ORACULAR‐WINGS■
 ■気弱なウイング・ガール■     


「きゃっ……!」
 雨音が微かに響いている道場の中を、小さな悲鳴がこだました。
 数秒後に、紺色の胴着と袴姿である小柄な少女がぺたんと尻餅をつく。
「勝負あり……それまでだ」
 その少女より少し高いが、平均的にはやはり背の小さい少年の、物静かで――闘志のこもった声が向けられた。その瞬間、少女の背後に中空に弾き飛ばされていた竹刀が『カシャン』という乾いた音と共に道場の床に落ちる。
 それと共に、相手の少年は尻餅をついている自分の額に竹刀を突きつけきていた。
「いたたた……」
 少女はしびれる手をさすりながら、自分に竹刀を向けている相手を見上げる。見上げるその気弱そうな瞳には、少しだけ涙が浮かんでいた。
「え、江笊……もうちょっと、手加減してよ……」
「手加減はしている。奥義を温存している時点で、充分な手加減だ」
「で、でも……」
「……おまえ最近、剣の腕が落ちているぞ」
 竹刀を突きつけるのをやめて、少年は少し『やれやれ』とした風に嘆息しながら言う。
「ご、ごめんなさい……」
 と、少女は反射的に謝っていた。これに、少年は少しだけ冷めた視線を向けてくる。何かうんざりしたような、そんな表情だ。
「……その、すぐ謝る癖はやめろ」
「ごめんなさい……」
「…………」
 嘆息。
 そのうんざりそのままの表情で、少年は振り返って道場の出口に向かって歩き出した。
「え、江笊……?」
「……今回の朝稽古はここまでだ。今日は雨が降っているから、少し早めに学校へ行く支度をするぞ、有羽」
「う、うん……」
 有羽と呼ばれた少女――鐘鳴有羽(かねなり ゆう)は、慌ててよたよたと立ち上がった。

                     ▼

 七月に入って、この夏の暑さは徐々に深まりを見せている。
 だが今日は、教室の窓の外は大雨と言っていいほどどしゃ降りの雨が続いていた。梅雨はもう終わったものかと思われていたが、この雨がそれを否定しているような気がする。
 まったく、うっとうしい雨……。
 稲葉瑞樹はもうすぐ終わる五時間目の授業を受けながら、窓際の席でその心情そのままの眼で外を見ていた。教室内は何かと湿度があって蒸し暑く、彼女の不快指数は溜まる一方のようである。
 ――次の授業は体育……か。
 こんな雨の日に体育――しかも今日の曜日の担当の体育先生は、あのバスケ部の顧問だから、競技はほとんど体育館でバスケであろう。ついでに、そうとなったら絶対試合形式だ。
 つい最近パスが上手くなってきたとはいえ、この競技がまだ苦手であることは変わりない。ついでに、バスケ部の副部長である東海林未亜は、味方に回っても敵に回っても、自分にとって嫌な存在であることに変わりなかった。
 球技大会では何やら欠席していたようだが、それ以降は何かが吹っ切れたかのようにその競技に厳しくなっている。敵に回ったら確実に負けるに違いないし、味方に回ったら回ったで、またいろいろ言われるに違いない。
 あー、もうっ! どっちにしてもあたしが悔しくなるに違いないじゃない!
 少しイライラした気分になった時、いつのまにか使っている消しゴムが床に落ちているのを見た。それにも少し苛立ちながら、落ちた消しゴムに手を伸ばそうとした時……誰かがスッとその消しゴムを取ってくれた。
「……?」
 瑞樹は思わずその消しゴムをとってくれた者の顔を見る。それは、彼女の隣席にいる女生徒、鐘鳴有羽だった。
『……ありがと』
 とりあえず、瑞樹は小声で礼を言っておく。これに、有羽は少し脅えたそぶりでわずかに会釈すると、何も言わずに授業への集中を再開した。
 ……ヘンなコね。
 瑞樹は思った。
 鐘鳴有羽の存在を、瑞樹は知らないわけではない。同じクラスの女子だし、彼女とは会話を交わしたこともある。といっても、それといって親しい仲ではないので、その会話は二、三程度ぐらいのものなのだが――
 そういえば……このコ、あんまり目立ってないのよね……。
 ふと思う。だがそう思った途端に、五時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。起立、礼が終わり、二年二組の生徒達は体育の授業のために慌しく移動を始める。
 瑞樹もその移動を始める頃には、さっきまで考えていたことを忘れていた。

