渋柿のSS講座(第18回)「○人称の話」


 今週は正樹さんから戴いた「一人称と三人称の文章」に付いて考えていく事にします。
 そこでまず、一人称と三人称について考える前に、辞書を引いてみました。それによると、一人称とは自分自身を指し示す、三人称は自分と相手以外の人や物事を指し示す、と書いてありました。

 ここから、「一人称と三人称の文章」を考えてみると、語り部が物語の当事者であるのか、あるいは外部の第三者であるのか、その違いではないか、と思われるのです。
 この違いの部分によって、文章のかたちが決まっているのでしょう。ただし、私には一人称の文章を問われると、回顧録しか思いつかないのですが。
 一人称の文章では、物語の中から1人を選び出し、その実体験に基づいて、物語の順を追って述べるかたち、を取っています。その人間の感情、喜び・悲しみなど、こころの動きを中心にして文章の表現が行われているのです。
 この文章のかたちでは、叙情―リリック―が前面に出るため、ほんのわずかな出来事を大げさに描いても、あまり目立ちません。その出来事を語り部が見ているおかげで、視点を一定に保つ事ができ、そのまま書き進めても混乱を招く事がないからです。
 ただ、当たり前の話ですが、語り部の主観・体験に基づいている以上、その語り部が見ていないことや、知らないことを、物語に記すことが出来ない、という厳しい制約があります。

 この部分を指して、思っているよりも難しいとする人もいますが、初心者の方には、むしろ一人称の方を奨めたいです。というのは、キャラクターの感情へ立ち入ったり、キャラクターに入れ込んだりする―叙情的になる―ことが多いので、三人称だと視点を一定に保つ事が出来なくなってしまうからです。
 視点を意識できない場合には、文章が混乱してしまいます。客観的な評価が出来なくなってしまうので、そうなるよりは一人称で描き、語り部から見えている風景を意識するところから始めたほうが、良いように思えます。

 三人称の文章は、外部の第3者が一つの出来事を評価する、ところから始まっている、と思います。先の例でいうなら、ひとつの事を取り上げて、大げさに書くことが出来ません。
 物事をありのままに書く必要がありますから、キャラクターの感情へ立ち入り過ぎたり、キャラクターに入れ込み過ぎると、バランスが崩れてしまうのです。
 その意味では、叙事―エピック―的なところがある、と考えられます。
 三人称だと、キャラクターよりも起きている事件の方が対象になってしまいますから、ひとつの事件に対して、複数の見解が必要になります。「あれもあれば、これもある」という受け止め方は、実は三人称でのお話なのです。

 以上を踏まえて、皆さんに、もう一度考えて欲しい、と願うことは、あなたが描きたいのは「キャラクターである」のか、それとも「物語として取り上げた事件」なのか、です。その上で、自分が選んだ文章のかたちについても、変わってくるのではないか、とも思えます。

 以上、渋井 柿乃介でした。



戻る