渋柿のSS講座(第2回)「文章」
文章を書くのはたいへんな作業で、その意味において物語を書き切るというのは素晴らしいことなのです。とにかく邪魔くささを克服できるだけの忍耐力が必要ですから、文章を書くだけで疲れてしまったというSS書きさんも多いでしょう。
自分で文章を書いていますと、やはり自分では書く内容とか、主人公はどうだとか、結末だとか、そういうことは全部、頭の中でわかっていますから、書いているうちに、だんだんと面倒くさくなってしまうのです。だから無意識のうちに省略したり、書かなかったりするわけです。
無意識のめんどくささは、どんな人にだってあります。たとえば司馬遼太郎さんの傑作「坂の上の雲」が新聞連載されていたときも、読者からの色々な指摘は殺到した、という話があります。その後、自分でも調べつづけて、文庫版を出した後にも間違いに気付いたそうです。その間違いについては、文庫版の後書きに書かれていました。まあ、司馬さんはそれを修正する前に亡くなってしまわれましたが。
渋柿のひとが思うに、文章というものを書く上で、「ひとに読んでもらう」事を考えているなら、「相手を納得させるために」という意識を常に持っておくことが大事だと思います。
「文章力をつけるには、それだけの数を書いておけ」とは、賀東招二さんの弁ですが、確かにそうするうちに書くことに慣れてしまって、面倒くささというものは少なくなるでしょう。
また「文章について考える」「小説の表現について考える」、あるいは「書き終えた文章を読み返して推敲する」「誤字・脱字が無いか調べる」ことも、文章力を上げる一つの手段ですね。
司馬さんの「坂の上の雲」が出たついでに、資料についても、お話ししておきましょう。彼はこの作品のために、四十代の十年間を使ったと言っています。彼の弁によれば、資料集めに五年、新聞連載に五年、文庫版を出すにあたっては、連載中に受け取った指摘点を考慮して書き直した、との事です。
こないだ封切られた映画「ホワイトアウト」の原作者、真保祐一さんも仰っていましたが、物語を書くにあたって資料を集めたり、疑問点を調べたりするのは当たり前のことなのです。真保さんは、そのために図書館を利用したと言っていました。
資料を買い集めるのには限界がありますから、やはり専門的な資料の充実している市立の中央図書館などをあたってみても、損は無いと思います。ここのSS書きさん達の多くは、まだ学生の人も多いようなので、学校の蔵書(古い歴史ある学校などには、たまにすごい資料が寄贈されていたりします!! 大学の蔵書なら相当のものもあるでしょう)なども当ってみるとよいでしょう。
今日はこの辺で終わります。渋井柿乃介でした。