『恋は決闘です。もし右をみたり左をみたりしたら敗北です』 ロマン・ラマン
8月18日
ありていに言って、彼女は暇であった。 大量にあった夏休みの宿題はすでに終わらせ、大きなイベントは全て終わり、補習は行く必要がなく…… かくして御崎家の自分に割り当てられた部屋で、ごろごろしているのだった。 割り当てられた、である。彼女は6月の事件でこの御崎家に居候しているのだ。 部屋の内装は桜色でまとめられていて、カーテンレールとタンス、本棚の上には何台ものプラモデルとガレージキットが並んでいる。クローゼットもあるが、その中に入っているのは服類のほかにはほとんどが工具であった。耐水ヤスリ、金属ヤスリ、デザインナイフ、多種のパテ、サーフェイサー、各種塗料、エアブラシ、コンプレッサー、塗装ブースなど、モデラーのための道具がほとんどである。『エアブラシ、コンプレッサー、塗装ブース』という3種の塗装機があるあたり、彼女が只者ではない、ということを証明している。 本棚には様々なジャンルの本が収められていた。小説、マンガ、図鑑、参考書、辞書など。しかし、よく見てみると難解そうな本が多いのが目立つ。また、それとは別に『植物は警告する』『衝突する宇宙』など……いわゆる『変った』本も結構な冊数があった。 「あふぁ……」 大きく伸びをして彼女……篠宮梢はもぞもぞとパイプベッドから起き上がった。背中まである茶色の髪が差し込む朝日を受けて輝いている。 梢は、まるで人形のような少女であった。線は細く、輪郭も細い。まるで抱き締めればさしたる力を入れずとも折れてしまいそうな、儚い雰囲気である。その顔つきにも体つきにも派手さは無い。西洋人形よりは、日本人形と形容すべきであろう。 寝ていただけあって、彼女の服装は寝間着姿であった。淡い緑のパジャマだ。表面がサラサラと光っているのは、サテンかシルクを使っているのだろう。それは、上流階級の所有物のように品のいい物であった。 彼女は綺麗な緑色をした目をこすると、ベッドから下りて背伸びをする。そしてパジャマのまま自分の部屋を出て、居間に向かった。 廊下に出ると、ムッとする熱気が体に纏わりつく。すでに暑さのピークは過ぎているのだろうが、それでもクーラーをつけていた部屋に比べると段違いだ。昔の人も言っている。『寒さは厚着をすればなんとでもなる。しかし、暑さは服を全て脱いだとしてもどうにもならない』と。 熱気を振り切って梢は廊下を歩き、居間の襖を開けて中にに入る。そこでは和服の青年がノートパソコンで何かを打っていた。 室内は和風であり、桐の机が部屋の中央に置かれている。窓は南を向いていて気持ちのよい朝日が振り込んできていた。客間としても使われるため家具の類はほとんど無く、テレビと扇風機……それから小さな食器入れが置かれているだけ。 キーボードを打つ手を止めた彼は、人の気配……つまり梢がいることをを感取り、彼女が声をかけるより先に振りかえる。そして、重々しく口を開いた。 「……どうした?」 渋い声である。この声で朗々とカンツォーネなどを歌ったら、さぞや惚れ惚れすることだろう。だがその声には、暴力の陰……つまりドスが効いていた。 「ううん……別に何でもないんですけど……」 梢は微笑みつつ、居間に入る。そして青年の隣に正座で座った。 「ふむ……?」 あごに手をやり、青年は思案顔をする。『なんでもない』と言ったが、梢は何かを言いに来たのではないのか、と考えているのだ。やがて考えがまとまったらしく腕を組み、 「では、暇だから何処かに行かないか、ということか?」 「……瞬って、いつもカンがいいですね」 呆れ顔の梢に言われ、青年……御崎瞬は微笑する。 彼はこの家の主人であった。実際の主人は世界中を飛びまわっているため、規制事実で彼のものとなっているのだ。 容姿は端麗。綺麗な鳶色の瞳にざんばらの黒髪。文句なしの美形だ。ただ、鋭い目には冷たい光が宿り、いつも眉根をきつく寄せている。そのため女性にはもてない……というか、怖がられて近づかれなかった。 彼は殺気を隠そうともせず、常に辺りへ撒き散らしている。動作や身のこなしは忍者と形容とするのが相応しいのに、その殺気がそう呼ぶことを困難としていた。