ORACULAR‐WINGS■ |
■煌くクロス・トゥ・ダスト■ |
9月20日 新宿 1000時(日本標準時間) 『月日は人を待たず』と言うが、実際にそうだと思う。ふと気がつけば、すでに9月の下旬だ。あれほどうるさかった蝉の鳴き声も途絶え、響き渡るのは風の音のみになってしまった。 少しもの悲しくも感じるが、じきに紅葉する木々で山が賑わうだろう。……ただ、『じきに』とは言ってもいつ紅葉がはじまるかは分からないのだが。 「やれやれ。秋だってのに、やたらと暑いな」 おっと。思わず、考えていたことを声に出してしまっていた。 ……そう、今年は残暑が厳しかったのだ。真夏日よりとは言わないが、それでも大気は7月ほどの気温を保っている。 オレンジ色のTシャツに、ジーンズのズボン。それが今のオレの格好だ。去年の同じ頃には長袖を着ていたものだが、今年はまだ長袖は出していない。 べつにスボラなわけではないんだけどな。暑くて、まだ衣替えをする時期ではないというだけさ。 「地球温暖化か……。世界は大丈夫かね」 そんなことを呟きながら、オレは新宿の街をぶらついていた。 だが……ぶらついていたと言っても、大した用事があるわけではない。 好きなのだ。人の流れを見るのが。 街を歩く人間は千差万別。 優しそうな人、殺気立った奴、疲れた人、元気な人。老若男女が無秩序に入り混じる。 髪を染めた者がいる。ピアスをつけた者がいる。顔に傷のある奴がいる。 そして……無個性な顔というものは、どこにも見当たらなかった。 入り混じる一人一人には、『今までの人生』というドラマがあるのだ。『経過』が違う人たちの顔が、同じであろうはずも無い。 人生というドラマ。 それに思いを馳せるだけでも、暇をしているという気分にはならなかった。 短い人生なんだ。こんなことでさえ、大切な思い出になる。 大切な、かけがえの無い思い出にな。 それに……稀だが、この見知らぬ通行人からドラマが始まることさえあんだ。思えばオレの人生自身、とある通行人にであったことでドラマが始まったようなものだしな。 その通行人の名は、巧と言った。街を当ても無くさ迷っていたオレに声に声をかけてくれた人だ。今はどこかの外国に行っているが、月に一度旅先から絵葉書を送ってきてくれる。 今月送られてきた絵葉書に書かれていたのは、大きな遺跡だった。レンガを積み上げて作ったそれは、砂漠に鎮座するかのようにそびえている。おそらくはシュメール人の作った都市だと思うのだが……どこの建物なのかはよくは分からない。先月はエジプトにいたのに、今月はメソポタミアか。忙しい人だとつくづく思う。 昔の遺産が書かれた絵葉書。それを見るたび、オレの心はなんとも言えない感慨に満たされた。 自分が大切に思われていることへの嬉しさがそうさせるのか。 それとも、巧さんと一緒に旅が出来ないということに対する苛立ちがそうさせるのか。 まあ、悩んだところで答えが出るはずも無いのだが。それは両方が間違えであり、両方が正解なのだからな。 大した人だよ巧さんは。このオレを、こんなに惹きつけることができるんだから。 さて、内心のいろいろな思いを覆い隠して、時が来るまでは演じるとするか。 『皆を笑わすピエロ』という大役を。 そして、ピエロの影に隠れて演じるとしよう。 『巧さんの息子を守る役』……つまりは、『橙色の右衛』を。 ……ああ、そういえばオレの名を言ってなかったな。 不良たちの間での通り名は『オレンジ・ライト』。 本名は小百合葉……。 小百合葉兵衛だ。 新宿 1010時(日本標準時間) 「さぁて、どうするかな……」 人の流れが増えてきた歩道を歩きつつ、オレは思わずつぶやいてしまった。街で人の流れを見るのが好きなのだが、こうも人が多いと自分のペースが乱されてしまうような感じを受けるのだ。しかし悲しいかな、買い物をして時間を潰すほど金を持ち合わせてはいない。 苦学生には、相応のサイフの中身。憂鬱な気分になってしまう。 別にバイトをしてもいいのだが、自分の時間を制約されるという事がオレは何より嫌いだった。 我侭というわけではない。自分の人生の貴重な時間を他人に使われるのが、嫌なだけだ。……だけど、それを人は我侭と言うのかもしれない。複雑だよな、人間の心って。 「まあ……17の若造が考えたところで、答えは出ないか」 オレはそう結論を出すと、自分でも気付かぬうちに止まっていた足を再び動かし出した。 考えの趣旨は、コロコロと変る。 友人なら、どう言うだろうか。それが気になり、思考が回る。 『私に言わせれば、それは我侭だな。金が欲しいため、望んで働くのだろう?』。 目を瞑れば、彼の声が聞こえて来るかのようだった。 彼はリアリストのように見えて、実際はロマンチストの男だからな。普段は夢も希望も無い、あるのはただ結果だけの話をする。まったく……そのおかげで、女子の人気が低いことが分かっていないのかね? 彼女には不足していないだろうが……友人としては、多少なりとも女子の評判をよくしてやりたいとは思う。 なにせ、オレまでリアリストのように見られるのだから。 そうすると困ったことに、女子に煙たがられてしまうのだ。 『蛇蝎の如く嫌う』とまではいかないのだが……誰かに嫌われるというのは、精神衛生上よくないことだろう。 ……まあ、だからといってモテたいとは思わないんだけどな。ただし女性に興味がないように振る舞うと、やれ『同性愛野郎』だの『むっつりスケベ』だのと言われた。だからオレは、『モテたいけどモテれない三枚目』を演じているわけだ。 自分でも思う。難儀な性格だと。 もっと気楽に生きたいと思ったりもするのだけど……人はオレを、『気楽でいいな』と言うからな。困ったもんだよ。 いろいろな事を考えながら歩いているうち、いつの間にか人気の無い路地裏に入っていた。オレはどうも、本能的に人の多い所を避けてしまうらしい。 ここら辺は治安が悪いところだ。最近、事件も多発しているし。あまり長居をすると、疲れる事にもなりかねないな。 そう思って大通りに出ようとしたオレの耳に、突然物が壊れるけたたましい音が聞こえてきた。そして怒声。 次の瞬間、すでに体は走り出していた。疲れる事に首を突っ込むのは嫌だが、誰かが怪我をするのを止めない事の方が嫌だから。もしケンカなら、止めなくてはならない。 路地裏を走るにつれ、物音は激しくなってきた。人が吹き飛ぶ音が主なようだ。微妙に激突音が違うあたり、戦っているうちの一人は相当な腕を持つ投げ専門の格闘家だろう。 「ふっ!」 曲がり角の向こうからかけ声が聞こえた後、悲鳴が響いた。そして激突音。 間違い無い、投げ技だ。音から判断して、見事に脳天から地面へ叩きつけられたようだ。そんな酷いマネをやったのはどんな猛者かと思い角を曲がると……。 「どうしたの、あんたたち? あれほど偉そうな口をきいておいて、これで終わり?」 死屍累々と横たわるヤクザたちの向こうに、一人の少女が立っていた。 小柄な体で、茶色の髪を無造作に流している。水色のブラウスに白いスカート。一見すると儚げな印象なのだが、その目つきには常人とは違う鋭さがあった。 ただ、かわいい事には変わりがない。死屍累々としたこの場にいるのは、とても不似合いに思えた。 「つ……強え……」 彼女の周囲で伸びている男が、呻く。何をされたのかは知らないが、息も絶え絶えといった様子だ。 だが、それも当然だろう。投げ技というものは、実戦でこそ威力を発揮するものなのだから。 理由は簡単。マットに叩きつけられるか、コンクリートに叩きつけられるかの違いだ。これだけで、受けるダメージは桁違いになってくる。 と、倒れている男の内一人がこっそりと懐からナイフを取り出した。彼女は気付いていないようだ。男がいるのは彼女の後ろだし、別の男を警戒しているようだから。 オレは有無を言わさず、走った。