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 ■Dark Crimson■    episode1:我が祈りに響け誓い プロローグ


 父の記憶はない。母の記憶もない。
 物心付いた時には、彼は一人であったし、彼らが何を望んで自分が生まれてきたのかも知る由もなかった。
「強くなりなさい」
 自分を少しだけ懇意にしてくれた里の長は言った。
 彼が4歳の誕生日を迎えた時に贈られた言葉だった。
 贈られたところで嬉しくもなかったし、強くなる方法に見当もつかなかったが、その言葉だけはまるで呪詛のように彼の記憶へと残った。
 里の長が喜びとも悲しみともつかない、奇妙な眼差しで彼を見つめ、涙していた事。その声はくぐもって、耳を済ましていなければ聞こえないほどに小さなつぶやきであった事。彼がこちらを見据え、ゆっくりと窓から町並みへと視線を移し、更に涙していた事。
 里の長はそれ以上は語らなかった。ひょっとしたら、長にとってこの街は神聖な場所だったのかもしれない。里の長が何故そう思っているのかは知らなかったが、自分には正直どうでも良い事だと思った。その里は、自分を絶望的なまでに拒絶していたのだから。
 彼が人として得られた思い出はそれだけ。
 ああ、と彼は本能的に理解した。
 きっと、世界は自分を拒絶しているのだ。
 それが1年前。その拒絶した世界の中、1年後の彼は森の中にいた。


 森を、特に夜の森を歩くには訓練と体力を要する。
 そのどちらも持っていないなら、無闇に動くわけにはいかない。動こうとした途端、見えない木の根に足を取られ、体力を無駄に消耗するだけだ。
 つまり、彼に逃げる術はなかった。
 何故?
 彼は痛む身体を引きずりながらそう思った。というより、そう思うしかなかった。
 確か、いつものように食料になるキノコを探しに森に入っただけのはずだった。それだけで何も変わっていなかったはずだった。
 例え、そこが私有地であったとしても、ここまで陰惨な私刑を受けねばならない咎とは思えなかった。
 全身が酷く痛んでいる。出血は無い様子だったが鈍く痛むのは、内出血を全身至るところに負っているからだろう。既に一部の感覚は痺れ、まともに動く事すら困難だった。
 少年は、僅かに動く首を回して、周りへと視線を向ける。明らかに嫌悪とわかる表情を浮かべ、彼等が――少年に暴行を加えながら――毒づくように漏らすつぶやきは、少年の耳には断片的にしか舞い込んでこなかったくせに、もうろうとしてきた意識の中からいつまでも消えようとはしなかった。
「この化物――」
「人殺しの分際で――」
「あの時に殺しておけば――」
「このままでは里の汚点――」
「化物を飼っているような――」
「化物――」
 化物。
 波紋のように繰り返されるその単語が、自分の事を指しているのだと少年はぼんやりと考えた。
 瞬間、衝撃が彼の腹部を駆け抜ける。彼は、右の脇腹を蹴られたのだと、他人事のように思った。
 転がりながら、視界が切り替わる。自分に暴行を加えている連中の表情が目に付いた。
 ――笑っている。
 彼らは嫌悪の表情を浮かべたまま、少年に暴行を加える瞬間だけ口元をにやけさせていた。
 少年はその笑顔が、酷く醜い物だと思い、そしてそんな事はどうでもいいのだと思い直した。本当にどうでもいいことだ――全てがどうでもいい気がする。自分が生きようが、死んでしまおうがどうでもいい。
「お前なんか死んでしまえ!」
 違う声と共に、視界が揺れる。頭を蹴られたという事実をぼんやりと認識しながら、彼は視線を周りへと向けた。十数人の人間、大人も老人も、男性も女性も――子供だけは何故かいなかったが――こちらをぐるりと取り囲んでいる。
 顛末は簡単だった。
 森に入ってすぐ、彼らに後をつけられさえている事に気付いた。こちらが走り出したら、向こうも走りだし、そして囲まれた。
(もう疲れた……)
 三度の衝撃を受けながら、少年は早く終わってくれることを望んだ。それは、私刑の終着でも良かったし、自分の生命の終焉でもよかった。ただ、少年は疲れていた。
 誰かが罵るような声を上げているが、聞いていられない。そして、答えられない。
 彼は視線を上へと動かした。血と泥に塗れた服が、ズルリと音を立てる。
 その音が聞えたのか、大人達は更に罵詈雑言を浴びせかける。
「ウチの人を返してよ!!」
 四度。衝撃らしき振動を感じる。僅かに残っていたはずの感覚も全て麻痺したのか、不思議と痛みは感じなかった。
 何故?
 本当に何故なのだろう? 彼には解らない。
 何故、彼らは自分を憎む。
 自分が何かしたのか。
 何が「化物」なのか。
 どちらが「化物」なのか。
 彼らの言っている事全てが、全くもって解らない。
 彼は、幼子である少年は、最後までそう呟いて意識を失った。