あえて言うなら『人を殺す直前の、殺気を開放した暗殺者』であろうか。 実際、戦闘能力も凄まじく高い。人間には不可能な瞬発力、反射神経を持っている。刀の扱いを得意とし、剣道は4段だ。だが段位は当てにならない。彼はたとえ6段や7段……つまり全国大会優勝者であろうともあっさり勝ってしまうのだから。 その強さ故に、彼はこう呼ばれていた。 ――『剣聖』、と。 『剣聖』はノートパソコンを閉じると、梢に向き直る。そして口を開いた。 「……どこかに行きたい、ということだが……具体的にはどこに行きたいのだ? 山か、海か。川か、平原か……」 そう言われると、漠然と「どこかへ行きたい」と思っていた梢は困ってしまう。 「うーん……」 小さくつぶやきながら何処へ行ってみたいか考えるが、特に思い当たらない。だが、今年は一度も海へ行っていなかった。 「わたしは……海の方がいいです」 彼女は素直に答える。瞬は特に表情を変えず、さも平然と梢に尋ねた。 「ふむ……。なら、御崎家の別荘に行くか」 「えっ?」 思わず効き返す梢。居候をしてから2ヶ月たつが、今まで一度も『別荘がある』などとは聞いた事が無かったのだ。 だが、御崎家の経営する会社『御崎総合商社』は多国籍企業であり、扱う品物は『消しゴムからASまで』……つまり儲かるならどんな品物でも扱うのだ。当然財力もある。別荘を持っていたところで、なんら不思議は無い。 「別荘って……何処にあるんです?」 期待に胸を膨らませつつ、尋ねる梢。沖縄やハワイだったらいいな、などとも思ってしまうのは仕方がないだろう。だが、瞬はそのどちらにも頭を横に振った。 「近い別荘は、大島だ」 「大島って……伊豆諸島の?」 伊豆諸島、大島。鎌倉から南南西に55kmほど行ったところにある、火山島だ。温泉が湧いていたり、海水浴場があったり……。骨休めとしては、丁度いい場所だった。 「どうだ? 行くか?」 そう聞かれたら、梢の返事は一つしかない。 「はい!」 「では、他にも誰か連れて行くか? 定員は8名までだが……」 「それじゃ、手分けして電話しましょう」 そういうことになった。
「……どうだった?」 腕を組んで立っていた瞬は、受話器を置いた梢に尋ねる。彼女はほほえむと、 「お蓮さんは、林水さんが行くって聞いたら二つ返事でOKしました」 「なら、これで7人だな。もう1人呼ぶか?」 瞬の問いに、梢は首を横に振って答えた。 「……そうか。なら、メンバーはこれでいいな?」 彼はそう言いつつ、ありふれたメモ帳を梢に見せる。それには、二人と共に旅行へ行くメンバーの名前が書かれていた。 一人目は相良宗介。瞬たちの通う高校、陣代高校の名物と化している生徒だ。危険な紛争地帯で育った根っからの戦争屋で、平和な日本での常識がまるでない。そのおかげで、1週間に2回以上はトラブルを起している。容姿はざんばらの髪にへの字に引き結ばれた口。瞬と同じく、かなり腕っ節が強い。それもそのはず、彼は秘密の傭兵組織に属しているのだ。ただ、この事を知っているのは瞬の知る限り、自分ともう一人だけだった。 二人目は千鳥かなめ。腰まである艶やかな黒髪に、文句なしのプロポーション。ただ、学校では『恋人にしたくないアイドルナンバー1』などと言われている。そして、宗介の本業を知っているもう一人でもあった。瞬と梢、二人の目から見た限り、宗介とはいい関係である。責任感が強く、生徒会の副会長を務めている。 3人目は小百合葉兵衛。瞬と同じ流派『柳生仙陽流剣術』の使い手で、かなりの強さを持つ。ただその性格が災いして『強い』というイメージではなく『面白い』というイメージで見られていた。実際、会話をしていると『漫才師のようだ』という感想を持つ事だろう。ぼさぼさの黒髪に、濃い茶色の目。陣代高校の怪男児だ。 4人目は林水敦信。オールバックに真鍮縁の眼鏡、怜悧な風貌の陣代高校生徒会長である。かなりのやり手で、不良たちはもとより教師でさえ一目置いているのだ。宗介や瞬、兵衛を武の奇才と言うなら彼を文の天才と言うべきか。その品位や態度、静かな自信などから『老獪な政治家』などというイメージがある。 