そして……今まさに起きあがり彼女を刺そうとする男の胸板を踏み付ける。 「がはっ!?」 横隔膜の上を踏みつけられ、男の呼吸が止まる。 「HA!」 鼻で笑って、オレはそのまま足に力を込めた。 ポキペキボキバキ。 「がふぁぁあおおぉぉぉぉ!」 肋骨が砕ける鈍い音と、肺の中に残っていた僅かな空気で悲鳴をあげる男の声が響く。 多少酷かったような気がするが……まあ、いいだろう。大人数で女性を襲うのだから、このくらいの罰は受けてしかるべきだ。 「やれやれ……。最近のヤクザは、質が落ちたなぁ……」 気絶した男から足をどけて、オレは溜め息混じりにつぶやいた。 仁侠道というものもあるんだし、もっと礼儀正しくすればいいのに、と思う。まあ、暴力で飯を食っているような奴らにそんなものを求めても無駄かもしれないけれど。 「……無様ね」 男たちに反撃する余力が無い事を確認して終わった彼女が、周りを見まわしながら言った。 「まあ、1ダースいくらのザコだからな。やられ役は無様に散るものと相場が決まっているだろ?」 首をコキリと鳴らし、意見を言うオレ。彼女は苦笑すると、伸びている男を踏みつけてオレの側に来た。 「とりあえず……助かったわ。ありがと」 「別にオレが手助けしなくても、大丈夫そうだったけどな」 男が奇襲をしようとする気配は、彼女も気付いていたようだ。オレが走り出した瞬間には、彼女はすでにこっちへ振りかえっていたのだから。もしもの場合を考慮してやったことなのだが……本当に必要なかったのかもしれないな、オレの援護は。 しかし、これだけの人数を相手にして息も切らさないとは……。何者だ? 「どうしたの?」 「いや、別に。それより名前はなんていうんだい?」 ニカッ、と笑って彼女に尋ねてみる。軟派な奴、と言われるかも知れないが……これほどの猛者だ。名前くらいは知っておきたい。 多少逡巡した様子だったが、彼女は微笑すると さいどうくれは 「私は才堂。才堂紅葉よ」 と礼儀正しく自己紹介してくれた。 「ところで、あなたは? 見かけない顔だけど」 「オレは小百合葉兵衛って言う、ただの高校生さ」 『ただの』という点を強調して、オレは名を名乗る。彼女……才堂はニヤリと笑うと、 「ふ〜ん……。『ただの学生』か。よろしくね、兵衛君」 と左手を差し出した。 オレもそれに答えて、左手を差し出す。無造作に握手しようとしたところで……天地が逆転した。下に引っ張られたような感覚があったから……たぶん、柔道で言うところの『浮き落とし』をかけられたのだろう。凄まじく速い体捌きと相手の重心を自在にコントロールするセンス。そして何より経験が必要になる、ハイレベルな技だ。 頭上にコンクリートの床が迫る。このまま叩きつけられたらオレでも死ぬな。 「ふっ!」 気合一閃、三半規管を全開にして上下を感じ取ると、オレは体を無理矢理捻って足から着地する。 それは、一瞬の出来事だった。 「……はぁ〜……。危ないなぁ、才堂。危うく死ぬところだったじゃないか」 屈めた身を立ち上がらせながらオレは抗議する。しかし彼女は抗議などどこ吹く風な様子で指をビシッ! と突きつけると、 「何が『ただの学生』よ! 一般人が、あんなマネをできるわけないでしょ!」 と儚い印象を覆すほどの勢いで講義し返してきた。あんなマネ……体を捻って投げを無効化したことか。 「ん〜……。まあ、一般人じゃないことは認めるな。これでも剣術習っているし」 「剣術? あなたみたいな軟派な男が習う剣術ねぇ……。大した事なさそうなんだけど」 ……これには少し、カチンと来た。オレが何かを言われる分には問題ないんだけど、彼女の言い方では俺の習う柳生仙陽流剣術……そして現師範の巧さんを『大した事がない』と言っているに等しい。 「んじゃ、練習風景でも見学するか?」 そうすれば『大した事がない』と言えなくなる。暗にそういう意味を含ませて、オレは彼女に尋ねてみた。 「そうね……。今日はヒマだし、いいわよ。しっかり見学してあげましょう」 不敵な笑みを浮かべて答える才堂。……いい目をしている。燃える星のような、気高い目だ。 正直言って、オレは才堂が気に入ってしまっていた。別に『愛している』などという、恋愛感情ではない。『同じ世界で生きる者への共感』とでも言うべきものか。 と……ここまで考えてから、あることに気付いた。 「そういえば今日は、道場が昼からだったっけ……」 なんでも師範代が刀を仕入れに行くそうで、午前中は留守にしているのだ。 「それじゃ、どうするの? まだ10時半よ」 「喫茶店でも行くか? 馴染みの店があるんだけど」 「ん〜、悪くないわね。それじゃ、行きましょうか」 先に行こうとする才堂。だが、オレはあることに気がついた。 「なあ……。なんで、ヤクザなんかに襲われていたんだ?」 少しの沈黙。 「……聞きたい?」 彼女はニヤソと笑って尋ねる。『ニヤリ』ではない。『ニヤソ』である。なんだか身の危険を感じたオレは、ちょっぴり引きながら答えた。 「君子、危うきに近寄らず……。遠慮しておく」 新宿 1010時(日本標準時間) 日没を描いた絵がシンボルとなっている喫茶店、『サンセット』。そこに、オレと才堂の姿はあった。 「まったく、珍しいなぁ。兵衛が女の子と一緒だなんてよ」 手早く料理を作りつつ、マスターがからかい半分に言う。 「なんだよ。悪いかよ? オレだってたまには、女友達と街を歩いたりするさ」 「それが信じられないっての」 「うるさい。黙れ。早く嫁さん見つけて結婚しやがれ」 「むぅっ、痛い所を突くなぁ……」 苦笑するマスター。まったく……。そういう軽口を叩くから、彼女ができないんだっての。 漫才のような会話をするオレたちを、才堂は珍しいものを見るような目で見ていた。サービスで出されたエスプレッソコーヒーを、上品な仕草で口に運んでいる。この姿だけ見たら、つい30分ほど前にヤクザの一団を壊滅させたって言っても誰も信じないだろうな。 「ねぇ……。マスターって何歳なんですか?」 興が乗ったのだろう。彼女も、会話に参加してきた。だがオレと話している時とは随分と口調が違う……。ネコ被ってやがるな、才堂。 まあ……いちいちツッコむ所でもないだろう。オレは気にしない事にした。 さて、マスターの年齢か。オレも知らないのだが、45ってところか? だが、しかし。彼の答えは、度肝を抜くものだった。 「俺か? 38だ」 沈黙。 ナベから発するジュージューという音が、妙に耳につく。 「……嘘吐き」 オレは、マスターをそう断定した。 「サバ読んでませんか?」 才堂も、同様の判断を下したようだ。 2人に嘘吐き扱いされて、マスターは多少たじろいだようだ。しかしすぐ立ち直ると、車の免許証を見せる。 八坂志郎。1961年4月10日生まれ。1999年−38歳=1961年。 「マジかよ……」 「にわかには、信じられないですね……」 またも2人の意見は一致した。オレたち集中砲火、マスターボロボロ。 「お前ら……。飯を作ってやらないぞ……」 精神的なダメージに耐えながら、彼は呻くように言った。まあ、何と言うか……。そう、アレだ、アレ。 『人は見かけによらない』。 ……ちょっと違うかもしれない。 「でも……マスターって、本当に老けて見えますよ。もうちょっと若く見えるように努力した方がいいんじゃないですか?」 才堂のアドバイスを受けて、マスターは腕を組んだ。 「そうか……。だが、まあ……。う〜ん、頑張ってみるぜ……」 どう頑張るのか知らないが……頑張れ、マスター。 オレとしては、そう応援するしかなかった。 しっかし……マスターの嫁さんか……。想像がつかないなぁ。 「なあ、マスター。あんた、どんな人が好みなんだ?」 参考までに尋ねてみる。するとマスターは遠くを見るような目をして、 「そうだなぁ……。優しい人がいいなぁ……」 などと呟きながら、自分の世界へフェードアウトしてしまった。 