渋柿のSS講座(第19回)「伏線の引き方―張り方―」


 今週は、チャットで日和佐さんからいただいた「伏線の引き方」について考えていきます。
 伏線とは、「あとあとの用意として、前もって、それとなく述べておく事柄」を言います。伏線を引く―張る―とは、それを実践する事です。
 この伏線について、もっとも参考になる読み物、それは、推理小説に代表される、「謎解き」の類のものだと思っています。直木賞作家の陳 舜臣さんは、お書きになった小説の中で、すぐれた推理小説作家の条件に、「前後のつじつまを、うまく合わせること」と仰っておられます。
 私には、この「前後のつじつまを、うまく合わせること」こそ、伏線を考える上で大事ではないか、と思われてなりません。「前後のつじつまを、うまく合わせる―伏線を上手く作る―」には、書き手さんが「過程」を考える事、つまり構想能力が左右します。
 「方程式の分解」を思い浮かべてもらえれば、わかると思います。そこに記されている数字の羅列は、一見して答えとなんの関係もないように思えますが、「答え」を説明するためには「過程」が必要になるのです。

 フルメタル・パニックの長編「揺れるITB」に例を求めましょう。マッカラン大尉が、ビンゴゲームで勝ちあがり、テッサに祝福のキスを貰うシーンがありますが、このシーンはなんのために存在するのでしょうか。
 物語を読み進めるとわかりますが、これは、テッサの感傷を誘うために用意されている伏線なのです。いずれにしろ、マッカランが死ぬ事でテッサに感傷が起こるのですが、このシーンが有ると無いとでは、その効果がまるで変わってしまいます。
 マッカランの好印象をあらかじめ記しておく事で、テッサがマッカランに対して感傷を、読者にもより感じ取らせる事が可能になっているのです。
 ビンゴゲームのシーンが無くとも、テッサには感傷が起こるでしょう。しかしマッカランに対してなじみの薄い読者には、「ミスリルの誰かがやられた」程度のインパクトしかありませんし、テッサが持った感傷に対して、いまいち理解がしにくくなります。
 ビンゴのシーンは、一見して無駄と思える部分です。が、このシーンによって、テッサの感傷のシーンが読者には容易に感じ取れる事ができ、読者は物語の筋からそれて、寄り道をする事が出来るのです。
 付け加えて言うなら、あのシーンでは「宗介に対するテッサの期待」に焦点が当てられています。マッカランに意識が行き過ぎないように工夫しているのです。もしあそこで、宗介がからまなければ、シーンのメインキャラはテッサとマッカランの二人になるでしょう。
 すると、マッカランが今後何かの鍵を握るキャラとして、読者に感づかれてしまうのです。

 伏線とは、物語の筋とはなんの関係もないように見えますが、その実、お話の効果を高めるためには必要なものです。そのときが来るまで「伏線だ」と思われるようではいけません。「真相につながるヒントを、いかにさりげなく出せるか」が鍵を握ります。
 オラクルの書き手さんの作品には、そういう「必要な無駄」が欠けているように感じ取れ、「話が一本道だ」という不満を抱えてしまう事になります。

 渋井 柿乃介でした。



戻る