 時間はそれほどかからなかったように感じる。
 少年は目を覚ました。
「…………痛っ」
 鈍い痛みが、脳髄を駆ける。激痛に耐え、同時に神経が戻っている事に少し安堵しながら、彼は首を動かした。服も、手も、靴すらも血と泥で滅茶苦茶に汚れている。私刑に飽きたのか、或いは彼が死んだと思ったのか、辺りに大人達の姿はなかった。彼は森の中に、一人で倒れていた。
 がさ……
 背後から、草の音。ビクッとして、彼は視線を動かした。そこには、一人の男が立っていた。
 少年は、男が忍者だろうと思った。
 動きやすそうなインナースーツに、様々な道具を収納できるように作られた半袖のジャケットを着込んでいる。忍者の証明である額当てはしていなかったが、そもそもそんな酔狂な格好は忍者でなければ、するのは変態だけだろう。
「忍――者?」
 彼の住む里――『木の葉隠れの里』の憧れ的な職業であるが、男が先ほどまで彼に対して暴行を加えていた人間達、その仲間でないという保障はない。実際、先程まで自分に暴行を加えていた大人達の中にも、忍者の額宛てをつけた人間はいた。
 ただ、例え仲間であったとしても、5歳の自分にはどうしようもない。解ってはいたが、少年は一応警戒して口に出した。
「あなたの名は?」
 唐突に、男が口を開いた。その視線は先ほどから変わらず、冷ややかにこちらを見つめている。
 問答無用に殴りかかってきた先ほどの大人達とは違う。まるで蛇のような目だと思いながらも、少年は大して躊躇いもせずに答えた。
「ナルト……うずまきナルト」
 男は「ほう」と呟き、そのまま続ける。
「あなたは死にかけてたわ」
「え?」
 ナルトは聞き返した。だが、男は気にもせず、更に続ける。
「でも、私が治療した。応急処置しかしてないけど、少なくとも死ぬことはないわ」
「助けて――くれたの? なんで――?」
 ナルトはよろよろと起き上がりつつ、尋ねた。倒れた状態では分からなかったが、あちこちに包帯が巻かれ、薬草特有の青臭い香りが身体から立ち込めている。男は応急処置と言ったが、下手に医者にかかるよりずっと良い治療をしてくれたのではないか。
「アナタは私の役に立つ。だから助けた」
「あの……ありがとう……」
 躊躇いもせずに打算を口にする男に、一応の礼を言っておく。が、ナルトにはその男が礼の言葉を求めているようには思えなかった。
 男はゆっくりと続ける。
「ナルト、余り時間は与えてあげられないわ。理解して、そして選びなさい。このまま里に帰るか、それとも私と共に来るか」
「え?」
 その言葉の意味する事がナルトには理解できなかった。だが、男は言葉を止めない。
「あの地獄に戻るならそれもいいわ。でも、私と共に来るのなら――」
 男はそこで一旦言葉を区切った。
「アナタに力を上げるわ。誰にも侵されることがなくなる――アナタがアナタでいられる力を」
 やはりナルトには理解できなかった。
 ただ、ぼんやりと、戻るとまた今日のような目に合う。今度は死ぬかもしれないと他人事のように考えていた。
 ああ、なんだ。ナルトは陰鬱に考えた。選択肢など始めからなかったのだ。
 しかし、形だけとは言え、一応の選択肢を与えてくれたこの男は信用して良い気がした。
「あの……おじさんの名前は?」
 おずおずと尋ねるナルトに満足したのか、男は蛇のような笑顔で手を差し出した。
「私は大蛇丸(おろちまる)。よろしくね、ナルト」


 この日、木の葉隠れの里から一人の少年が消えた。
 多くの人々は安堵に胸をなでおろし、僅かな人々が良心の呵責を感じつつも、それに迎合した。
 そして時が経つ。
 人々は時間と共に、少年の存在を忘れていく。
 こうして、木の葉隠れの里で少年の存在は消え去っていった。
 以後、少年は長い間、歴史の表舞台に出る事はなかった――何年間も、何年間も。


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