                      ▼

 この時間は、八組にも体育がある。そのため、体育館は二組の女子と八組の男子が半面コートで使う。残った二組の男子と八組の女子は、剣道場と柔道場でそれぞれ柔軟体操となっていた。
 柔軟の方がよかったのにな……。
 準備体操が終わった鐘鳴有羽は、自分の髪型である細いポニーテールの止めゴムを結いなおしながら、うろんげに思っていた。
 自分には不得手な球技より、目立たない体操の方が気が楽である。ついでに、体育館のもう半面に……いつも自分に厳しい双子の兄、鐘鳴江笊がいる。
 江笊は、もう半面を使っている八組の男子の一人なのだ。
 自分の情けない場面をあの兄に見せるとなると、余計に気が重くてならない。
「はぁ……」
 有羽はうわのそらで体育の先生の説明を聞き流し、バスケのアップ練習に入った。自分も出場しなければならないから、一応慣らしはしておこう。
「えーと……こうして……」
 もたもたとドリブルしながら、ゴールのリングに駆け寄っていく。そしてそのリングにシュートしようとした時、『ドスン』と誰かにぶつかった。
「あら……?」
 四〇キロもない有羽の体は、いとも簡単に弾き飛ばされてしまう。尻餅をつき、手放されたオレンジのボールがころころと自分の手から離れていく。
「いたたた……ほえ……?」
 ぶつかった相手を見てみると、それは自分よりも一五センチ以上背の高い少女、東海林未亜だった。バスケットボールを手に自分を見下ろす眼は……何故か、とても怖かった。
「練習の邪魔!」
 そして、その怖い視線を向けられたまま未亜にそうぴしゃりと言われて、有羽はすっかり萎縮してしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「……ふん」
 神経質そうに息をしながら、未亜は練習に戻っていく。
「…………」
 少し泣きそうになるのを堪えつつ、とりあえず、有羽は自分から離れていったバスケットボールを取りに行くことにする。しかし――そこで、視線を感じた。
「――江笊……」
 誰にも聞こえぬ声で呟く。
 その視線の主は、今の八組がしている基礎トレーニングである、短距離ダッシュの合間のローテーションで歩いている途中の自分の双子の兄――鐘鳴江笊だった。
「…………」
 どうやら、事の一部始終を見ていたらしいが……やがてプイと振り返り、江笊はまた行われるであろうダッシュの準備をしていた。その隣では、彼の友人で、有羽の数少ない友人でもある榊洋和がひらひらと自分に向かって手を振っているのが見えたが、今の彼女にはそれに応える元気がなかった。
 また……江笊に情けない場面を見せてしまったね……。
 そんなことを思いながらため息をつき、有羽はとぼとぼとボールを持ちながら練習に戻った。

 二組の女子生徒の人数は二十人。だから五人四チーム編成で分けられて、前半の二チームと後半の二チームで、それぞれ制限時間十二分で試合される。審判は担当の体育教師がやるので、試合形式も公式の物とあまり変わりなくされており、反則もちゃんと取るなど結構本格的なものだ。
 有羽のチームは後半の試合になっている。その対戦相手をするチームには、あの東海林未亜がいた。
「…………」
 前半の二チームの対戦をコートの外の床に座って見ながら、有羽は少し憂鬱な表情をしていた。バスケ部の副部長である未亜が相手では、ほとんどの確率で負けてしまうだろう。
『……はぁ』
 と、ため息が重なった。有羽はこれに少し驚きながら、自分と同時にため息をした人物をちらりと見る。隣には偶然、稲葉瑞樹が座っていた。
 どうやら、自分とは同じチームであるらしい。
「…………」
「…………」
 沈黙。その中で、前半二チームの試合は続く。
「……あんたも、イヤなの?」
 そこで、瑞樹から自分に声をかけて来た。
「え……」
 有羽はこれにもまた驚いたが……瑞樹はその様子に気付かないまま、言葉を続ける。
「それもそうよね。あたしったらまたあいつに負けて、いろいろバカにされたようなコト言われ続けるのよ……まったく、もう……」
「あ、あの……」
 少しなげやりになっている瑞樹の愚痴に、有羽は反射的に話し掛けていた。
「……何よ?」
「え……えーと……努力すれば勝てると……思うんですけど……」
「…………」
 瑞樹は彼女をうんざりするかのような眼で見て、疲れたように口元だけ笑わせた。
「ふーん……そうねぇ……努力すればね……」
「そ、そうです。努力すればきっと……」
「バカ」
「ほえ……?」
 いきなりそう言われたのに、有羽は驚く以前に呆けてしまった。瑞樹はさっきとは違って、今度はきつい目でそのまま続ける。
「『ほえ』じゃないわよ。あんた、そんなに軽々しく言うけどね。努力したら勝てるなんて、人生そんなにアマいと思ってるワケ?」
「ご、ごめんなさい……」
「ゴメンじゃないわよ、ったく……」
 嘆息された。
 そう言えば、私と話をする人達にはいつも嘆息されているような気が――
「ああ、もう……何とかして、一回でもいいからアイツをぎゃふんと言わすことできないかな……」
 何かと考えているうちに、瑞樹からそんな呟きが漏れる。この呟きに、自分の運動神経の良さが何とか役に立てないかと有羽は思案しようとしたが……。
「……ふっ……」
 そんな自分をどう見たのか、瑞樹は疲れたように笑ってそんなため息をついていた。
「あ、あの……今、思い切り諦めたようなため息つきませんでした……?」
「……そーね、その通りだから否定しないわ。だってあんた小っちゃいし、見るからに引っ込み思案だし……」
 痛いところを突かれる。
「う……ごめんなさい……これは生まれつきで……」
「……それ、改める気ない? 見てるだけでもなんかムカツクわ」
「ご、ごめんなさい……」
「……まず、その謝る癖を改めなさい」
「ごめんなさい……」
「…………」
 あ……も、もしかして、バカだと思われてる……?
 悟った。
 その通り、稲葉瑞樹の自分を見る眼はどこか複雑のようなうんざりしたような、そんな色が見え隠れしていた。そう言えば、今朝にも兄にこれをして、そう言う眼で見られたことがあるのを思い出した。
「ご、ごめんなさい……」
「……もういいわよ……」
 瑞樹はそれきり黙ってしまった。これに何を言ったらいいかわからず、結局有羽もそのまま黙ってしまった。