「……どうしたの、マスター?」 「幸せな新婚生活を妄想しているんだろうぜ」 苦笑しつつ、マスターの手からフライパンを奪い取る。ちなみにメニューはドライカレーだ。彼は暑苦しそうな外見通り、スパイスの扱いに長けている。だからここのカレーなどは絶品。友人に勧められて食べた時は、カレーがここまで美味い物なのかと驚いたものだ。 「ほい、おまっとさん」 勝手に食器を出し、フライパンのドライカレーを盛り付ける。湯気を立てるそれを、才堂の前に置いた。 「いい匂いですね」 「まあな。冷めない内に食べてくれ。……おい、マスター! いいかげん、自分の世界から戻って来い! オレの分も作れ!」 耳元で叫ぶように言うオレ。はっ! と言った様子で我に帰ったマスターは 「……あ、ああ。悪い悪い。え〜っと……」 あたふたと調理器具を洗いながら取り乱したように言う。 「注文したのは激辛カレー。唐辛子バリバリに効かせたやつ。しっかりしろよ、マスター」 「……兵衛君って、辛党……?」 ちょっと人外な生き物を見るようなニュアンスが入った目で見ながら、才堂が不思議そうに尋ねてきた。 「ああ。こいつ、無茶苦茶辛いのを平気で食うモンスターだからな」 モンスターとまで言うか……マスター。 「味覚が壊れているんじゃないんですか?」 オレの舌は正常だ……才堂。 「まったく……」 オレは忌々しげにつぶやいて、コーヒーに口をつけた。ほろ苦い香りが広がる。いい豆を使っているな……。そんなことを考えていると、店の扉が開いた。 そして蒸し暑い外の風と共に、一人の少年が入って来る。 小柄な少年だ。くりくりとした黒い瞳に、短く切った赤い髪。白いショートパンツに赤いシャツを着ていた。彼を形容するなら、『かわいい』。これが一番しっくり来るだろう。 「いらっしゃい」 マスターの声に手をあげて応えると、彼はカウンターの席に座った。 「注文は?」 「……ミートソーススパゲティ……」 小さな声で、ボソボソと注文する少年。ちょっと不審そうな顔をしたマスターだが、すぐ仕度に取りかかった。 ……その前に、オレのカレーを仕上げて欲しいのだが。 「ねえ、兵衛君。あの子、こっち見てるわよ」 マスターのほうに注意が行っているオレに、才堂が小さな声をかけた声のトーンから判断すると……微妙に疎ましがっているな、彼女は。横目で確認すると、少年はじっとオレたちを見ていた。いや……オレを見ているのか? 「どうしたんだい?」 試しに声をかけてみると、彼はふっ、と目を反らせてしまう。 「……?」 才堂も怪訝そうで……そして鬱陶しそうな顔だ。 しかし……この少年、どうにも他人とは思えない。なんと言うか……。変な共感のようなものを感じるのだ。そしてこの感覚は……日頃、特定の人物相手にだけよく感じるものでもある。 心当たりとしては、彼も『仲間』だということだろうか。 「なあ、少年。名前はなんていうんだ?」 できるだけ相手を警戒させないようにしながら、名前を尋ねてみる。彼は少し戸惑ったようだが、顔を僅かに赤くすると 「……バルバロッサ=ルーファス……」 とだけ答えた。 バルバロッサ……どこの国の言葉かは忘れたが、『赤髭』という意味か。彼の赤い髪の色を見れば、その名前がつけられたのも納得できた。 「……お兄さんたちは……?」 相変わらずボソボソと喋るバルバロッサ。 「オレは小百合葉兵衛」 「私は才堂紅葉よ」 「……はい」 笑いかけるオレたちに、バルバロッサは照れたような顔で返事をした。なんと言うか……弟ができたような、ほんわかとした気分だ。悪くないな、こういうの。 「ほら、兵衛。カレーができたぞ」 忙しそうにしていたマスターが、カウンターにドン、と激辛カレーを置いた。唐辛子のスパイシーな芳香が広がる。 「……目に染みます……」 ぱちぱちとまばたきをして、バルバロッサはコメントした。才堂はすでに、一つ隣りの席に移っている。素早い。 「どうだ? マスター特製激辛カレー。食べてみるか?」 スプーンをバルバロッサに手渡し、尋ねてみるオレ。彼はかなり迷ったようだが、ごく少量をスプーンの上に乗せると、一気に口に運んだ。 「!!」 とたんに涙目になる彼。何か言おうとしているらしいのだが、舌が麻痺して上手く喋られないみたいだ。 「ほら、水だ」 マスターがコップに水を汲んで彼に手渡す。バルバロッサは物凄い勢いで何杯もコップを空けてから、小さくつぶやいた。 「……死ぬかと、思った……」 「そんなに辛かったの?」 不思議そうに尋ねる才堂に、彼は首をぶんぶんと上下に振って答える。よほどキツかったらしい。 「ほらよ、スパゲティお待ち」 そんなやり取りを笑いながら見ていたマスターが、汗だくになっているバルバロッサの前にスパゲティを置いた。 彼はそれを上品な仕草で食べるが…… 「……辛さで舌が麻痺してる。味がわかんない……」 そう言って苦笑した。 「慣れない者が食べたら、そうなるんだよな……」 しみじみと言いつつ、オレも激辛カレーを食べる。炎のような唐辛子の辛さが口の中に広がった。この味が好きなのだ。全身に汗が吹き出るが、無視。どんどん食べ進んでいく。 その様子を、まるで人外の生物を見るかのような目でマスター、才堂、バルバロッサが見ていた。 ……こいつら、揃いも揃ってオレを何だと……。 調布市泉川駅付近 1412時(日本標準時) 「なあ、バルバロッサ」 「……はい?」 「お前……外国人だよな?」 「ええ……。アルジェリア出身です。最近、日本に渡ってきました……」 「だったら……なんでそんなに日本語が上手なんだ?」 剣術師範代の家へ行く途中の道。オレは、バルバロッサに前から思っていた疑問をぶつけた。 「そういえば、そうですね」 猫をかぶったままの才堂も、オレの意見に同意する。 ふと思う事があるのだ。アニメとかに登場する外国人は、無遠慮に流暢な日本語を喋っているが、ああいう世界では日本語が世界標準語になっているのではなかろうか……と。 だからこそ……かどうかは知らないが、流暢な日本語を話すバルバロッサに疑問を持ったのだが……どうなのだろうか。 日本語の発音は独特で、小さい頃から似た音域の多い言語を使っていないと正確に発音するのは極めて難しい。なのに彼は、違和感なく会話しているのだ。 しかも驚いた事に、知識と語彙が豊富である。 『しからば、少年犯罪について貴殿はどう思われ申すか?』と冗談で尋ねてみたところ、『拙者としては……不善なる事と思い候。しかるに少年を責める事が解決に繋がると思い候か?』と聞き返されてしまった。 ……ただの時代劇好きな子供なのかもしれないが……それにしたって違和感がある。 だが、しかし。彼の答えは、呆気ないものだった。 「日本語が上手な理由ですか……。祖父が日本人だったんですけど……」 なるほど。つまりは、祖父から習ったわけか。 「で、そのお爺ちゃんは今どうしているの?」 才堂が尋ねると、彼はやおら表情を曇らせてしまった。 「祖父は……もう、いません……」 「そう……。ごめんね」 「大丈夫です……」 ちょっと照れたように笑うバルバロッサ。その笑顔は、とても健気なものに見えた。なんと言うか……心根が曲がっている者が多い中、こういう無垢な少年を見ると、心が温かくなってくる。 その気持ちは才堂も同じらしく、彼の頭をなでてあげていた。なかなか微笑ましい光景だ。 「そういえば……なんでバルバロッサまでついて来ているんだ?」 照れくさそうにしている少年を見ながら、オレはふと思い出したように尋ねた。 「……え……?」 「お前、『サンセット』には昼食を食べるために来たんだろう? 用事とかはいいのか?」 すると彼はこくりとうなずく。 「……用事、ありません……」 まったく……。暇人が多いな。 そう思ったが、あえて口には出さなかった。