渋柿のSS講座(第9回)「キャラの行動理由&作中で人を殺す事」



 今週は正樹さんからいただいた「キャラの行動理由&作中で人を殺す事」を取り上げます。別の場所でも話題になりましたので、その内容とかぶっているところもありますが、お許し下さい。

 ではまず、人間にとって、他者を殺すということはどういうことかを論じてみましょう。
 近年までは、憎しみや欲望―生存欲を含めて―が動機になることが多くて、単純には割り切れず追い詰められた状態の人が殺人を犯すケースが目立ちました。
 ところが最近の浮浪者襲撃などの事件を見ていますと、犯人―10代の少年が多いそうですが―達が述べている動機は信じられないぐらいに、薄い理由である事が不思議に思えてなりません。たとえば、「××に影響されて〜」とか、「社会のゴミの清掃」とか、聞いていて首を傾げてしまいます。
 つまりこれは、本当の理由ではないから、疑問に思ってしまうわけです。多くの犯人は、ぶつけようの無い不満(憎しみ)を処理できず、それを「殴っても殺しても問題ない」―無論、犯人達がそう思っていることですが―相手にぶつけるわけです。
 彼らが後から述べている動機は、付け足しに過ぎません。つまり、殺人行為と殺人の理由が逆になっているのです。彼らは不満をぶつける行為を起こし―あるいは起こそうと決め―てから、理由を考えているのです。

 これを踏まえて、キャラを殺すということはどういう事でしょうか。物語内部においては、「起こっている問題を解決する手段」として取り扱われます。目的はあくまで「問題を解決すること」なのですから、それが別の手段で解決されるなら、そちらを選んでも問題が無いはずなのです。
 では、なぜ殺さないといけないのか。簡単に言えば「話し合いの余地がない」という理由が挙げられます。フルメタで言えば、ガウルンのように、「お前ら皆殺し」が目的であるなら、譲歩を引き出すなんてことは、不可能になりますね。
 戦争で、お互いの理想が違う場合も、結局は殺し合いで解決ということになるでしょう。
 このとき、相手の理屈にも筋が通っている場合(ガンダム0083が相当)、相手は悪としかいいようがない場合(ヒーロー特撮モノなど)とで、敵役の死に関する描写は全く違います。前者の場合は無情な死に方、後者はむごたらしい―しかも派手な―死に方となります。

 経験の乏しい方がヒーローアクションを書くときに陥りやすいのは、おそらくは構築の順番が逆になっているからではないでしょうか。
 経験の乏しい方は、主人公に闘いで勝利させる所から始めてしまいがちですから、勝つためには敵が必要となり、それを殺すことを前提にしてしまいます。もちろん主人公がかわいいので、彼が良心の呵責に晒されないように、敵を「殺しても問題ない」ような相手にしてしまうのです。
 敵がまず出てきて、そこへ「待っていました!」といわんばかりに主人公が現れたらどうなるか。多くの読者は、そこで興を醒ますでしょう。
 このような設定ではじめてしまうから、主人公に「戦う理由」が生まれなくなってしまいます。そこで「自衛のため」とするのですけれども、その場合は「主人公に狙われるだけの理由が必要」ことを忘れてしまうとダメで、これを忘れると、浮浪者を襲撃するような理由―犯人達が言っているような―と何ら変わりがなくなってしまうのです。
 主人公を強者にしてしまうと、どうしても殺人ゲームなりがちなので、その能力を使っても勝てるかどうかわからない、もしかしたら、死ぬかもしれない、というくらいのバランスを心掛ければ、少しは葛藤のある話にはできると思います。

 以上、渋井 柿乃介でした。


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