最後は美樹原蓮。古風なたたずまいが印象的な、清楚な感じの少女。生徒会では書記をやっていて、瞬たちとも仲がよい。林水に好意を寄せているらしく、彼の事を自分から話す場合顔を赤らめてしまう。かなめと対照的に、校内では人気が高いようだ。 「……個性的な面々ですね……」 その『濃い』メンツを見て、梢は思わずつぶやいてしまった。それはイコール『自分と仲がいい人には、濃い人が大半である』と言うことを示している。 「生徒会の連中は、変な奴が多いからな。私もその一人だ」 瞬は自分の事を、さらっ、と言ってのけた。『普通』なら自分の事を『変』などと言うのには抵抗があるだろう。だが彼はまったく問題にしなかった。 「……まあ、世紀末のサムライですし……」 「『普通』ほど、つまらない言葉もない」 呆れ顔の梢に、瞬は微笑しつつ言う。梢から見て、彼はどうも特殊な価値観を持っている様子だった。なんでも小さい時から海外の紛争地帯を連れ回されたらしく、人の死も頻繁に目撃しているそうだ。そのため生と死については、宗教学的な……つまり生まれ変わりや来世などの考え方ではなく、『無より生まれ無に帰る』という哲学的な考えをもっている。そして他人を……ひいては自分を見る目も常人とはかけ離れていた。 だからこそ、数多くのものの統計的な平均でしかない『普通』を『つまらない』と言うのだろう。……むしろ、『変』という事にこそ何かを見出しているのか? ともかく、彼も『変』な人物である事は間違いがなかった。 「それじゃ、わたしは旅行に行く準備をしますね」 瞬にウインクすると、梢は自分の部屋に戻って行く。 「ああ。水着を忘れるな」 その後ろ姿に声をかけると、彼女はぴたりと止まった。そしてゆっくり振りかえり、ばつの悪そうな顔で 「……そういえば、わたしって水着持ってなかった……」 「ふむ。なら買いに行って来るか?」 何気なく言ったその一言が、瞬の今日1日を決定してしまった。梢ははにかんだような笑顔をすると、艶っぽい声で言う。 「瞬……水着買うの、付き合って下さい」 「うっ……」 当然、彼は断れなかった。
「やれやれ……。人ごみは嫌いなのだがな……」 改札に切符を通しながら、瞬は誰にともなくつぶやいた。 「もう……あなたらしいですね」 彼の後ろについて歩く梢が、苦笑しながら感想をもらす。 ここは、京王線の終点新宿駅である。梢の水着を買うならわざわざここに来る必要はない。調布に行けば、いろいろな物が売っているだろう。それなのにここまで来たのは、瞬の都合があったからだ。都合……即ち、紀伊国屋本店で洋書を買うという都合が。 東口を出て、しばらく歩くと三越のデパートがある。とりあえず、そこで水着を見る事になっていた。 ちなみに瞬は真っ黒のTシャツに黒いジーンズのズボンという黒ずくめの服装である。足にはブーツを履いているが、ご丁寧な事にこれも黒である。ただ、本人の持っている品性と相俟って下品さなどは微塵も感じさせなかった。欧州の青年実業家、といった様子である。 梢は彼と対照的に、白いカッターシャツと膝丈のスカートであった。首もとに巻いた青いスカーフがいいアクセントになっている。こちらはいかにも清楚な感じだ。靴は歩きやすいスニーカーだった。 「……でも、瞬。あなたって女の子の水着の趣味がわかるんですか?」 人通りの多い通りを歩きながら、二人は楽しそうに(瞬は無表情だが)会話する。梢に尋ねられた瞬は肩をすくめると、 「趣味か……。私の趣味は基本的にクラシックなものだからな……。『どれがいい?』と聞かれれば、どうしても地味なものか品位の高いものを選んでしまう。それでもいいか?」 「ふふ。別にかまわないですよ」 女の子にとって、『好きな人が選んでくれた』ものほど価値のある物は無いしね。心の中でつぶやく梢。 「どうした? 顔が赤いぞ」 「な……なんでもないわ」 彼女はあさっての方向を向いて、瞬の視線から逃れた。 そんなこんなで、歩く事10分ほど。二人は目当てのデパートへ到着する。店内に入り、エレベーターで水着売り場まで移動。 「ふむ……。