自分もその『暇人』の中に入る事を自覚していたからだ。 「……ところで、その剣術師範の家ってどこにあるの?」 「ん? ああ……もうすぐだぜ」 そう言ってオレは、道の先を指差した。住宅が続く向こうに、大きな塀が見える。 「ほら、あの塀。あそこが御崎家だ」 「ふ〜ん……。御崎って言うの……」 気のないような声で返事をしてから…… 「…………御崎?」 と再度尋ねて来た。 「ああ。まあ、会えばどんな奴か分かるさ」 なんだか突然帰りたがりだした才堂をせかして、オレたちは塀沿いの道を歩く。 「……大きな……家ですね……」 かなり向こうの方まで続く塀を見て、バルバロッサが関心したようにつぶやく。 「ああ。室町時代から続く家らしい。……といっても、ずっとこの場所に家があったわけじゃないけどな。室町時代はこのあたりは未開拓だから。ともかく、古い家なのは確かさ」 「……へぇ……」 少年はとても興味深そうな顔をした。口数は少ないが、感情表現が苦手という訳でもないようだ。 「さて、それじゃお邪魔するかな」 オレはそう言うと、一同の先頭に立って御崎家の鴨居をくぐった。 塀の内側へ入ると、御崎家の大きさが嫌がおうでも目につく。一階建ての家なのだが、広い敷地にカコつけて無茶苦茶広大な家を造っているのだ。ある意味、庶民に対するアテツケだと思う。 家の大きさに圧倒されている二人を引きずるように玄関まで移動すると、オレは胸いっぱいに息を吸い込んでから大声で大邸宅の住人によびかけた。 「お〜い! いるか〜!?」 ついでにチャイムも押してみるが、反応がない。 「……まあ、いいか。勝手にあがらせてもらおう」 「いいの? 他人の家でしょ?」 ちょっと心配そうにする才堂だが、オレはニヤリと笑うとこう答えた。 「大丈夫だって。奴とオレとは親友だから」 まあ……『ものは言いよう』である。 「誰が親友だと?」 その声は、後ろから唐突に……気配さえなく聞こえた。まるで氷の刃のような声。 慌てて振りかえるオレたち。その視線の先には、黒ずくめの青年が買い物袋を片手に立っていた。全くの自然体、気負いもしていないし変な気がありそうにもない。 それなのに彼の体からは、近寄る者を吹き散らすかのような殺気が放たれていた。 「……誰なの? なんだか只者じゃない雰囲気だけど……」 彼の持つ気配を敏感に感じ取った才堂が、小声でオレに尋ねる。 「こいつか剣術の師範代さ」 同じく小声で教えるオレ。 「……何をコソコソと話している?」 「ん……いや、なんでもない」 などと答えて、彼の持つ只ならぬ雰囲気に威圧されている二人を紹介する。 「彼女が才堂紅葉。で、そこの少年がバルバロッサ=ルーファス。新宿で知り合ったんだ」 「ほう。……で、何故この家へ?」 手を組むと、彼は興味深そうに尋ねた。 「才堂は、オレたちの練習が見たいから。バルバロッサはおまけ」 「……ふむ……。分かった。二人とも、よろしくな」 ぶっきらぼうに言う彼。才堂もバルバロッサも戸惑ったが、 「……よろしくね……」 「……よろしく……」 と返事をした。初対面からこいつの殺気にあてられて挨拶できるとは、なかなか凄いと思う。 「ところで……あなたの名前は?」 さっさと家に入ろうとする瞬に、『おっかなびっくり』という形容詞が似合うような声で才堂が尋ねた。 「兵衛は言っていなかったのか? まあ、いい。姓は御崎、名は瞬。……御崎瞬だ」 瞬は大仰に言うと、芝居かかった動きで会釈をした。キザっぽいが、奴がやると絵になっている。 バルバロッサが、無邪気に拍手する。だが、しかし。 「御崎瞬? ……もしかして、『あの』御崎瞬?」 才堂の声が、ごくわずかに上ずった。表情はいつもと変らないのだが……微妙に驚いているのだろう。彼女が微妙に驚いているのを感じ取った瞬は目を細め、 「……私の噂を知っているのか。しかも、随分と昔のもののようだな」 と言った。 昔の噂。オレも瞬から話は聞いたことがある。なんでも彼は昔傭兵をしていて、いろいろえげつない事もしたそうだ。その時の噂が背鰭や尾鰭を得て、現在もまことしやかに囁かれているという。 だが、しかし。 「……まあいい。皆、ついて来い。茶菓子くらいは出そう」 彼は才堂を問い詰めようなどとはせず、さっさと家の中に入ってしまった。 「まさか、こんなところで彼に会えるなんて……。世界は広いようで狭いわね」 彼女は強気な笑みを浮かべると、先頭に立って家の中に入って行く。続いてバルバロッサも才堂に引っ付いて行った。 最後に残されたオレは、苦笑しつつ後へ続く。 玄関を上がり廊下を通って、客間へ。 「……立派な家ですね……」 辺りをきょろきょろ見回して、感心したように言うバルバロッサ。瞬は全く表情を変えず、 「そうだな。古くから伝わる家だからな」 と淡白なコメントをした。 何を考えているのか相手に読み取らせないポーカーフェイス。ぶっきらぼうな物言い。そして、滲み出る殺気。 当然怯えるバルバロッサ。 「瞬……。もう少し愛想よくしろ。バルバロッサが怖がるだろうが」 あまり怖がらせるのも酷なので、オレは瞬に注意しておいた。しかし瞬は表情を変えることなく、真顔で 「愛想よく……? 愛想のいい私を見てみたいのか?」 などと尋ねてくる。 「正直言って、見たくない」 「ならば言うなよ、お前は」 腕を組んで鼻を鳴らす瞬。 「しかしな、お前には社会に対する適応性というものが……」 「お前はどのような環境にも適応できそうだな。そう……砂漠から、雪原まで」 その温度差は、最高で100℃を超す。 「社会適応と環境適応を一緒にするな、コノヤロウ」 抗議するオレだが、彼は大仰な仕草で 「一緒? 一緒だろう? 少なくとも、お前にとっては」 と断言した。 「無茶苦茶言うな、相変わらず……」 思わず苦笑してしまう。だが、これが彼なりの友情表現だと言う事は、分かっていた。不器用だからこそ、平時にはこういう会話でしか友情を感じる事ができないのだ。 難儀と言うか、なんと言うか……。 そんなことを考えていると、横で笑いを噛み殺しているバルバロッサの姿が目についた。才堂は無表情だが……微妙に、口元がほころんでいる。 「……なんだよ、お前らまで」 多少不機嫌っぽく言ってみると、バルバロッサは 「だって……漫才そのものの会話をしているし……」 とコメントした。 まあ……場の雰囲気を和らげるために自ら進んでやったことだ。反論はしないでおこう。 「でも……聞いていた噂と随分違うわね」 ひとしきり笑いがおさまって、才堂がふと思い出したかのように瞬へ言った。瞬は小さく笑うと、 「私の噂か……。ロクでもないのが多いだろうが、概ねは事実だぞ?」 と答える。 「事実なの。……女子供も切り捨てるとか、無抵抗な人も容赦なしとか……そういう噂もあるんだけど?」 「ああ。以前の私は噂の通りの男だった」 小さく笑ったまま、シャレにならないことを口にする瞬。 「以前ってことは、今は?」 毅然とした様子で尋ねる才堂だが、 「今か? 随分甘ったるくなったな」 彼はそう告げてから、自嘲気味に笑った。 つくづく業の深い男である。それに加えて自嘲癖があるため、なんと言うか……ある種『救われない雰囲気』を身に纏っているのだ。 「こいつ、敵以外には手を出さないから、安心してくれればいいぜ」 このまま瞬が危険人物扱いされるのはなんとなく可哀想なので、一応オレがフォローを入れておく。 「安心……できるのかなぁ……」 「ちょっと、怖いわよね」 瞬を警戒して、ボソボソと話し合う二人。まあ、当然の反応だろうな〜などと思っていると…… 「あれ? お客様?」 「どうしたの〜?」 廊下の向こうから明るい声が聞こえた。 「3人来客だ。コーヒーでも煎れてくれ」 『は〜い!』 一緒に返事する声が聞こえて、しばらく後。お盆にコーヒーとお茶菓子を乗せた女の子が二人部屋に入ってきた。 