これからを予感させる喧騒。 始まる一日に期待と若干の不安が入り混じる朝の登校時間。 御徒町瀬名はいつもと変わらぬ光景の中を、早足で教室へと向かう。 薄汚れた廊下だったが、掃除をしているな、という感じは伺えた。 すれ違う友人に声をかけながら、自分の教室――2年2組――の扉を開く。 「うぃーっす」 自分の席に鞄を放り投げ、窓際へ。 「お疲れー、東海林。今日も朝練か? 大変だなあ」 瀬名の声に、机に突っ伏していた女生徒が体を起こす。 「おはよ。何?」 ハンサムという形容がピッタリの彼女――東海林未亜――は、まどろみを邪魔されて少し不機嫌そうに言う。 「伯爵って知ってるか?」 彼女のそんな態度には気づかず、瀬名は話を切り出す。 「伯爵? なにそれ」 「近頃、学校帰りに変なのが多いだろ? 陣代の辺りでも出るらしいんだ。 それで、先週あたりからチカンに遭った女の子たちが言ってる言葉が『伯爵』だよ。 きっと、馬頭よりもとんでもねえチカンなんだろうよ。 東海林も気をつけろよ」 「あー、うん」 そこで担任が教室に入ってきて、瀬名は自分の席へと戻った。
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「うあ、もうこんな時間っ!」 未亜がバスケ部の練習を終え、帰路についたのはそろそろ8時になろうかという時刻だった。 一抱えでは足りなさそう大型のスポーツバッグを肩にかけ、未亜は小走りで家路を急ぐ。 今日は見たいドラマがあるのだ。 先週では「当て馬」役の女優がさんざんな目に遭っていたが、今週はどうなるだろう? そんなことを考えていると、前の路地からゆらりと細長い男が姿を現した。 明らかに怪しい。 誰にともなく話かけているようで、ぶつぶつと呟いている。 (関わらないほうが良いわね。) 瞬時にそう判断を下し、男を迂回するように反対側のガードレールに寄り、早足で過ぎ去ろうとした瞬間―― 「4番オッケー!!」 突然男が雄たけびをあげ、未亜の前を遮るようにして横移動してくる。 カニのように動いているのに、信じられない速さだ。 関節がないのかもしれない。 雄たけび→進路妨害→チカン!! 「あ、あたしは4番じゃないわよ!!」 パニック寸前の頭はどうでも良いことを未亜にしゃべらせる。 すっかり恐慌状態の未亜に男がじりじりとにじり寄る。 「ディーフェンス! ディーフェンス!」 またしても雄たけびをあげ、カニ歩きでカサカサと左右に移動する。 「い、いやああああ!!」 スポーツバッグで相手を牽制しながら、未亜は背中を向けて逃げ出す。 「ゲッター・イリュージョン! ハッハッハァ!」 意味不明の言葉を叫びながら、男は未亜のバッグ攻撃を避ける。 全力疾走で逃げる未亜を男がやはりカニ走りで追う。 恐ろしい速さだった。 練習後とはいえ俊足の未亜を追いかけ、その差が徐々に縮まっていく。 「いやああ! 誰か、助けてくださ! チカ、チカンです!!」 「ラン&ガンで速攻かぁ!!」 未亜の悲鳴に応えるように男がまた叫ぶ。 肩越しに振り返ると、男はもう手の届く範囲にまで接近してきていた。 捕まる→大変なことになる→そんなのヤ!! 「やだぁっ、おかぁさあん!!」 何度目かの悲鳴をあげた瞬間――どん、と何かに激しくぶつかり、未亜はアスファルトに吹き飛ばされる。 「今度はなによぉ。もうヤダァ」 半泣き状態でぶつかった物を見遣った未亜は自分の目を疑った。 自分がぶつかったのは壁や看板ではなく『伯爵』だった。 上品な燕尾服に身を包み、手には黒塗りのステッキを持っている。 その顔は屈強で、白くたくわえた髭が印象的だった。 『伯爵』は未亜を追いかけてきた変質者を手に持ったステッキでこっぴどく打ち据え、 あまつさえ担ぎ上げてノーザンライト・ボムでとどめを刺していた。 コレは夢ね。そう夢よ。しかもサイテーの夢。 心 の中でそう繰り返しながら、未亜は気を失った。
「……あ。……未亜。東海林未亜ってばよ。おい、生きてっかー?」 頬を叩かれる感触に、徐々に意識が覚醒する。 「……御徒町?」 「起きたか。こんなとこで寝てると襲われるぞ? どうかしたのか?」 「あ、別に――」 「まあいいや。もう遅いし送ってくよ。家こっちだろ?」 「あー、うん。よろしく」
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太平洋の南にある地図にない島『メリダ島』 ここは『ミスリル』の南太平洋基地だった。 いくつもあるブリーフィング・ルームの一室に彼はいた。 「失礼します」 大柄な体つきに岩のような筋肉。 屈強な顔立ちは、まさに歴戦の戦士のそれだった。 彼の前にはまだ15歳を過ぎたあたりのアッシュ・ブロンドの髪が美しい少女がいた。 「只今戻りました。なにか変わったことはありましたか、大佐」 「いいえ、特に。今はどこも勢力が拮抗しているようです。目立った事件はありません。 それより、休暇はどうでしたか? 一週間なんて久しぶりだったんじゃないですか?」 「はい。日本へ行っていました。実に有意義な休暇となりました。感謝します」 「カリーニンさん、そのステッキはなんですか?」 「ああ、コレですか。なんでもありませんよ」 そう言ってカリーニンは自慢の髭をなでつけていた。
<完?>
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