渋柿のSS講座(第12回)「ヒーローとは何か」
今週はお題の応募がありませんでしたので、「ヒーローとは何かを」について考えてみます。
古くから、どの物語においても、「負け戦に武勇伝はつき物だ」と言われます。負け戦の後には、その同時代人と後世の目がごまかすために、常に「栄光のエピソード」が発明されます。勝ち戦は、全てが上手く行ったわけですから、そのような必要がまったくありません。
大坂冬の陣・夏の陣、日本の真珠湾攻撃、あるいは特攻攻撃も、まさしくこの例に当てはまります。これは「負け戦の武勇伝」なのです。その中には、さまざま英雄たちがいます。たとえば、真田幸村、後藤又兵衛、木村長門守…、あるいは山本五十六…、数え上げればキリがありません。
彼らの活躍、あるいは可能性を描く事によって、読み手を満足させているのです。だから読み物としては、たいへん面白いものも出来あがります。
一方で勝者の側の英雄はどうなるでしょうか? まずはナポレオン一世やアレクサンダー大王などの、英雄叙事詩の主人公たちを取り上げます。最近の映画では「ジャンヌ・ダルク」があります。
ジャンヌ・ダルクは16歳にして立ち、一軍を率いて敵を各地で破り、フランスの独立を勝ち取った英雄です。しかしその終幕は、敵に破れ、味方にさえ裏切られ、魔女裁判にかけられて火あぶりになりました。
アレクサンダー大王はギリシア、エジプト、ペルシアを統一した英雄でしたが、最後には「蚊に刺されてマラリアに感染して」亡くなっています。また、欧州に一度は覇権を立てたナポレオン一世も、晩年は不遇でした。
無事に晩年にいたった英雄はどうでしょう? ここでは徳川家康とロシア革命の指導者となったレーニンを引き合いに出しますが、彼らはいわゆる立志伝型の主人公に当てはまるのではないでしょうか。苦労の末
に勝ち残り、その結果として英雄に祭り上げられた人々なのです。
ですから立志伝型の主人公達には、たいていは平凡で穏やかな晩年が待っています。その後のエピソードなぞは、物語にすら盛り込まれない場合がほとんどです。
本当の英雄とは、きっかけを作る人のことを指すのだ、と私は思っています。だからきっかけが必要であったその瞬間には、最も大事にされますが、全てが終わった後ではぼろぎれのように捨てられてしまう運命が待っています。
英雄とは死に至るまでが劇的ではないか、と思われてなりません。
そうではない英雄、すなわち「武勇伝」や「立志伝」のような主人公たちは、「作られた英雄」であるために、「死」は予定調和で終わってしまう、と考えられます。
とくに「立志伝」型の主人公は、たいていはハッピーエンドで終わってしまいますので、よほど上手く物語を進めないと読み手に飽きられてしまう、という事には注意しなくてはなりません。
以上、渋井 柿乃介でした。