一口に水着と言っても、様々な種類があるのだな……」 女物の水着を横目で見ながら瞬は感想を漏らした。横目で、である。理由は言うまでもないだろう。 「そうですね……」 梢はうなずいて、コーナーを一通り見てまわった。ワンピースやビキニ、セパレートなど様々な種類があるし柄もさまざまだ。ハイビスカス、ヒマワリは当然として青空をあしらったものや太陽をディフォルメしたもの、英字新聞の記事を継ぎはぎしたようなものもある。 「で、どれが似合うと思います?」 それぞれを見比べながら、瞬に尋ねる梢。彼は頬を痒くも無いのにかくと、小さな声で言った。 「……それが、似合うのではないか?」 「これ?」 視線を追って水着を手に取る梢。彼女が手に取ったのは胸の中心に青いリボンがあしらわれた白いビキニであった。多少大胆であるが、派手すぎもしない……。清楚な梢の魅力を引き出すには、十分なものである。 「うん……。気に入りました。ありがとう、瞬」 「いや……」 短く返事をすると、そっぽを向く瞬。何気ない仕草だが、梢には瞬がかなり照れている事がわかった。 「それじゃ、わたしはこれを買ってきますね」 彼女は瞬に言うと、水着を持ってレジへ向かう。ちなみに水着の代金は、瞬がすでに梢へ渡していた。彼女は「いい」と言ったのだが、瞬も頑固である。結局梢が折れるまで、一歩も引かなかった。そこら辺は、彼の『こだわり』か何かがあるのだろう。 「さて……」 小さくつぶやくと、瞬は水着コーナーで海水浴商品をいろいろ調べ出す。水中眼鏡、シュノーケル、浮き輪などカラフルな品物が置かれてある。だが、どれも彼の欲しているものではなかった。 「さすがに、こんな店に銛は無いか……」 そんな物騒なもの、あるわけが無い。そもそも何に使うのか。 「あっ、瞬。何を探しているの?」 そこへ、会計をすませた梢が戻って来た。 「銛を探していたが……無いようだ」 「も……もり……ですか……。何に使うんです……?」 かなり動揺しながらも、なんとか尋ねる梢。対照的に平然とした瞬は、 「海産物は、鮮度が命だ。とれたてが一番美味い。なら、海でとるのが一番だろう?」 言われてみれば当然だった。実際海産物は、海から上げたとたんに味が落ちているようなものなのだ。冷やせば鮮度が落ちるのは遅くなるが、それでも味が落ちる事に変りはない。なら、どうするのか。当然、とってすぐ食べる、という結論に行き付くのである。 「た……確かに……」 妙に説得力のある瞬の言葉に納得し、うなずく梢。 「まあ、向こうで私の奥義の一つを披露しよう」 「奥義?」 オウム返しに尋ねる彼女。瞬は微笑すると、 「まあ……行けば分かるさ」 と言って歩き出した。 「さて。本を買いに行くぞ」
水着と本を買った瞬と梢は、裏通り近くの喫茶店で一息ついていた。この喫茶店『サンセット』の店主は瞬と顔なじみで、彼は新宿に来ると必ずここで一息入れるようにしている。木目調の落ち着いた壁に、航海用品をちりばめた内層。そして店の奥には、店名の由来にもなったSunset(日没)を描いた大きな絵が飾られてあった。 カウンターの前……つまり常連の特等席に座り、紅茶を飲む瞬。彼はちらりと足元に置いてある袋を見ると、表情は変えず……しかし穏やかに隣でコーヒーを飲んでいる梢へ言った。 「久しぶりに、充実した買い物が出来た。礼を言っておこう」 言葉だけなら、慇懃無礼に感じられるだろう。だが梢は、彼が本気で言っていることを分かっていた。カップをソーサーに置くと、 「ううん。付き合ってくれて、ありがとう」 と微笑んで答える。下手をすればそのままラブラブな世界に入って行きそうだが、それを阻む野太い声が二人にかけられた。 「二人とも、仲がいいな。それはいいことだよ」 「マスター……。あなたも早く結婚したらどうだ?」 瞬にそう言われ、『サンセット』のマスターは豪快に笑う。そして楽しそうに、 「こんな俺を愛してくれる人がいたら、すぐにでも結婚するんだがな」 と言った。マスター……本名八坂志郎はもと漁師で、褐色の肌に縦横揃った体格の偉丈夫である。顔つきは男臭いが、瞳は少年の純粋さを失っていない。もうすぐ40代だが、大人になりきれていない……そういう雰囲気を持っていた。 