ORACULAR‐WINGS■
 ■振り切るべきホールド・バック■


 青空に光る太陽。
 夏が近付いているが未だにセミは鳴いておらず、この山の中は静けさを保っている。
 そんな静けさの下。何本もの木が生い茂るその山の中を、一振りの刀を手に走っている少年がいる。
 小柄な体に紺色の胴着と袴の姿。顔付きは優男風なのだが、言い知れぬ闘志をそのままあらわしている漆黒の眼と、右手に持つ銀色に閃く刀が、彼が只者ではないことを思わせる。
 持っている刀の丈は三尺九寸と、普通の日本刀よりも少し長い。白木の柄の先端には、何重かに編み上げられた麻の紐が巻かれていた。腰の袴に帯びられている鞘も、見た感じ白木のようである。
「…………」
 少年の走る先は、継承者であるのに未だにできないままでいる、自分が属す流派の『奥義』を会得するための場所である。
 周囲の木々を避け、自分が走る前に現れる小さな木の葉を全て切り払っていき……そして辿り着いた先は、広い河原だった。視界が一気に開けたのもあってか、少年が一直線に向こう岸にある物を睨みつけていた。
 河原にある小川の向こう岸には……刃物でいくつか傷ついた跡がある大岩がどっしりと構えている。その岩の傷は、今まで重ねてきた彼の修行の数々を物語っていた。流派の『奥義』を未だに会得できていないことも含めて、であるが。
 老師……俺に力をくれ。この奥義を会得するための、力を!
「イヤアアアアァッ!!」
 強く念じ、少年は雄叫びをあげる。
 小川の上を、水しぶきをあげながら駆け抜け……大岩との間合が彼の剣の結界に達した時、その小さな身体は一気に高く跳躍していた。
 飛躍された敏捷性と跳躍力。
 それは――数百年前から続き、その名が歴史の表に出ることのない少数剣術流派[豪槌(ごうつい)流剣術]の特徴である。
 特有の敏捷性で生じる速さから瞬間的な威力を引き出す、もしくは跳躍力から生じる高さを生かして敵を叩き伏せる型が主流である。
 剣術における通常の型ももちろんあるが、この前者の二通りの攻撃が、何よりもこの剣術の真骨頂であり……特にこの跳躍からの攻撃が、『奥義』が最も威力を発揮する型なのである。
 今、その『奥義』を会得するために、この少年――鐘鳴江笊(かねなり えす)は、事に臨んでいる。
 江笊は高さ二メートル半はあろう大岩よりも高く跳躍し、自分持つ白木の刀――先祖代々に伝わる流派皆伝の証の神剣[豪槌]を、両手持ちで振り上げる。
 だがそこで、一瞬の迷いがでてくる。
 ――俺は本当に、この岩が斬れるのか、と。
 流派の継承が決まってから一年と少し。
 剣術の師である祖父の原因不明の失踪時から、奥義を会得するための修行を行っているが……どうしても振り切れない迷いが、彼の心の奥底にある。
 そしてそれが、江笊の未だに奥義を会得できないでいる要因でもあった。
「くっ……」
 結局、江笊は剣を振り下ろせぬままその大岩の上に着地し、沈痛な表情で自分の拳を岩に叩きつけた。

 鐘鳴江笊は陣代高校の二年生である。
 平日は学業に精を込めており、休日である土曜日の午後から日曜日までは、一泊二日でこの山に行き、早く[豪槌流剣術]継承者の名の恥じぬ剣士となるため、剣術の鍛錬を行っている。
 どうすれば……俺は、この迷いを振り払える?
 今の江笊は目を閉じ、この静かな竹薮の中で精神を統一し、迷いについて考えることに集中していた。迷いを一気に振り切ることではなく、そのきっかけさえ掴めさえすればどうにかなるかも知れないのだが……。
「……ん?」
 ――そこで、何やら複数の声が聞こえきて、その集中を霧散霧消させた。
 結構遠いが、少し吹いてくる風がその声をここまで運んできたのかもしれない。それは……一人の男の罵声と、それに対してヒイヒイと悲鳴をあげている十数人の男の声だろうか。
 何だ……?
 少し気になる。
 閉じていた目をゆっくりと開け、その声のする方向へと、江笊は歩を進めることにした。