「よう、梢ちゃんとメリルちゃん」 片手を上げて挨拶するオレ。彼女たちは微笑すると、 「兵衛さん、こんにちは」 「やっほ〜」 と挨拶を返してくれた。相変わらず、二人ともいい子だ。 「はい、どうぞ〜」 メリルちゃんが三つ編みにしている金髪をさらさらと揺らして、コーヒーを全員の前に置く。 「ありがとね」 「…………」 素直に礼を言う才堂と、ちょっと赤くなってうつむいてしまうバルバロッサ。……バルバロッサの反応に微笑しつつ、オレはコーヒーを口に運んだ。 ……。 「コーヒーを入れてくれたのは、メリルちゃんかな?」 「ほぇ? そうだけど?」 不思議そうな顔をするメリルちゃん。オレは微笑したまま、衝撃の事実を宣告した。 「砂糖と塩、間違ってる」 「ええっ!?」 メリルちゃんは慌てて自分のコーヒーを口に運び、一口飲んでから、 「……ホントだ……」 とつぶやいた。 基本的なボケなのだが……まあ、そこらへんがメリルちゃんである由縁か。 「あわわ、すぐに煎れ直して来ますね〜」 「それじゃ、わたしも……」 「待て」 慌てて台所へ向かおうとする梢ちゃんたちを、瞬が低い声で呼び止めた。 「メリルと梢は客人の相手をしていてくれ。私が行こう」 言うが早いか、椅子からスッと立ち上がる彼。 悪の親玉のような雰囲気の瞬だが、意外に腰が軽いのだ。この家に住んでいる人の中で、家事が一番上手な人材だし。 そういう趣旨の事を皆に話すと、才堂とバルバロッサは意外そうな顔をした。 「あの御崎瞬の得意な事は、家事……か……。イメージにそぐわないわね……」 「……不思議な人……」 その後姿を見送ってから、奴の雰囲気に慣れていない二人が小さな声でつぶやいた。まあ、当然の意見だろう。 オレもあいつに慣れるのは苦労したからな、などと過去のことを思い出してしまう。 「兵衛さん、この方たちは?」 ふと物思いにふけっていたオレは、梢ちゃんの声で現実に引き戻った。 「ああ、才堂紅葉とバルバロッサ=ルーファス。仲良くしてやってくれ」 もはや紹介するのが面倒なので、名前だけ紹介する。 「わたしは篠宮梢。こっちは、メリル=F=御崎。よろしくね」 「よろしくね〜」 柔和に挨拶をする梢ちゃんと、元気でどこか間延びしたような声で挨拶するメリルちゃん。以前はちょっと複雑だった二人の関係も、今は良好のようだ。 才堂とバルバロッサも挨拶を返し、話題は世間話へと移る。 友達のこと、学校のこと、流行りの服のことなど。相変わらず才堂は自分のことをほとんど口にしないが……まあ、彼女らしいと言えば彼女らしいと思う。瞬の昔の話を知っているあたり、表に生きている訳がないのだから。そのような人物が、自分の情報をおいそれと話すのだろうか? 否。断じて否である。 とすれば……才堂の裏の顔は、工作員か情報士といったところだろう。断定ではなく推測だが……まあ、いちいち断定する必要もないのでこれ以上は考えないようにした。 そのころになると、どこからか豊潤な香りがしてきた。 「この香りは……アッサムですね」 「正解だ」 才堂の答えを肯定しつつ、瞬がソーサーに紅茶を乗せてやって来る。彼はテーブルの上にそれを並べると、上座についた。そして紅茶を一口すすってニヤリと笑う。 「さて……一息ついたら、『お待ちかね』だ。兵衛、手加減無しで行くぞ?」 『お待ちかね』=『練習』である。やっぱり瞬って、心の芯から悪人ではないのだろうか。なんだか最近、悪の幹部か悪の首相のようなセリフが増えてきた。 オレは苦笑しつつ、答える。 「分かった、分かった。今日も怪我しないように行こうぜ」 新宿 1600時(日本標準時間) 瞬の家でしばらく過ごしたがそこに居るのも飽きてしまって、オレたち一同……瞬、才堂、バルバロッサ、梢ちゃん、メリルちゃん……は新宿に来ていた。 朝と同じく、人の多い街だ。そして……外国人も結構多い。ここ数年で、この街も多国籍化してきたみたいだ。 まあ、国家の垣根が低くなって来ている現代としては結構な事なのかもしれないけどな。 そうそう。国家の垣根といえば、相変わらずアメリカとソ連の冷戦は続いている。双方相変わらずよく飽きないなと感心しているところだが……核兵器で脅しあう関係っていうのも凄まじくイヤだよな。 それに各地のゲリラ。戦争のため地雷を埋めまくったり、市民に銃火器を配ったりしたら、後が大変なんだよ。 まったく。ただでさえ、武器があちこちに流出していると言うのに。 日本にも流出しているよなぁ。たとえば……目の前でオレたちに銃口が向けられているトカレフとか。……あ、あれはベレッタM93Rか。よくオーストラリア産の銃を密輸したなぁ。きっとソ連経由なのだろう。 しかし……こいつら、何者だ? ちょっと人気の無い道を通ったら、ゾロゾロと出て来て辺りを取り囲まれたのだが。 ちなみに44マグナムや454カスールまで使っている奴がいるようだが……。撃てるのか、本当に? 肩の関節が反動で砕けるぞ? 梢ちゃんとバルバロッサはこう言う事に免疫が無いんだろう。かなり怯えている。まあ……一般人としては、当然の反応だろうな。 そして曲者の才堂。彼女は怯えたかのような仕草をしているが……目の奥の光は強気な意志を湛えていた。どうも彼女はこういう事態に慣れているのだろう。それでも猫をかぶっているのは……彼女なりの処世術なのだろうか? 疑問には思ったが、尋ねるのは止めた。面倒だし。 ちなみにメリルちゃんは、結構愉しそうに男たちの様子を眺めていた。彼女も場慣れしている様子だ。……信じ難いことだが。そういえば、ニューヨークのダウンタウン出身だったっけ? 瞬については、言うまでもないだろう。押し殺した殺気を鋭すぎる視線に込めて、周囲に振り撒いている。 「……なんだ、その目は?」 『いかにも』な黒い服を着た男が、威圧するような口調で瞬に尋ねた。おそらくはリーダーなのだろう。彼が持っているのは、S&Wのようだ。あの坂本竜馬も愛用した銃のメーカーである。……どうでもいいことだけど。 「いいや、別に何でもない」 彼は肩をすくめると、一歩前へ出た。こういう交渉は、彼の最も得意とすることだ。ただし得意といっても、『決裂させること』が得意なのだが。 「で、お前たちは何なのだ?」 一歩前に進み出た瞬は、尊大な口調でリーダーに質問する。どうにも相手を逆上させようとしているような言い方だが、本当は……やっぱり逆上させようとしているらしい。 「我々は……いや、組織名は名乗るまい」 思わず口上を上げようとした男だが、ふと我に帰って口を閉じた。しばし黙考してから、再び喋り出す。 「ともかく、我々が目的としているのはそこの子供を連れ帰ることだ。おとなしく、渡してもらおう」 『そこの子供』と言うリーダーの視線は、バルバロッサへと向けられていた。 「…………」 バルバロッサは怯えた様子で数歩後退り、瞬の後ろへ隠れる。 「さて、引き渡してもらえないかね?」 「断る」 瞬は相手の言葉を遮るように、言い切った。腰の木刀……のように見せかけた白樺の刀を手に取ると、凛とした声で告げる。 「いかな事情であれ、友人を売るわけにはいかないのでな。このまま引き返すなら、何もしない。だが、あくまで戦おうとするなら……命の保証はしない」 あ〜あ、言い切ったよこの男は。この程度の相手なら遅れを取らないだろうけど……足手纏いが3人いるんだぜ? もしかして全員を自分一人で守るつもりじゃないんだろうな? ハッキリ言って無理だぜ。 「命の保証? 命の保証だと?」 リーダーはニヤリと笑うと、指をパチンと鳴らした。 ジャカジャカジャカッ! と音がして、周囲の奴らがスライドを引く。 「周囲を囲まれて、どうなるとでも言うのか?」 そうだろうな。瞬は弾丸の軌道を予測して回避できるが、他の人間には無理に近いし。 さて、どうするか……。 オレが頭を巡らせようとしたその瞬間。突然、衝撃が弾けた。