「恋愛を通り越して、まず結婚を考えているのか?」 「おうよ! お袋に心配ばかりかけられないからな」 ドン、と胸を叩くマスター。対して瞬は冷静に紅茶を一口すすると、 「殊勝な心がけだが……、よく考えろよ。焦る恋ほど失敗しやすい、と聞くからな」 言われて苦笑するマスター。彼は洗い物をしながらも言い返す。 「いいじゃねぇか。俺は結婚にあこがれてんだよ」 「知っているか? アメリカの諺に、こういうものがある」 そこで瞬は、意味ありげに一息ついた。そして不敵に笑いながら、 「――もっとも危険な食べ物は、ウエディングケーキである――」 悠然とトンデモないことを述べる。当然マスターは脱力するが、それよりも隣にいる梢の方が脱力は酷かった。 まあ、『恋する乙女』にそんな夢も希望もないことを言ったら、激しく脱力もするだろう。 「……多少言いすぎたか。悪かったな」 脱力している二人を見て、瞬は素直に謝った。梢とマスターはまるで死にかけた病人 ように身を起すと、 「……まぁ、心に留めとくぜ……」 「……瞬ってば……」 口々に、力ない声でつぶやく。さすがに瞬もこのままフォローしないとマズイ、と思ったのか、 「そう気を落とすな。『愛せよ。人生においてよいものはそれのみである』という格言もある。ようは、当人次第だ、ということだ」 昔の人の格言を引用して、二人を励ました。 と。 ガシャン! 店のすぐ近くで、何かが壊れる音がした。反射的に立ち上がり、辺りを見まわす瞬。対照的に他の客は、身を固めている。 「……少し様子を見て来る。待っていてくれ」 何か嫌な予感を感じた瞬は、一方的に二人に告げると店の外に出た。 またガシャン! という音がする。近い。『サンセット』の隣の路地だ。瞬は『存在感』自体を殺し、路地に入った。 ――そこには、数人の若者がいた。男が……7人で、少女が1人。だが、様子が変なのは一目瞭然だ。男のうち一人は、殴られたのか左の頬が腫れていた。男たちが、この殴られた青年の彼女か女友達を無理やり車に押し込もうとしているのだ。 男たちの素性は……悪行で名高い、新宿チーマーなのだろう。 ちなみに殴られた様子の青年は、赤いTシャツに白いハーフパンツといういかにも元気そうな若者、といった風貌である。茶色っぽい髪を5分に分けていて、瞳は黒。正義感が強そうな顔つきだ。 対して少女は、梢にも増して気弱そうだった。スカイブルーのワンピースに、薄いイエローのベスト。文句なしの美少女だ。 「貴様ら……それは犯罪だぞ」 押し殺した声で、瞬は6人のチーマーに声をかけた。彼の存在に気付いていなかったチーマーたちは一瞬びくっと体を震わせると、すぐに声のした方向――つまり瞬へ向き直る。 「なんだ、てめぇは」 バンダナを巻いたチーマーの一人が、殺気だった目を瞬に向けた。その視線には、『お楽しみ』を邪魔された不服が露骨に滲んでいる。 「うーん……。君って正義感が強いんだね」 ニヤニヤと相手をバカにしまくった笑いを浮かべたもう一人が、瞬の殺気にも気付かず馴れ馴れしく声をかけた。ジャラジャラとリングタイプのピアスをつけたその男は、瞬の目の前まで近づいて来ると、 「でもね、僕たちを見たんだから見物料は出してもらわないといけないよね?」 などと身勝手なことを言いながら右手を背中にまわし……いつのまにか握ったナイフで、瞬の顔面めがけて斬りかかった。 女が悲鳴をあげるが、瞬は無表情のまま上体を引いて刃風を避ける。そして『ピアス』の頭を右手で鷲掴みにすると、体を捻って左側の壁に思いきり叩きつけた。 鈍い音がするが、彼は容赦をしない。相手の頭を自分のそれより高く持ち上げ、鷲掴みにしていた手を逆手に握って背負い投げの要領で肩越しに地面へ放り捨てる。 どごしゃあっ! 受身も取れず、背中からコンクリートに叩きつけられた『ピアス』は泡を吹いて失神した。 「なっ……!? こいつ……!?」 一人目がむごたらしくやられたのを見て、目の前にいるのが只者ではないことを知るチーマーたち。だが、それはあまりにも遅すぎた。 一陣の風と化した瞬が『バンダナ』の顔面に右ストレートを叩きこむ。