渋柿のSS講座(第3回)「キャラクターと設定」修正版



 今回は少し、キャラクターと設定について語っていきましょう。
 キャラクターの設定は、そのキャラクターの魅力を引き出すためにあるのですが、物語をうまく進めることばかりに気をとられてしまうと、その物語の中で必要な設定ばかり(特技や長所)を考えてしまうようになります。
 すると、どんなに強大な敵であっても、困難を乗り越えることは、そのキャラクターにとっては、なんでもない、普通のことに成り下がってしまうわけです。以前に週旦で述べたことですが、キャラクターが、当たり前に出来ることを書かれても、読者はちっとも面白くありません。

 では長所とはなんでしょうか?。たとえば決断の早いひとを例にとって見ると、彼の長所が上手く機能した場合には、「英断のひと」と誉めてもらえます。しかし、彼の判断が間違っていたらどうでしょう?。彼は、「思慮の足りないひと」になってしまいますね。
 もう、お分かりだと思いますが、長所と短所は結果論に過ぎません。長所は、時と場合によっては短所になります。またその逆に、短所も、長所になる場合だってあるのです。つまり、欠点もよい方向に出れば美点に変わりうる、と言うことです。
 これを踏まえて皆さんに申し上げますが、欠点を書くことを恐れないで欲しいのです。設定に拘る人は、よい方ばかりを描いてしまいがちです。だから、ヒロイック・ナルシズムに嵌ってしまうのです。繰り返しますが、長所・短所は、よい方に出るか、悪い方に出るか、の違いでしかありません。たとえ書き手が、長所(短所)だと思っていても、その美点(欠点)は書き方によって違いが出てくるでしょう。

 魅力的なキャラとは、小説の外へ飛び出しても、その行動が想像できる存在です。みなさんが「フルメタル・パニック」を題材としてSSを書きたい、という思いに駆られるのは、宗介やかなめたちの小説では描かれていない日常部分を、生き生きと想像できるからではないでしょうか? それは、彼らには「小説では描かれていない背景がきちんと設定されており、それにのっとって彼らが活動している」ためです。
 ところが、特技や長所がどういう手段でえられたものなのか、そのキャラはどういう必要性を感じて、いつその能力を獲得したのか、などの背景がおろそかになると、読み手には「ご都合」と映ってしまうのです。

 かつて渋柿のひとの友人、日和佐 潤が掲示板で、「言いたいことはわかるが、書き方で損をしている」と指摘しました。渋柿のひとも「裏を返せば」と述べることがあります。わたしたちはこの表現でもって、「一つのことを、色々な角度から見る」という事を伝えてきたつもりです。
 皆さんには、「一つのことを、色々な角度から見る」クセをつけて欲しいと、わたしたちは考えています。今回はそういったことを申し上げておきます。

 以上、渋井柿乃介でした。


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