渋柿のSS講座(第17回)「葛藤」の注。



 泥皇さんがレスで仰った通り、確かに「より効果的に見せる方法のひとつに、葛藤がある」のです。
 それを強い調子で言ったのは、提供されたお題が「殺される悪役−ライバルとか、敵役という意味だと思いますが−をもとに、如何にしてキャラクターの深みを作るか」になっていたこと、オラクルの作品群に見うけられる、ある傾向を引き出してみる、という理由がありました。

 第17回の内容が対象になるのは、「物語のはじめと終わりで、何かが変わっている」タイプの作品です。
 このような作品の場合は、敵役なりの行動原理が必要になってきます。敵役なりの理屈があり、それが主人公を悩ませることによって、以前とは違う存在に生まれ変わるわけです。いつぞやに講座で言った、「あれもあれば、これもある」という受け止め方をしているためです。

 私は、オラクルの作品にスケジュール表が設定されている以上、「時間軸を追う」こと−つまりは、物語のはじめと終わりで、何かが変わっている−として、取り扱っています。
 前回の「葛藤」で言ったことは、これとは違うタイプの作品−たとえば「アンパンマン」のような−には、必ずしも当てはまりません。レスでの発言の通り、「出せばいいってもんじゃない」んです。
 これは「AにはAに向いた話、BにはBに向いた話」なので、自分の作品に葛藤を取り入れるときは、なぜ葛藤が必要なのかを考えてください。
 葛藤があるからといって、おもしろい話になるかは別問題です。

 「時間軸を追う」として、オラクルのSSを見た場合、単なるやられ役を「引っ張って」しまっている作品があります。どうせ「引っ張って」しまうのなら、きちんとした敵役に仕立てあげた方がいいに決まっています。やられ役を「引っ張って」しまうことは、その物語とって意味がありません。
 では、何故やられ役を引っ張ってしまうのか、それは主人公がアンパンマンであり、戦う相手がばいきんマンだからです。最初から勝たせる事を前提に物語を作ってしまうからです。
 主人公の存在が二つ、三つ抜けていますから、勝つのは当たり前ですよね。でも、アンパンマンは、ばいきんマンを懲らしめますけれど、決して殺したりはしません。

 思い出してみてください。あなたの作品では、敵役を殺さないですか? あるいは、殺された仲間が生き返って来ますか? 敵役が改心して仲間になりますか?
 人間が人間を殺す物語では、あくまでお互いが等身大である事が条件です。相手はばいきんマンじゃないだろうし、主人公だってアンパンマンになれはしません。
 それが違うように感じられるのは、記述が主人公に寄っているためです。脇役→葛藤と講座を進めてきたわけは、他の登場人物のレベルを上げ、主人公のレベルを下げる、言いかえれば、全ての登場人物を等身大にする−書き手さんの中で、です−、ことを考えてもらいたかったからです。

 フルメタで言えば、ガヴルンは、宗介にとっての成長因子の一つですから、これを上手く立ちまわらせないと、クルーゾーが評したように、宗介はいつまで経っても枠に縛られたままですよね。
 宗介が「変化しない」なら、「フルメタル・パニック」という作品が、似た話の繰り返しになってしまいます。似た話ばかりの作品は陳腐ですから、いずれは読者に飽きられるに違いありません。葛藤させて、乗り越えさせるのは、物語に変化をつける、ということなのです。
 宗介がガヴルンを超克することによって、「渡り鳥に、何をいう!」などのセリフが登場するようになります。周りのキャラクターも、宗介の評価を変えるでしょう。
 もちろん読者も、ですが。

 さて、柳生さんの問いに答える前に、あなたはどのような作品を書いてみたいのか、ということを聞いてみたいです。私が前提にしている条件でお話しますが、柳生さんの作品で、私の言ったような葛藤が必要になるかどうかを考えなければなりません。
 主人公が、敵役に勝つ−乗り越える−のは、主人公を成長させることが入っていますから、「どのように勝つか」だけが目的ではなくて、「どのように悩みを解決するか」も対象になります。
 この場合は、クライマックスを派手なもの−カタルシス−にするかどうかは、作品の構成や展開が関わってくることなので、結末をカタルシスにする意味について考えて欲しいです。
 物語にとって、なぜカタルシスにせねばならないのか、です。これは色々な小説、漫画、映画などを見ることで、参考になるのではないか、とは思いますが。
 ついでながら、物語が完結したあとに続きを書くつもりなら、カタルシスの度合いは決まってきますので、注意してください。

 以上です。渋井 柿乃介でした。



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