まるで爆弾が爆発したようだが……違う。爆弾ではない。 「なっ……!?」 だが、それがなんにせよオレたちの行動は決まっていた。 恐慌状態に陥る敵を殲滅するという行動が。 「おぉっ!」 瞬が先陣を切って、敵へ突っ込む。そして…… 「鏖殺剣!」 叫ぶが速いか、1秒足らずの間に周囲の敵全てを吹き飛ばした。 おうさつけん 『柳生仙陽流外典奥義・鏖殺剣』。最低限の動きで周囲の敵の急所を一撃する、言わば一対多の基本を奥義化した技である。で、どこが奥義なのかと言うと……その身のこなしとスピード、同時処理する情報量であった。 瞬の放ったあの一撃は、一秒足らずの間に15人ほどを捌いていた。つまり15人の急所を正確に見切り、攻撃する順序を考え、最低限の動きで一気に攻撃したのだ。飛天御剣流ではないのだが、何より素早さを重視している瞬らしい技であった。 彼の攻撃により、敵の一角に穴が空く。そこを逃さずオレは突撃して、木刀を振り回して道を作る。 「今のうちだ! 行け!」 梢ちゃんたちに指示を出すと、オレは落ちていた銃……M93Rを拾い上げた。 「狙って撃って一発で終わり。死にたい奴は銃を抜きな!」 「兵衛、お前も……」 同じく銃を拾った瞬が叫ぶが…… 「殿はオレに任せろ! 先に行った奴らを頼むぞ!」 逆に叫び返してから、トリガーを引き絞った。バーストに設定されてあった銃は一気に三発の弾丸を撃ち出し、敵3人が構えていた銃を吹き飛ばす。 「ちっ! ガキが逃げる……別動部隊を出せ! 俺も行く!」 バルバロッサに逃げられたことで焦ったのか、男は急いでオレが通行妨害をしているのとは別の道を走っていく。だが、ここにいるのが本隊だろう。生半可な戦力の別動隊では、瞬に一蹴されることは目に見えていた。 つまりは……ここでオレがこいつらを止めれば、味方は誰も怪我しないわけだ。 「……あ。何か決意した顔ね」 余計なお世話だ、才堂。……って…… 「なんでお前がここにいる!?」 思わず声を荒げるオレだが、彼女は平気な顔をして 「ん〜……。なんて言うかな……。キミを残して行くのがちょっと心配だったから、でいいかな?」 正直言って、彼女の考えることはよく分からない……ハズだったのだが、今回はちょっと分かった。 たぶん才堂は、こいつらの持つ銃を没収する気だろう。 まあ……高値でさばけるし。 「…………まあ、いい。それじゃあ行こうか」 くるくるとM93Rをスピンガンさせると、オレは才堂へ言う。そしてスピンさせていたM93Rを真上へ放り投げると、地面に落ちていたシグP228を拾って低い姿勢から一気に連射した。 ダガダガダガダガと騒々しい音を撒き散らして、弾が敵の持つ銃を弾き飛ばしまくる。 そして14発の弾丸を撃ち尽くすと別の銃を拾い、連射。弾を撃ち尽くすと銃を捨てて立ち上がり、重力に引かれて自然落下してきたM93Rをキャッチしてバーストに設定したままトリガーを引き絞った。 ヴオオオォォォォォ! 猛烈な音と共に弾丸が銃口から迸る。撃ち出されたマガジンの残弾33発が、敵の一団を薙ぎ倒した。 一瞬の出来事。敵も『何が起こったのか分からない』という顔をしている。だが、敵は待ってはくれないんだよな。 そして才堂もオレと同時に、走り出していた。彼女の瞳は、生き生きとした光を湛えている。まるで、戦うことを楽しんでいるかのように。 ……おっかねえ女。 ともかく彼女は適当な敵に狙いを定めると、地を滑るように間合いを詰める。 そして……突然、敵の天地が逆転した。何が起こったのか理解するよりも速く、彼は脳天からコンクリートに叩きつけられて気絶する。 今のは、いわゆる『出足払い』だろう。ただし、凄まじくハイレベルな。今の動き……オレでも残像が残って見えた。 彼女は倒した敵を一顧だにせず、次の獲物へ飛びかかる。相手の首へラリアット気味に腕を絡ませ、真横を通り過ぎる勢いを利用して敵を後ろへ仰け反らせる。そして才堂は重心を崩した敵を肩に乗せてリフトし、胸からコンクリートへ叩き付けた。アバラの3、4本は折れただろう。今のは変形の『肩車』か。 こうして見ると、才堂の柔道技の凄まじさがよく分かる。乱戦の基本である『足を止めない』を、柔道という投げるのに時間がかかる技で実現しているのだから。 次々と敵を狩っていく才堂に、敵の注意が向けられる。我に帰った敵が銃を構え…… 「そういう時は、身を隠すんだ!」 どこかで聞いたことのあるセリフを鋭く叫び、オレは敵に突進した。才堂を援護しなければいけないし、なにより敵が隙を見せたのだ。大技を使うチャンスである。 「鏖殺剣!」 敵陣の中心へ身を躍らせると、瞬が使ったあの技をオレも使う。この一撃で、その場にいた敵すべてが沈黙した。 「……まあ、こんなものかな」 ふぅ、とちょっと気を抜いたその時。 頭上から、叩き付けるような殺気が振って来た。 「!」 無言の気合と共に、真横へ飛ぶオレ。きわどい所を、叩き付けるような斬撃が通り過ぎた。 追撃を予想しオレは受身を取って立ち上がる。しかし、相手はその場からそれ以上動かなかった。オレが体勢を立ち直すまで、待つつもりのようだ。 『余裕を見せやがって』とは思うが、それよりも先ほどの一撃にオレの興味は集中していた。 刃の描く剣閃が、あまりにもオレと瞬の攻撃に似ていたのだ。だがそれは、イコール柳生仙陽流使いという訳ではない。それは『剣術のクセ』ではなく、『剣術使いのクセ』だったのだから。 「……あなた、誰?」 息一つ乱していない才堂が、突然の襲撃者へ声をかける。彼はニヤリと笑うと、その紫色の瞳を才堂へと向けた。……紫色の瞳を。 通りすぎる風に揺られて、長い金髪がふわりと揺れる。 かなりの美形だが……その紫の瞳は全てを見下げ果てるかのような冷たい光を灯していた。まるで爬虫類のようだ。手に持つのは、両刃の剣。形状から見て……ロングソードか。刀身の耀きが鈍いのは……たぶん、かなりの量の血を吸っているからだろう。 首にかけている十字架のネックレスが、ひどく印象に残って見えた。 無機質な色の視線が、オレと才堂を行き来する。 そして次の瞬間…… ガキィッ! 派手な金属音と共に、オレの居合抜きと奴の薙ぎ払うような斬撃がぶつかり合った。 速い。今の一撃は……オレと互角のスピードだ。 鍔迫り合いを続けながら、オレと敵の視線がぶつかりあう。睨み付けるオレの視線をあざ笑うかのように、奴は口を開いた。 「面白いな、貴様は。今の一撃を受けとめるとは」 「そいつはありがとうよ!」 皮肉を言いながらオレは刀にかけていた力を抜き、相手を前につんのめらせる。そして刃の峰で相手の首を一撃するが…… 「はははっ、遅い!」 相手は予想を上回るスピードでオレの攻撃を回避して、間合いを広げた。そのまま剣の切先をコンクリートに押しつけ、火花を散らしつつ奴は走る。 「ふっ!」 彼の進路を予測して刀を振るが、 「ふははははっ!」 直前で急制動をかけて奴は停止する。そして刀を振り切った勢いで動きが止まっているオレに奴は刀を振り下ろした。 声さえ上げずに、オレは前転する。きわどい所を、鈍く光る刃が通り過ぎて行った。 「兵衛君、無事!?」 「なんとかな。……気をつけろ。こいつ、只者じゃないぞ」 体勢を立て直して、剣を担ぐように構える。 「私も援護するわ!」 「……いや、こいつの相手はオレにさせてくれ」 前に出ようとする才堂を制して、オレは奴へ英語で厳かに告げた。 『お前の名はなんだ?』 『ゼーニッツ=グランドール。仲間には、“優男”と呼ばれているな』 自分の存在そのものを誇るかのように、奴は胸を張って言う。そしてゼーニッツは、言葉を続けた。 『貴様はサムライか。なかなかやるようだが……所詮は人間だ。この俺に勝てるわけがない』 『では、人間のことを“所詮”と言うお前は何だ?』 何だと言ったが、実際のところオレは奴の正体に見当があった。