渋柿のSS講座(第15回)「脇役の使い方A」


 ドラマが、人と人とのふれあいの中で進むとすれば、場面の一つ々々を作るにはあなたの創造したキャラクター達に動いてもらわなくてはなりません。脇役を動かしながら、どのように場面を作っていくかを考えて見る事にします。

 物語の描写とは、説明をする、という事ではありえません。たとえば、あるキャラクター同士が愛し合っているとして、ただ「愛し合っていた」とだけ記すに留めたり、説明したりしているようでは、読み手の感性には訴えかけることは出来ません。
 作品を「魅せる」ものに仕上げるには、実際に愛し合っているシーンを作り、それを相手に見せるために、どのような表現を選ぶかが大事になってくると思います。つまり、いかにキャラクターを動かすか、が作品の出来、不出来を定めていくと考えられるのです。
 では、作品の進行上、必要な知識を読み手に与えなくてはならない場合は、どうでしょうか。いちいち解説を加えていたのでは、文章が単調になってしまうのです。一度や二度の解説ならともかく、三度、四度と
続けてしまうと、読者がついていけなくなります。
 このような単調な文章を解消するためには、どうすればよいでしょうか。
 思い浮かべてみれば、誰しも自分の知らないことは疑問に思うものです。皆さんも作品を書くに当って、疑問に思ったことは、調べたり、尋ねられたりしたと思います。疑問に思う、という事では、読者もまた同じですから、「脇役に、読者と等身大のキャラを用意し、物語に入りやすくさせる」ということを考えてみるのも良いかと思います。

 「フルメタル・パニック」の短編「自慢にならない三冠王・大迷惑のスーサイド」から、実例を挙げましょう。
 冒頭で、小野寺 孝太郎が疑問に思ったことを、相良 宗介に語りかけるシーンがあります。孝太郎が疑問に思い、問いかけることによって、宗介の持っている拳銃を解説しているのですが、ここで、「問いか
けをさせる」という手順を飛ばしたうえで、拳銃の解説をしたらどうなるかを想像してみましょう。
 すると、ライトな書出しにもかかわらず、そこには描写がなく、ただ調べた文章が並んでいる、ことになるかと思います。理想を言えば、「調べた事を、描写する」のは、そのまま書き連ねるのではなくて、「大
迷惑のスーサイド」で用いられているような手順を踏んでみることです。
 この役目は、主人公に負わせても良いのですが、「フルメタル・パニック」のように、主人公が専門的な知識を持っている場合には、読者と主人公とを同列に扱うことが出来ないので、「読者と等身大のキャラを
用意し」てあげるのが一番です。
 「大迷惑のスーサイド」では、小野寺 孝太郎がこの役目を負っています。ここで例を引いたやり方以外にも、さまざまな手法があるのですが、調べた事をただ書くよりは、調べた事を元にしてどう描写していくか、を考えてみるのも上達への早道ではないか、と思われます。

 今日は、この辺で終わります。渋井 柿乃介でした。


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