渋柿のSS講座(第1回)「読者の目」
実は掲示板のレスで、「ストーリー重視〜」といっておられるので、批評の根本的なところで疑問を持ってしまいました。
私はあくまで、SSを読む立場から様々なことを書いています。創造されたキャラクターを楽しんでいるわけではなく、描かれているストーリーを楽しんでいるのです。ですから、フルメタ世界を楽しむつもりで書いているひとには、きつい内容になっているはずです。
読者にとって、そのキャラクターが魅力あるもの映るかどうかは、「どんなすごい能力(必殺技とか、メカとか)を持っているか」という設定ではありません。「どんなすごいことを成したか」なのです。
キャラクターを含め、さまざまな設定はそれを補助する道具です。が、多くのSSの場合、設定を決めていくことで、知らず知らずのうちに、その設定を説明することになります。
SSを読んでいて、いつも感じることは「キャラクターのためのストーリーになってないか」、という疑問ですね。文章が説明的になるのは、実は創造されたキャラクターの紹介(解説)だからです。
全てのストーリーがキャラクターのために存在していると、そのキャラクターは決して死にません。だから、どんなささいな理由でも、簡単に戦いに参加してしまいます。主人公が死なない(死なせたくない)と思っているから、無茶をさせることもできます。逆にいうと、彼らは決して殺されないような能力を与えられ、どんな巨大な敵と戦っても、せいぜい大怪我をする程度で済みます。
無茶させて、力押しで行けば問題無く勝てます。でも、そんなお話を見せられても、面白くないですね。そこで、SS書きの皆さんにお尋ねしますが、自分の創造したキャラクターに対して、まず「お前、死ぬのは怖くないか?」という質問をぶつけた事は在りますか?。
たいていのキャラクターは「死にたくない」と即答すると思うのです。
創造されたキャラクターの多くは、かなり好戦的です。ですがそれはストーリーがそのように見せているだけで、実際には誰もすき好んで喧嘩なんぞはしたくないでしょう。SSには彼らが、人を殺すシーンも出てきます。しかしここで思い浮かべてください。
あなたが人殺しをするとします。そのためにはどんな精神状態になりますか?。あるいは、あなたが殺されるとします。それはどんな気分でしょうか?。
簡単に人殺しができる人間は、実際には悲しい人ですよ。またそういう人がどのような目で見られるかは押して知るべしでしょう。「戦うBMG」で、かなめが、戦っている宗介に持った恐怖感がそれです。
創造されたキャラクターの多くはしょせん民間人ですから、宗介よりもずっと自由な位置にいます。戦いに参加すべき義務は負わされていません。
「義務」もないのに戦うためには、相当大きな理由が必要ですね。自分が生きて帰ってこられないかもしれないのですから。
今回はここまでにします。渋井柿乃介でした。