 有羽達の試合の時間。
 その試合の中で、東海林未亜はかなり気を吐いているのだが――総合力は有羽のチームが上回っていた。未亜のいるチームには、あまり運動神経の良い生徒がいないのだ。
 それによって、未亜がいようがいまいが楽勝ムードで勝てるはずなのだが……有羽が、そのチームの足をかなり引っ張っていたため、今の有羽のチームは負けていた。点差は三点と開いており、残り時間はあと一分である。
 今から巻き返しで勝てる可能性は、はっきり言って薄い。
 コイツ……真面目にやる気あるの?
 暗いヤツ……何であたしが、こんなのとやらなきゃなんないのよ。
 せっかく勝てる試合なのに。
 そういう心の声が、自分に突き刺さる視線から聞こえてきたような気がした。試合中でなければ、彼女はそのチームメイト全員に謝っていたかもしれない。
「……っ……」
 そんな中、稲葉瑞樹がディフェンスの隙を突いて相手のゴールリングにシュートをしようとしたところで、相手からファウルを受けた。
「ディフェンス、プッシング!」
 審判の宣告。
 フリースローをもらうが……数人の守備にかなりの圧力をかけられたらしく、転倒したまま瑞樹は起きられないでいた。
「レフリータイム」
 ここで、時計が止まる。
「だ、大丈夫ですか……?」
 有羽が慌てて彼女を助け起こしにいく。
「いたたた……やっぱり、サイテーよ……こんな競技」
 足を痛めたらしい。瑞樹は目に涙をにじませながら、そんな愚痴をこぼした。これに、有羽は何故か反射的にこの言葉を突いて出させてしまう。
「……ごめんなさい」
「何であんたが謝るのよ……」
「…………」
 有羽はハッと口をつぐむ。また悪い癖が出た。
 その癖を悔やみつつ、顔をうつむかせて、瑞樹から視線をはずすが――
「あんたね……悔しくない?」
 瑞樹が自分の顔の側面を両手で掴み、ぐいっと強引に視線を元に戻させた。
「え……」
「このままやられっぱなしで、悔しくない……?」
「……私は――」
「あたしはもうかなり悔しいわよ。こんなサイテーな競技で、しかもやられっぱなしなんてね」
「…………」
 そして、両手を放す。有羽を支えに立ち上がり、痛む足を引きずってひょこひょこと歩きながら……瑞樹はこれだけを言った。
「悔しいから……あたしは、なにが何でも一矢を報いる」
「……!」
 これを聞いて、彼女は気弱そうなその瞳を見開いた。
 有羽は知っていた。球技大会の前にも、稲葉瑞樹は何とかクラスの役に立とうと一生懸命努力していた。才能がないための悔しさを知っているからだろう。
 それに比べて私は――
 才能はある。球技は苦手だが、普段鍛えてるので運動神経もある。要領を得ればそれを存分に発揮できるはずなのに……自分の小心で諦めてしまって、その才能を発揮しきれないでいる。それは辛く悔しいことだが、瑞樹の感じる辛さや悔しさとは、また違う。
 力があるのに、何もできない。
 そのために、他人にまでにこの悔しい思いを巻き込んでしまう。
 そして何よりも――剣術の腕が落ちてしまって、兄に失望されてしまう。

