁ、ブレイドは」
 そう言ってから、ふと黙り込んだ。
「よく考えればあたしって、あなたの本名を聞いていないんだけど……」
 とたんに苦虫を噛み潰したような顔をするブレイド。
 そんな様子を気にも止めず、メイは彼に詰め寄る。
「ねぇ、教えて」
 純粋な、汚れない、悪意など微塵も無い、好奇心の塊の瞳。
 こういう顔をされると、誰だって断りづらいものだ。
 結局。彼女の無垢さに押し負けたブレイドは、一言で答えた。
「本名は無い。ブレイドという通り名が全てだ」
「えっと。本名が無いってどういうこと?」
 不思議そうに尋ねるメイに対して、ブレイドは突然の苛立ちを覚えた。
 彼は人と自分との間に明確な線を引き、それ以上は踏み込まないし踏み込ませないタイプだ。だが彼女は遠慮無くその線を跨いでしまうタイプらしい。それがどうにも気になる。
 おれのことは放っといてくれ、と怒鳴りたい衝動を押え、ブレイドは押し殺した声で答えた。
「両親はおれが生まれる前に死んだ。施設でもらった名前はヴァンパイア・ハンターになった時に捨てた。だから本名はブレイドだってことさ」
 これで少しは大人しくなるだろう。
 そう考えた彼だが、
「ふーん。ブレイドってのが本名なんだ。カッコイイね」
 というメイの楽観的な声を聞いてクラッチの操作を失敗した。急激にギアと繋がれたエンジンが車を揺さぶった。慌ててクラッチを踏み込むブレイド。車はあわやというところでエンストを免れた。
 むすっとした様子で彼は車を走らす。それは怒っているのか照れているのか、判断が難しい。
 しばらくの沈黙。
「……で、ブレイド。ヴァンパイアって何なの?」
 沈黙を嫌ったのか、それとも本当に疑問に思ったのか。ブレイドの苛立ちが納まったのを見計らい、メイは好奇心をできるだけ押えながら尋ねた。どうやら『露骨な好奇心を見せるとブレイドは嫌がる』ということを学習したらしい。なかなかの順応力だ。
 何度もその質問をされたことがあるのだろうか。ブレイドの答えは、無口な彼の口をついて蛇口から水が出るようにすらすらと出て来た。
「映画やコミックでお馴染みだろう? 血を吸い、噛まれた者を同属にする。銀やニンニクに弱く、太陽に敗北する夜の住人さ。それがヴァンパイアだ」
「十字架は?」
「あれは効果が確実じゃない。キリスト教徒のヴァンパイア以外には無効だ」
 それを聞いたメイは納得する反面、不思議そうな顔をした。
「自分の信じる宗教のホーリーシンボルじゃないと、効果が無いんだよね? それじゃ、イスラム教の場合はどうなるのかな? ホーリーシンボルってあったっけ?」
「そういうことは知らないな。おれは吸血鬼退治の特効薬を使うんだ」
「特効薬?」
 オウム返しに尋ねる彼女へ、ブレイドは腰のホルスターに収めているM93Rを見せつつ答えた。
「ウィスラー特性、ニンニク入り銀のダムダム弾だ。これを食らったヴァンパイアはひとたまりも無い。パッと燃えて灰になる。煩わしい事など何も無い、ただトリガーを引くだけでいい特効薬さ」
 彼は喋りつつポケットから小さな何かを取り出し、メイに手渡す。
「これは……?」
「例の弾丸さ。吸血鬼退治を見た記念の品として、一つやろう」
 言われてまじまじとそれを見てみれば、どうやら本当に純銀でできているらしい。窓から差し込む朝日を受けて、鈍く輝いていた。
「……と言うか、純銀って高価だよね?」
 何かを期待したような顔でブレイドに質問するメイ。
「ああ。結構な値段がする」
 ウインカーを操作しつつ答えるブレイド。それは何気ない答えだったのだが……
「ねぇ。もしかしてあなたって……大金持ち!?」
 とメイに突然言われて、しばらく沈黙してしまった。
「…………どこからそういう発想が出たんだ?」
 半ばウンザリしつつ言うブレイドに、メイは勢い込んで言う。
「だって教会にあった弾痕……あれってフルオート射撃した跡だよね? 銀の弾丸を何も考えずにバラ撒けるなんて、大金持ちしかいないんじゃないの?」
「馬鹿野郎」
 苦笑して、彼はメイの推論をすっぱりと否定した。
「おれは貧乏で困っているんだよ。吸血鬼狩りは何かと入用でな、収入のほとんどが武器弾薬に消えちまう。弾丸や杭にするために銀の延棒を買ったり、ニンニクを仕入れたり、血清を買ったりってな」
「それじゃあ、この車は? なんだか高級車っぽいけど」
 不思議そうな顔をするメイ。事実、ダッジ・チャージャーは結構な値段のする車である。ブレイドは車のハンドルを人差し指でコツコツと叩き、
「まあ、こいつは趣味だがな」
 と答えた。
 二人を乗せた車はスラムを走る。朝日は既にその全容を地平の上へ現していた。
 話題が無くなったのか、二人の間の言葉が途切れる。
 メイは外を見ていた。
 どうやら車は街の郊外へ向かっているらしい。背の高い建物が数を減らし、代わりに廃墟ビルが増えてきている。
「……どこに行くの?」
 不意に不安になったのだろうか。メイは相変わらず無言で車を走らせているブレイドへ質問した。
 ――そういえば無理矢理ついて来たっきり、どこに行くのかも聞いていない。
「行く場所は一つ。おれたちのアジトさ」
 表情を変えず、ブレイドは淡々と答えた。
 どこか怪訝そうな顔をするメイ。彼はそんな彼女に向かって
「安心しろ。もうすぐ到着する」
 と無愛想に言った。






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