だから、これは確認である。……奴を、殺していいのか否かの。 オレの思いなど気にしていないかのように、ゼーニッツは口を開いた。 『俺は人間より優れた存在。“プラン12”だ』 『ああ、そうかい』 オレは冷たく返事をすると、歯を食いしばる。全身の筋肉に力を蓄える。そして……心を修羅へと変えた。 『オペラの時間だ、“優男”。絶望の悲鳴をあげて無様に死ね』 言うが速いか、全速力で突進。相手の喉元めがけて渾身の突きを放つ。 『ぬうっ!』 身を反らして回避するゼーニッツだが、その行動くらい予想している。刀をそのまま、真横に薙ぎ払った。 ヒュン! と風が切断されて悲鳴を上げる。だが、手応えはない。奴は首が切断されるより速く身を屈めていた。ならば手首を捻って横薙ぎの刃を下に向けると、一気に叩き下ろす。 硬い音がして、コンクリートの床が叩き割れた。だがゼーニッツは素早く身をかわしている。一気にオレから間合いを離すと、彼はすぐさま突進して来た。 彼の放った矢のような突きを身を引いて躱し、続いて唸りをあげる矢継ぎ早な剣撃を受け流す。凄まじく速いが……それは世間一般での話だ。この程度の攻撃を回避することなど、オレにとっては造作も無い。 多少息が上がって攻撃が大振りになったのを見計らって、カウンター気味に薙ぎ払う。斬撃は狙い違わず、ゼーニッツの左腕を切り裂いた。 鮮血が、飛び散る。 『ぐぁっ!』 小さく呻いて、彼は間合いを一気に離した。その整った顔には驚愕の色が浮かんでいる。 『どうした? 貴様は所詮この程度か?』 『くっ……、黙れ!』 奴は余裕綽々の態度を豹変させると後ろ手にまわし、腰の後ろから銃を引き抜いた。……イングラムM11短機関銃を。毎秒24連射のとんでもないサブマシンガンだ。 『いくら格闘技が強くても、こいつを避けられないだろう! 死ね!』 キレた口調で銃口をオレに向け、トリガーを引き絞るゼーニッツ。銃弾が迸るが……所詮、直線的な攻撃しか出来ない兵器だ。奴の反射速度を上回る横移動で、一気に銃弾の雨を回避しようと加速する。 『チィッ!』 銃の反動を腕力で押さえ込み、なんとかゼーニッツはオレを撃ち殺そうとする。しかし甘い。この程度でオレが殺せると思ったら大間違いだ。 バチン! と音がして、弾の発射音が途切れた。どうやら残弾を全て撃ち尽くしたらしい。まあ、所詮は36発入りのマガジン。フルオートで射撃をしたら、1.5秒で弾丸が尽きる。 『チィッ!』 不利を悟って逃げようとするゼーニッツだが……後ろを見せたスキを逃さず、ベルトのバックルに偽装していた投げナイフを全力で投げつけた。 『ぐぁっ!』 狙いあたわずナイフはゼーニッツの右足を刺し貫く。奴は忌々しげにナイフを抜くと、憎悪に歪んだ視線をオレに向けた。 『俺は……俺は最強の“プラン12”だぞ!? それが、貴様のような男に……!』 『ほざくな、貧弱な“まがい物”が』 オレは奴を冷たく睨み付け、刀を突きつける。鈍く光る刀身が、恐怖に歪んだゼーニッツの顔を写した。だがその表情は、すぐ怒りへと変る。 『ふざけるな……人間ごときが!』 言うが早いか凄まじいスピードで、闘いを見守っていた才堂に襲いかかる。オレが倒せないなら、せめてオレの仲間だけでも倒そうという魂胆か。 ……哀れな男め。才堂の実力を過小評価しているらしい。 「ふっ!」 気合一閃。猛烈な勢いの突きを紙一重で回避した才堂は、そのまま突き出されたままの相手の腕を取ると一本背負いをかけた。オレでさえ、残像が見えるほどのスピードで。 どがぁっ! コンクリートが悲鳴をあげる。背中から叩きつけられたゼーニッツは、苦悶の表情でオレたち二人を睨みつけた。 その視線を受け流すと、オレは冷笑を浮かべて口を開く。 『まったく……迷惑なんだよ、貴様ごときクズが好き勝手有頂天に吠えまわると』 ダメージで動けないゼーニッツへ、オレはゆっくりと歩み寄る。 『信念もモラルも正義も無く、ただ命じられるままに人を殺す』 ギリッ、と刀の柄を握り締め…… 『刀が効かなければ銃を使い、弾が切れると敵に背を向ける』 その刀身を振り上げる。 『揚句の果てに、逃げ切れなければ女性を殺そうとしやがった』 『う……うおおああああっ!』 絶叫をあげて裾に仕込まれていたナイフを抜き、ゼーニッツはオレに斬りかかるが…… ドン! 衝撃音と共に、彼の体は唐竹に叩き割られていた。叩き割ったのは……当然オレだ。こいつを殺すのは、オレたち『同類』の仕事だから。他の誰にも、譲るわけにはいかない。 彼が首にかけていた十字架が、砕け散る。ビルとビルの間に差し込む秋の光を受けて、まるで妖精の鱗粉のように輝いた。 『同類の恥は、同類が償おう。だが、しかし……貴様はそれでも“プラン12”……いや、“12使徒”の端くれか? 恥を知れ!!』 一息に憤りの言葉を口にしてから、オレはどうしようもない喪失感を感じた。だが……今はそんなものを感じている暇はない。 『……おやすみ、ゼーニッツ』 それが、死にゆく者への別れの言葉だった。 「よかったの、兵衛君?」 二つになったゼーニッツを見ろし、多少辛そうな声で尋ねる才堂。オレは笑顔を作ると、 「これでいいんだ」 そう答えた。 「さて、瞬たちのところへ行こう。存外に苦戦しているかもしれないからな」 「……そうね」 二人してうなずくと、一気に走り出す。ちらりと後ろを一瞥すると、その場所には二つに断たれたゼーニッツの亡骸と、気絶したままの黒服たちのみが残されていた。 心が痛むが……自業自得と思ってもらおう。 路地裏を、オレたちは走る。瞬たちを探して。 とはいっても、別に見当無しで走っているわけではなかった。衛星から信号をキャッチして目標がどこにいるのか知らせる機器……つまりは『GPS搭載デジタルマップ』をオレは持っていたのだから。 「兵衛君……。そんなもの、何処で手に入れたの?」 横からデジタル画面を覗き込みつつ、不思議そうに才堂が尋ねる。 「当然、瞬から。奴の人脈……と言うか、奴が父親から引き継いだ人脈は、自衛隊にも繋がっているみたいでな。こういう『便利な小物』を買ったりもらったりすることがあるらしい」 さすがに銃火器は買っていないと思いたい。 「ふ〜ん……。便利な人ね」 「まあな」 「ところで……“12使徒”って、何?」 才堂の唐突な問い。あやうくオレはすっ転ぶところだった。 「なんだ、突然!?」 「だって……重要なことなんでしょ? ゼーニッツがその名前……彼は“プラン12”って言っていたけど……を口にしてから、あなたの雰囲気が全く別ものになったもの」 ……才堂も英語が喋れたのか……。 気がついた時には、後のまつり。こうなれば……誤魔化すしかない! 「そうそう、誤魔化そうとしてもダメだからね」 びしっ! と指を突きつけて言う彼女。こりゃあ……適度に情報を与えて納得させるしかないな。 「分かった、分かった。後で教えてやるからな」 とりあえず才堂の追求を黙らせておいて、ひたすら路地裏を走る。マップが示す地点はかなり近い。 そしてオレと才堂は、さしたる苦労をせず瞬たちの元へと辿りつく。 だが……すでに勝敗は決していた。 死屍累々と横たわる黒服たちと、腰を抜かしてへたり込んでいるリーダー。 「……走らなくてよかったな」 「そうね……」 ちょっとがっかりしているオレたちに、木刀を手に平然と立っている瞬は手をあげて挨拶した。 「遅かったな、二人とも」 「そうですねぇ。もっと速く来てくれたら、樂できたのにぃ……」 「わたし、もうヘロヘロですよ……」 ナイフを両手に構え、肩で息をしているメリルちゃん。ナックルを両手に装着し、片膝をついてぐったりしている梢ちゃん。 二人の抗議の視線を受けて、オレは知らぬうちに一歩あとずさっていた。 「……あれ? そういえば、バルバロッサは?」 周りを見回した才堂が、ふと今回のケンカの原因となってしまった少年の行方を尋ねる。 