 向かうにつれて、聞こえてくる声がだんだんとはっきりしてきた。そして、遠目ではあるがその声達の主も確認できてきた。
 そこには……迷彩柄の服を着た男達が、泣きそうに顔を歪ませて、丸太を担いで走っていた。
「あれは……」
 確か、自分の通っている陣代高校のラグビー部だ。小心者の集まりで、ここ最近は試合に勝利しておらず、近々行われる試合に敗北すると廃部になると、同じクラスの友人である榊洋和に聞いた事がある。
 次の試合に向けての訓練か? しかし、ラグビーとは関係がないような気がするが……。
 江笊はそんなことを思いながら、その風景に少しだけ見入っていた。ちょっとした気分転換のつもりである。
 そこで、併走している同じく迷彩柄の服を着た少年が、その男達を何やら罵倒しているのが聞こえた。
「―――――っ!」
 その罵声内容を聞いて、江笊は閉口しながら一歩退いた。その少年は『放送禁止用語』を連発して、ラグビー部の部員達を罵っているのだ。
「……な、なんという下劣な……む、あいつは……」
 これは、榊洋和から聞かなくても自分でわかる。あの少年は、確か四月に陣代高校に転入してきた少年で、銃器やら爆発物など周りの迷惑お構いなしで振り回すことですっかり有名になっている陣代高校の問題児、相良宗介だ。
「何をやっているのだ……あいつは……?」
 江笊は怪訝に思う。あの男がラグビー部に入ったと言う噂は、まるで聞いていないのだが……。
 そこで、この訓練に耐えかねたのか、ラグビー部員の一人が地面に倒れ臥した。宗介はその一人に駆け寄り、余計にその男を罵っている。広●がどうやら、そんな感じの罵声が聞こえたような気がした。
 罵られたその男は泣きそうな顔で宗介に掴みかかろうとするが、彼はひょいとその身をかわして、男を蹴り倒す。そしてまた散々罵倒する。散々罵倒されたその男は、悔しそうな顔をしながらも丸太を担ぎなおして訓練を再開する。
「…………」
 江笊は少し首を傾げた。風向きが変わって言葉の内容が聞こえなくなったが、かなりひどい罵声であることは見ていてもわかる。自分には気弱な妹がいるのでよく知っていることなのだが、小心者や軟弱者であるならば普通、それだけの事をされたらすぐにいじけてしまいそうな物なのだが……違った。
「……ふむ」
 恐らく……宗介が根本的から鍛え上げているのだろうと、江笊は見解した。この風景は、昔、祖父に自分が特別修練させられた時のことがよく思い出される。
 俺も……よくこの山で、老師に厳しく鍛えられたことがあったな……。
 今、あいつが使っているような『放送禁止用語』で罵られてはいないが、と心の底で付け加えておく。
 迷い云々を考えるでなく、自分の心そのものに何かを求めるのも……手なのかも知れん。
「む……そろそろ山を降りる時間か……」
 ふと空を見ると、夕暮れが近付いてきていた。ラグビー部の訓練は未だに続いているが、いつまでも見物しているわけには行かない。そろそろ山を降りないと、夜にまでに家に帰れなくなる。
 少し気になるところだが、江笊はきびすを返して山を降りる準備を始めた。

 友人の榊洋和から聞いておいたラグビー部の試合当日。
 あのラグビー部と相良宗介の事が何故か気になった江笊は、その試合の観戦に行くことにした。その試合場に着いたのは、試合開始五分前の時刻だった。
 まだ陣代のラグビー部員達は来ていない。グラウンドにいる硝子山高校のいかついラグビー部員達は、それを嘲るように笑い飛ばしている。
 ……来ないのか?
 そう、江笊は一瞬思ったのだが……野戦服姿のラグビー部員達と相良宗介が、山からそのままやってきた感じでこのグラウンドに現れた。
 何やら、全員殺気立っている。
「……?」
 そして、宗介が何かを号令すると、ラグビー部員達は『殺せ!』だの、『ガンホー!』だの、獰猛に吼えていた。
 な、なんだ……これが、あの軟弱者の集まりだとも言われたラグビー部か? 全然ギャップが違うではないのか……?

 その後のラグビーの試合は、普段こんなリアクションを取らせない江笊を、見事に戦慄させていた。相良宗介は試合開始早々に退場したようだが……このラグビー部員達の変貌ぶりは、この男が原因であろうことが一瞬でわかる。
 あいつは……このラグビー部員達の『甘さ』をなくすことによって、こういう風に精神面で『強さ』を持たせたというのか。
 あの変貌はかなり間違っているが、『甘さ』をなくすことについては少し教えられた気がする。
 そうだ……本当に斬れるのかなどと、考えるな。その迷い自体が俺の『甘さ』なのだ……迷いで自分らしさを無くす、俺の心こそが。あの軟弱者の集まりだって、根本的に『甘さ』をなくせばこうやって『強さ』を持てるはずだ。
 少しかたく考えていた江笊だが、今の自分だと迷いを振り払える気がした。そして、ラグビー部員達が相手校の選手を『放送禁止用語』で罵倒しているのを聞き流しつつ、彼は足早にここを離れた。

 晴天の青空は、徐々に巡ってくる夏を思わせる。
 セミも活動を始め、山は大量の鳴き声に包まれている。
 だが、その静けさを破られていても、一振りの刀を手に走る少年――鐘鳴江笊の走る足には、何の変わりも見られない。
 周囲の木々を避け、自分の走る道の前に現れる小さな木の葉を全て切り払っていき……そして、奥義会得のための場所にやってきた。
 俺は負けん……この剣を振る者は正しいはずだ。そして――

 正しい者は強くなくてはならない!

「はあああああっ!」
 江笊は雄叫びを上げた。
 小川の上を水しぶきをあげながら駆け抜け、標的の大岩の間合に達した所で、高二メートル半以上ある大岩よりもさらに高く跳躍。神剣[豪槌]を振り上げ、自分自身の全てをこの刀に込める。

 ……迷いなどない。
 俺には、この岩が斬れる!

「奥義……豪刀斬武(ごうとうざんぶ)!」
 気迫と共に繰り出される、銀色の一閃。
 その一秒後に、いつまでも彼が斬れないでいた傷だらけの大岩は、ものの見事に鋭く縦に真っ二つになっていた。
「できた……」
 息を切らせて肩を上下させながら、茫然と呟く。
 遂に、自分はやりとげたのだ。この剣術の奥義の会得を。
 江笊は、自分の『甘さ』をなくすきっかけを、直接的でないにしろ与えてくれた相良宗介のことをふと思い浮かべた。
 相良宗介……わからん男だ。正しいか正しくないかもわからん。しかし……これだけは言える。
 奴もまた強い。
 奴の強さが正しいかどうかは……いつか必ず、俺のこの剣でが確かめてやる。
 鐘鳴江笊は少しだけフッと穏やかに笑みを浮かべ、神剣[豪槌]を白木の鞘に収めながら、山を降りるための準備を始めた。



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