 そんなの……嫌だよ。

 今の自分にできること。
 それは……ほんの少しでもいい。私は勇気を持たなければならない。
 鐘鳴有羽の気弱そうな瞳に、微弱だが――確かな闘志がこもった。

                     ▼

「……それでいい」
 聞こえるか聞こえないかの呟きが聞こえ、おんぶ走の途中である榊洋和は、現在自分が背負っているその呟きの主、鐘鳴江笊に怪訝に訊いた。
「あ? なんだって、江笊?」
「なんでもない」
 洋和には見えなかったが、背負われている江笊の表情はいくらか穏やかになっていた。

                     ▼

「ツー、ショット」
 ディフェンスのファウルにより、瑞樹のフリースローは二本ある。
 しかし、元からシュートが得意でない上、足を痛めている彼女に良い結果が望めるはずがない。一投目はリングにさえ届かなかった。
 くっ……情けないわね。このくらい、ちゃんと入れなさいよ!
 瑞樹はそんなことを自分に言い聞かせながら、二投目を投じる。……そのフリースローは何とかリングには届いたが、オレンジ色のボールはリングに弾かれるだけだった。
「リバウンドぉっ!」
 東海林未亜が気合い一番、跳躍してその弾かれたボールを取りにいこうとする。しかし、
「……!?」
 自分よりも高く跳躍している影に、未亜は気が付いた。
 その影は相手チームの生徒であり、いつもそのチームの足を引っ張っていた……自分よりも一五センチくらい背の小さな少女。
「!!!」
 その時、このコートにいる人――いや、この体育館中にいる人達がこう錯覚したという。

 高く跳躍するその少女――鐘鳴有羽の背中には……大きな羽が生えている、と。

 空中で、有羽はリングに弾かれたボールを両手でしっかりと掴み、
「やああ……っ!」
 ゴールリングに、そのままボールを叩き込んだ。
『どたんっ』という轟音が鳴り響いた豪快ともいえるそのダンクは、体育館中の空気を静寂にするには充分だった。
「――――」
 こんな背が一五〇センチもない少女が、あんなにも跳んだというのか……!?
 体育館中にいる全員が、自分の目を疑っていた。

                     ▼

 いや……一人だけ、彼女がこんなに跳べる理由を知っている少年がいた。
 無論、彼女の双子の兄、鐘鳴江笊である。
「あいつ……」
 総じて跳躍力が超人的になる[豪槌流剣術]の特性を生かしたな。
 剣とは違って、球ではあいつは小手先なことはできない。しかし……跳んで、球を掴んで、ゴールに『叩き込む』くらいなら、あいつにだってできる。
[豪槌流剣術]の継承者である江笊はフフンと笑い、クラスの他の生徒がじっと立ち尽くしているにも構わず、次に行われるトレーニング、片足跳び走の準備を始めていた。

                     ▼

 結局、そのダンクを最後に試合終了となり、点差が一点残ったまま、有羽のチームは負けてしまった。しかし、負けたながらも、あのダンクで今までの有羽への悪影響が霧散霧消になったどころか、クラスの中の株が一気に上がり、一時的とはいえ人気者になっていた。
「すっご〜い!」
「ねえねえ、どうやったらあんなに跳べるの?」
 HRの終わった放課後。
 有羽はクラスの女生徒に取り巻かれ、あれやこれやと転校生を迎えるかのような質問攻めにあっていた。実は、さっきの体育が終わった着替え中の時も、あれやこれやと騒がれていた。
「え……あ、あの〜……」
 しどろもどろと困っていると、そんな有羽の元に東海林未亜がつかつかと歩いてきた。
「…………」
 彼女は、何とも言えない表情で自分を見下ろしている。
「あ……」 
 やはり、不快に思わせてしまっただろうか? いくら私が[豪槌流剣術]をやっててあんなに跳べるからといって、この人を『跳び越えて』しまうなんて……。
 少しビクビクしながら、有羽は未亜を見上げるが……彼女は少しだけ疲れたように笑い、その頭をポンポンと優しく叩いた。
「ほえ……?」
「鐘鳴さん、あなたには負けたわ」
 それだけ言って、未亜は教室を出ていった。
「…………」
 有羽は、少し茫然とその後ろ姿に見入っていたが――
「ねえねえ!」
「あなたって――」
 また、女生徒による質問攻めが再開される。
「え……あ、いや、あの〜……もうそろそろ帰して〜〜……」
 無差別に投げかけられる質問に、とうとう有羽は小さく悲鳴をあげてしまった。
 結局、鐘鳴有羽がクラスの女生徒の質問攻めから解放されるのは、その三〇分後であった。

