聖夜に鮮血の再会を  プロローグ




 12月19日 ロンドン ―――


 パブリック・スクール(寄宿舎学校)寮生 アリス=シェリスティアの日記

 12月19日 曇り

 今日の空は、一日中雷でも鳴りそうな黒い雲に覆われていたまま。
 だから私は、放課後のお茶会を早々に切り上げ、宿舎へと急いでいました。
 その途中、男子の寄宿舎の前で、ちょっとした騒動がおきたのです。
 黒い四頭立ての四輪馬車が、いきなり男子宿舎の前に乗り付けて来ました。
 門限にはまだ時間がありましたが、私と同様に宿舎に帰っていた男子生徒も多く、宿舎の前は一時騒然となりましたが、馬車から降りてきた人物を見ると、男子生徒たちはたちまち関心を失ったように、次々と宿舎の中に戻っていきました。
 その馬車から降りてきた来た人は、確かに我が校の制服を着ていたのですが、私には見覚えのない人です。
 でも、あんな馬車に乗るような人なら、噂好きのルシィの口から一度や二度聞いた事があっても良さそうなものだけど?


 12月20日 曇り

 最近、この辺りで行方不明事件が多発しているから、気をつけるようにとハウスマスター(寮の専属教師)から言われた。
 行方不明事件のことは、ルシィから聞いて知っていましたし、次の外出日はクリスマス休暇です。
 実家に帰る予定の私は、ロンドンから離れますので問題ないですよと応えると、「そう言った油断が、思わぬ事故を呼び込むのですよ」と、改めて注意されてしまいました。
 確かにその通りです。クリスマス休暇が近いので、少し気が緩んでいたのかもしれません。注意しなくちゃ。


 12月21日 晴れ

 ここ数日、はっきりしないお天気が続いたものですから、なんだか太陽を見るのがとても久しぶりな気分です。
 でも、本来こんな日には一番元気なはずのミリィの姿が有りません。
 同室のヘレンも授業に姿を現さなかったので、ハウスマスターに尋ねたところ、二人とも体調を崩して部屋で休んでいるとのことです。
 ですから、放課後二人のお見舞いに行くことにしました。
 部屋を訪ねてみると、二人ともまだ体調が優れないらしく、あまり元気が無いようです。
 カーテンが閉め切られた薄暗い部屋の中では、二人の顔色までは解りませんでしたが、私は、早々にお暇することにしました。
 でも、いつもはお日様の下を元気に走り回っているミリィに、あの薄暗い部屋は酷く不似合いです。
 ミリィ、ヘレン、早く元気になって下さいね。


 12月22日 晴れ

 私ったら、凄い馬鹿。度忘れもここまで来ると、自分でも呆れてしまいます。
 よりにもよって、来年プリフェクト(校内の自治を任された生徒のこと。最上級生から、数人が選ばれる)確実といわれている、デイヴィット=マインスター先輩のことを見覚えが無いだなんて。
 二十日の日記を読み返すと、今でも顔から火が出る思いです。
 そしてまさか、その先輩からクリスマス聖夜のミサに誘われるなんて。
 私、クリスマス休暇には実家に帰ることにしていたので、酷く申し分けなかったのですが、その誘いは断ろうとしました。
 でも、先輩の真紅の瞳を見ているうちに、先輩と一緒にミサに行かなくては、などという考えに傾いてしまい……
 ミユが声を掛けて下さらねば、ミサ行きを承諾してしまうところでした。
 主よ、設楽無い私をお許しください。
 それとミユ、有り難う御座いますね。


 12月23日 曇り

 どうしたのでしょうか。最近、学校内の雰囲気が何か変です。
 毎年クリスマス休暇が近くなると、学校の雰囲気はいつもとは違った活気に満ちあふれるのですが……今年は何かが違っています。
 確かに活気はあるのですが、何と言えば良いのでしょうか。活気を構成する要素の内、何か重要のものがゴッソリと欠けてしまった。そのような感じがします。
 放課後、そのことを相談しようと思ったのですが、皆帰省の準備で忙しいのかアフタヌーンティーに誘えたのは、帰省しないと言っていたミユだけでした。
 ミユは、私の不安を見越したのでしょうか、クリスマス休暇が終われば元に戻るよと、優しく微笑んでくれたのです。
 その時はその微笑みに安心したのですが、部屋に戻り暫くすると、またあの言い様のない違和感が沸き上がってきました。
 一体どうしたと言うのでしょう。明日は、神の愛が地上にもたらされた日だというのに。






   そして、12月24日。
              舞台の幕が開く。




 1990年12月24日 21時26分
 英国 王立国教騎士団本部

 クリスマス・イブ
 それは、神の愛が全ての人々に平等に与えられる日……そのハズであった。
 そう、ここHELLSING機関本部の局長室に、少女の怒声が響き渡るまでは。