そして相手が吹き飛ぶより早く横を駆け抜け、通りすがりに後頭部へ裏拳をぶち当てた。前後からの衝撃に脳を揺さぶられ、『バンダナ』は膝から崩れ落ちる。 瞬の使う剣術にある技の一つ、『逆風の太刀』。『スイッチバック』とも云われるこの技は相手を袈裟懸けに叩き斬り、崩れ落ちる相手に対して通り抜けざまにもう一太刀を浴びせるというものなのだが……瞬のスピートでやると、相手が倒れる前にもう一撃加えることができる。 倒れた敵を一顧だにせず、次の獲物へ向かい殺到する瞬。 「ひ……ひええっ!?」 その強さ……そしてやられた仲間のむごたらしさに怯え、恐慌状態になるチーマーたち。だが、瞬は容赦しない。それこそ嵐のように、四人を薙ぎ倒した。 死屍累々と横たわるチーマー連中の『なれの果て』。その中で瞬は、さしたる感慨もなく立っていた。 「あ……あの、ありがとうございました……」 少女が、青年に手を貸してやりながら礼を言う。だがその声には明確な怯えが含まれていた。当然だろう。目の前にいるのが、こと戦闘力に関しては人食い虎より恐ろしいような存在なのだから。 「裏通りを通るときは、次から気をつけろ」 瞬は長くこの場に留まるというのも面白くないと判断して、短く言うと二人に背を向けた。 「ではな。お前たちも早くここから逃げておけ」 「ちょっと、待ってください!」 必死な青年の声。瞬は振りかえらなかった。 「……何だ?」 「……名前を、聞かせて下さい……」 まるで時代劇だな。心の中で笑いながら、それでも彼は律儀に答えてやる。 「御崎瞬だ」 足音もなくその場を去る瞬を呼び止める声は、もう無かった。
「ねぇ、瞬。喫茶店から3分ほど出て行ってたけど……何があったんです?」 コーヒーを飲みつつ、梢は瞬に尋ねた。 すでに時刻は9時だ。辺りにはすっかり闇のとばりが下り、月がほのかに闇を照らしている。 テレビをぼうっと見ていた瞬は、視線をテレビに向けたまま答える。 「悪党退治だ」 「ふーん……。瞬はそんな事しない人だと思ってたけど……」 彼は苦笑すると、よく冷やしたスポーツドリンクを一気に半分ほど飲んだ。喉の渇きを潤してから、言葉を綴る。 「……私がして悪いか? 二人の人間が不幸にならずにすんだのだから問題あるまい」 「うん……。いいことだと思うけど、あなたのイメージに合わないなって……」 またもや苦笑する瞬。彼は視線を梢に向けると、わりと真面目な声で質問した。 「私のイメージとは……どのようなものなのだ?」 「あなたのイメージは……えーと……」 腕を組み、言葉を頭の中でまとめる梢。やがて一つうなずくと、 「動物に例えるなら、豹ですね。しなやかだし、猫科の動物だからいつも一匹でいるし。ついでに凶暴で、遠くに見ている分には格好いいけど近づいたら怖いからぴったりでしょう?」 なかなか的確な比喩であった。そのことは瞬も分かったらしく、複雑な表情をする。 「やれやれ……。私はこう見えても紳士だぞ?」 それも事実だった。彼はフェミニストだし、ヒューマニストでもあるのだ。 「でも、悪党には容赦しないですね」 「情けをかけるべき人間とかけるべきでない人間。世の中には、この2種類がいる」 なかなか極端な思想である。梢は小さくため息をつくと、 「うーん……。そういうものなんですか?」 「そういうものだ……とは言い切れん。こう考えるのも、別の考えを持つのも当人次第だ」 まるで善問答だ。考え込む梢に、瞬は優しく声をかける。 「まあ、こういうのは人生経験で身につくものだ。そう難しい顔をするな」 「……うん、そうですね。じゃ、わたしはお風呂に入ります」 瞬の返事も待たずに、居間を出ていく梢。取り残された瞬は微笑すると、多少ぬるくなったスポーツドリンクを飲み干す。 「……さて。私も旅行の用意をしておくか」 しばらくテレビを見ていた瞬も、コントローラーでテレビの電源を消すと立ちあがった。 彼は食器を片付けると、居間の明りを消して自分の部屋に戻っていく。
京王線を走る電車の音を聞きながら、夜はふけていくのだった。
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