「それなら、あそこだ」 瞬の視線を追って行くと、電柱の影で怯えているバルバロッサの姿があった。 「全員無事みたいだな。……で、こいつらはどうする?」 リーダーを指差し、瞬に尋ねる。彼は冷笑すると、 「屍山血河を築く私に、この程度の戦力が相手になると思っていたのか? 下らん」 スラァッ、と木刀を模した鞘から刀を引き抜きつつ、リーダーに厳かな声で言う。その目つきはひどく危険なものを湛えていた。殺意……ではない。あえて言うなら……喜びか? さすがは辻斬り抜刀斎。オレたちとは一線を隔しているねぇ。 「兵衛……。今、お前はひどく失礼なこと考えなかったか?」 「いいや、別に」 内心、ドキドキした。瞬は人の心が読めるのか? ……オレの顔に、考えたことが出ただけかも知れないが。 「さて……殺すか」 「ちょっと待て瞬。こんな小者、殺す必要はないのではないか?」 突然の瞬の暴言。彼を止めようと口を開いてみるが、彼はまったく表情を変えずにニヤリと笑ったまま答える。 「ならば、こいつをどうする? 我々は顔を見られた。次は何を持ち出すか分からんぞ」 「持ち出すって……何をだよ?」 ためしに尋ねてみると、 「例えば対戦車ミサイルとかだな」 という答えが帰ってきた。 「ホントに持ち出すの? おじさん」 才堂がへたり込んでいるリーダーの顔を覗き込みながら尋ねる。 「わ、わわ……我々の組織力を持てば、そのくらい……」 今のセリフの真意がわかった。『私のバックには巨大な組織がついている。だから、見逃せ』ということだろう。しかし……気になるのは、その『組織』である。 「貴様……今、『組織』と言ったな。『組織』と。その名前を答えてもらおう。嫌ならば、痛みでショック死するまで両手両足を5寸に刻んでやろう」 オレが尋ねるより早く、瞬が危険な笑顔で奴に質問した。むろん、目は笑っていない。 「い、命だけは……」 「お前に選択権は無い」 あっさりと言い切られて、男の顔色が見る見る白くなった。 「わ……分かった。俺たちの所属する組織は、『ホーリー・クロイツ』……だ。本部はド」 ドスッ。 まるでスイカに穴が空くような音がして、男の体が殴られでもしたかのように仰け反る。そして……彼は二度と動かなかった。 眉間には、小さく丸い空洞が空いている。おそらくは何者かに狙撃されたのだろう。音がしなかったという事は……サイレンサー装着のライフルを使ったのか。 弾痕から狙撃手の位置を予想して、死角となる場所に一同を連れて避難する。だが、第2射を告げる着弾音はしなかった。 「……一体……何が起こっているの……?」 呆然とつぶやく梢ちゃん。だが、それに答えることが出来る者は、いなかった……。 1850時 調布市泉川駅付近 気温が高いと言っても、それは昼間の話。すでに天を朱色へ染める太陽は地平の彼方へ落ち、宵闇がすぐそこまで迫っていた。 「明日は雨かな……」 駅へ行く道すがら。歩く足を止めて空を見上げたオレは、ふと呟いた。『夕焼けが綺麗に見えたら、明日は雨』という豆知識があるのだ。……いや、雨じゃなく曇りだったか? 「綺麗な空ね」 オレの隣りで足を止め、才堂も小さく呟く。 二人は空が闇色になるまで、ずっと空を見上げていた。やがて太陽の明りさえ届かなくなり、あちこちの街灯が明りを灯しだす。 「ねえ、兵衛君」 ゆっくりと歩き出しながら、才堂は口を開いた。 「……なんだ?」 「約束したわよね? “12使徒”って何なのか?」 やっぱり覚えていたか。 誤魔化そうとしてもダメだろうし……仕方がない。 「……誰にも、言うなよ……」 その時のオレの声は、自分で聞いても凄まじく重い響きを持っていた。才堂もこの時ばかりは神妙な顔をしてうなずく。 「“12使徒”っていうものは……言わば『人類強化計画』のことさ。人間の能力を根底から引き上げるってことだね」 「…………SF?」 「違う」 「嘘臭いわよ? そもそも、どうやって人間を強化するの?」 不思議そうに言ってから、彼女はあることに気付いたようだ。ゆっくりと、その言葉を口に出す。 「……遺伝子操作?」 「御名答」 ニヤリと笑ってから、オレは“12使徒”の事を語り出した。 つまり“12使徒”とは、人為的に人間の能力を強化した『人型生物兵器』なのだ。初期は薬物や機械に頼っていたが、人間は薬物を打ち続ければ薬物に耐性ができてしまうし、機械はちょっとしたことで誤作動を起したりする。 そういう事情で、『既存の人類を強化』という発想から『強化された新人類を作る』という発想へと転換したのだ。 「……つまり、何? あのゼーニッツとかいう男は、厳密に言えば人間じゃなかったってこと?」 「ああ。“12使徒”自称しているくらいだから、間違いないだろう」 それどころかあいつは、自分が人間で無い事を誇りにさえ思っていたようだ。 「……兵衛君も人間じゃないわけ?」 「なんでそうなる?」 思わず聞き返すオレに、才堂は勝ち誇った笑みを浮かべて言った。 「だってあなた、『同類の恥は同類で』って言ったでしょ? つまりあなたはゼーニッツの同類……つまりは“12使徒”ってことよね?」 …………。仕方がない。 オレは道化の芝居を止めて、才堂へ厳しい声で宣告した。 「才堂。分かってはいると思うが、誰にも言うなよ? もし言った場合は……命の保証をしない」 「……どうして?」 臨戦体勢をとりつつ尋ねる彼女。だがオレは構えなど取らず、夜空を見上げてつぶやいた。 「オレたちは本来、『存在してはいけない生物』だ。そんなものが在るという情報は、できる限り抑えておきたい。全てが終わったなら、『“12使徒”など存在していなかった』と思えるほどにな」 「それってつまり……。“12使徒”を作った組織を滅ぼしたら、あなたも消えるってこと?」 どうなるかは分からないが……そうなるかもしれない。だが、今は…… 「さあ……どうだろうな」 そう答えるしかなかった。どうなるのかなんて、まだ分からないのだから。 しばしの沈黙。 夜空から才堂へ視線を移すと、オレはぽつりと言った。 「……お前の手に負えない事件が起こったなら、呼んでくれ。オレも力になる」 「いいの?」 「構わない。そのかわり、“12使徒”については他言無用だからな。絶対に、誰にも、話すな」 クギを刺すが彼女は鬱陶しそうに手を振ると、 「大丈夫よ。これでも情報屋をやっていたりするんだから。こう言う仕事は信用第一だし……ね?」 「そうだな」 苦笑して答えると、二人はどちらともなく歩き出した。 それは、残暑の厳しい秋の物語だった。 |
後書き どうも、βです。 『光と闇のショウダウン』の後書きで予告した通り、兵衛君が主人公のSSを書き上げました。 まだ色々と伏線が残っていますが、私のSSのキーとなる“12使徒”についての説明が入りましたね。兵衛が説明したのが全てではないのですが、だんだん物語が核心へと近付きつつあります。 次は私のSSで最も影の薄い京君が主人公のSSを書こうと思っているのですが……大丈夫かなぁ。彼ってマトモな分類に入るので、フルメタではちょっと使いにくいんですよ。別に無個性ってワケでもないのですが……。まあ、なんとか頑張ってみますね。登録したからには、彼にも見せ場を作らないと……。 なにせ彼は、正樹殿にも『実は京って、不幸?』と尋ねられたくらいですから。これも一重に私の責任です。 ぁ、それからオリキャラを貸してくださった柳生殿、ありがとうございました。どこまで柳生殿の『才堂紅葉像』を壊さずに書けたのかは分かりませんが……『うぐぅ』で『ぐはぁ』な出来だったら、勘弁して下さい。 それでは、また次回に会いましょう。 2000年12月29日 0223時 βブースト |
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