「パブリック・スクールだと!!」
 ヘルシング当主であるインテグラは、年に似合わぬ険を含んだ視線と言葉を、目の前の老紳士、ウォルターに叩きつけた。
「ハイ。一時間前に警官隊が、件の学園を包囲。現在、内部の人間の避難はほぼ終了しております。しかし、若干名の生徒及び職員が行方不明。おそらく校内に残されているものと考えられますが」
 幼いながらも、いや幼いからこその、純粋で高密度な怒気に微塵も怯む事無く、ウォルターはただ淡々と報告を続けた。
「生存は絶望的かと」
 ぎり、と、インテグラの口から何かが軋む音が溢れる。
 蒼白になるまで強く握りしめた拳を机に叩きつけると、血を吐くような声で叫んだ。
「全職員に通達。速やかに現場の封鎖、及び生存者の身体検査を行え」
「了解いたしました」
 言ってウォルターは、インテグラの命令を実行すべく部屋を後にした。
 それを確認することなく、インテグラは叩きつけるように机上のインターホンを操作する。
「アーカード!!」
「聞こえている。それで、命令は何だ? 我が主」
「直ちに出撃。事態を迅速に収拾すべし。いいな、迅速に、だ!!」
「了解」
 アーカードの返答と同時に、インテグラは糸が切れたマリオネットの如く、彼女が座るにしては大き過ぎる椅子へ、どうと倒れ込んだ。
「インテグラ様?」
 部屋の扉が開き、ウォルターが再び部屋に表れた。
「ああ。すまないがウォルター、紅茶を一杯貰えないか」
「本日は、ラプサンスーチョンとアッサムの葉の良い物が手に入っておりますが」
「アッサムを。ミルクは多めにな」
「かしこまりました」
 恭しく礼をし、部屋を去るウォルター。それを確認すると、インテグラは机上の報告書へと視線を落とした。
 暫くして、トレイにティーセットを乗せたウォルターが戻ってきた。
 同時にインテグラが、報告書から視線を上げる。
「ウォルター。これによると関係者の避難、各種機関への通報。そしてなにより、我々への連絡がかなり素早く行われている」
 インテグラは一旦言葉を切ると、報告書のその部分を指で叩く。
「だが、余りにも素早過ぎる。これはどういうことだ?」
「そのことで御座いますか」
 ウォルターは持っていたトレイをサイドテーブルに置いてから、インテグラへと向き直った。
「件の学園には、英国諜報部員から奨学金を送られている生徒がおりまして」
「MI6から!?」
「いえ、職員の一人が個人的に行っていたそうです。そしておそらく、クリスマス休暇を利用して会いに行かれたのでしょうな。事件発生当時、彼が学園内に居た事は、無事避難した生徒達の証言から確認されております」
「速やかな避難及び通報は、その者の功績か。しかしウォルター、それだけでは我々への連絡が素早く行われたことの理由にはならんぞ」
「ヘルシングへの連絡は、MI6から。理由の一つは、行方不明者リストに件の諜報部員の名があること」
「どういうこと?」
「その者『死に神をスポンサーに持つ男』などと呼ばれる、諜報部きっての切れ者だそうで。先行突入した警官隊からの最後の連絡を期に、対応不可能を判断。我々へ指揮権の譲渡を連絡してきました。おっと、もうよろしい様ですな」
 トレイの上の砂時計が落ちきるのを確認すると、まずミルクジャーからミルクを注ぐ。
「最後の連絡?」
「はい。ただ一言」
 インテグラから視線を外すことなく、ミルクジャーからティーポットへと持ち替えると、慣れた手付きでカップへと傾ける。
「『化物』」
 ウォルターの左手が流れるように動き、ポットの傾きが垂直に戻る。
 ポットから最後に零れた紅の雫が、赤白色の水面へと真っ直ぐに落ちて行き、その水面にほんの僅かな水柱と細波をたてた。

 ミルクティーの柔らかな香りが部屋に漂う。

「…偶然や幸運もそこまで重なると、何か意図めいたものを感じるな」
「全くその通りで御座いますな。さ、どうぞ」
 一分の隙もない動作で、インテグラへティーカップを差し出す。
「しかし、今宵は聖夜で御座いますれば、この程度の奇跡は起こるものかと」
「奇跡、か……なるほど」
 差し出されたミルクティーを一口飲むと、インテグラは長い溜め息を一つ吐いた。
「そして神は、こう仰しゃるのだな。後は、我々の手で行え。と」
 インテグラの口元に、薄く笑みが浮かぶ。
 その笑みは、若干11歳の少女か浮かべる笑みとしては、何処か――非常に――不似合いな物であった。
「そのためのヘルシング機関で御座います」
 対してウォルターは、刻み込んだ年齢に相応しく、優雅ささえ感じられるほどの洗練された動きで、恭しく頭を垂れる。
「そうだったな」
 軽い溜息。
 再びカップを口へと運ぶ。インド茶のこくのある味と香りが、尖っていた神経の角を優しく削ぎ落とす。
「大した聖夜になりそうだ」
 見上げた窓からは、月が鋭利な光を投げかけていた。




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