 帰りの廊下の途中で、有羽はさっきまで保健室にいた瑞樹に会った。まだ少し痛むのか、彼女は足を引きずっている状態であった。
「あ……稲葉さん、足、大丈夫でしたか?」
「……あんまり大したことないわよ。単にひねっただけだって」
「よかった……」
 大事に至らなかったのを知った途端、有羽はホッとしたように、自分の小さな胸を撫で下ろす。そんな自分を、瑞樹は少し怪訝な眼で見てきた。
「……あんた、ヘンなコよね」
「え……」
「あれ、ホント驚いたわ。もしかして、あんた見かけによらず結構運動神経いいじゃない?」
「…………」
 これに、有羽は答えに詰まる。今まで出していなかったとはいえ、事実ではある。少数剣術流派[豪槌流剣術]に属していれば、総じて体術的な運動神経は良くなるのだから。
「じゃあ……自分の能力、何でそんな出し惜しみすんのよ?」
 詰まる自分を瑞樹は肯定と受け取ったのか、続けて訊いて来た。これには余計に困ってしまう。答えられることといったら、やはり――
「……私……小心者だし……」
「あんまり理由になってないわよ」
 もっともだった。
「……ご、ごめん――」
「ま、いいわ」
「え……?」
「ちょっとすっきりしたわ。どんな形でも、一矢は報いることができたからね……あんたがやったことだけど」
 そう言う瑞樹は、どこか憑き物が落ちたかのようなちょっとした笑みを見せていた。
「稲葉さん……?」
「感謝だけはしとくわ……ありがとう」
「…………」
 ――こうやって彼女に感謝されたことは……とても、嬉しい。一瞬、言いようのない感情が込み上げて溢れ出しかけたが、ここはヘンに思われないためにも、有羽は何とか堪えていた。
「さてと……あたし、そろそろ帰るわ。また明日ね」
 その間にも、瑞樹は足を引きずったまま歩き出そうとする。これにハッとなった有羽は、反射的に声をかけていた。
「あ、あの……」
「……なによ?」
「その……」
 振り返る瑞樹に有羽はまた詰まってしまうが、ここで止まってはいけない。このまま止まってしまうと……また後戻りしてしまいそうな気がするから。
「あの……家までお送り……させていただけませんか? 足、歩きにくそうですし……」
 言うと、瑞樹は少しだけ顔をしかめたが……あまり時間をかけずに、その表情を和らげた。
「……じゃ、今日はちょっと一緒に帰ってくれる? あんたの言う通り、ちょっと困ってたのよ」
「あ……は、はいっ!」
 自分で言っておきながら一瞬だけ茫然となってしまったが……勇気を出したその結果に、有羽は少し目に涙を浮かべながら、慌てて彼女の支えに入っていた。

 ……ま、こういう友達もいいかもね。
 瑞樹はやれやれとした感じで、自分の支えに入る有羽を見ていた。
 今までのこの少女に、友達がいなかったのはわかっていたし……自分からも作る勇気がなかったのだろうということも、さっき理解した。この少女が自分から瑞樹に踏み出してきたのは、大きく進歩したと言うことだ。
 後々で、宗介やカナメにも紹介してやるのもいいかもしれない。このコのすぐ謝る癖をなおしてからだけど。
 そう思うと、銃器を振り回して周りに迷惑をかけまくる学校の問題児、相良宗介の面倒をいつも見ている千鳥かなめの気持ちが、少しわかるような気がする。
 そして何よりも、いつの間にかそんなことを考えている自分と、何故かあの時無意識に必死になっていたのが……試合前に、気弱なこの娘をなんとかしようという思いからであることに気付いた自分に、瑞樹は苦笑した。
「稲葉さん……どうかしたんですか?」
「何でもないわよ。ほら、行くよ」
 こうして、二人は帰路に付いた。どしゃ降りの雨はいつの間にかやんでいた。

 有羽の人気はそんなに続かなかったが、クラスにはすっかり溶け込むことでき、少ないながらも友達もちゃんとできた。もちろん、稲葉瑞樹もその一人だった。

 鐘鳴有羽と稲葉瑞樹の出会いは、そんなものだった。


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