ORACULAR‐WINGS■
 ■すれ違い後のサンセット■    <第2章>


「ねえ、御崎君……。あなた、実は凄かったのね……」
 眼下に広がる海を見ながら、青いワンピース姿のかなめは呆然とした様子でつぶやいた。
「そうなのか? 車の送迎と専用飛行機……どれも大したことではないと思うが……」
 かなめの隣りに座っていた宗介が、不思議そうな声をあげる。ちなみに彼はデニムのTシャツとジーパン、銀のネックレスという格好だった。なかなかしゃれている。とても、宗介が自分で選んだとは思えない。きっと友人に選んでもらったものだろう。
 彼女はいつもより幾許か元気の無い目で宗介を見ると、
「あんた、何を基準に言ってるの?」
 とコメントした。
 ここは伊豆七諸島近海の上空5千メートルである。かなめたち一行は、御崎家専用機の中にいた。外見は普通のセスナ機だが内装はかなり豪華だ。おまけにエンジンは凄まじくいいものを積んでいるらしく、かなめは予想したほどの騒音を感じなかった。
 さすがは世界に名だたる大企業、飛行機のキャビンはまるで豪華なクルーザーのようだ。床は毛足の長い絨毯であるし、椅子は皮張り。この内装は瞬の趣味ではないことは明白だ。また、瞬の父親の趣味でもない。彼らなら、たぶん……いや、きっと和風にする。考えるに、母方の趣味なのだろう。その証拠によくよく見ると、赤を基調とした色使いは女性の趣味を感じさせた。
「相変わらず奇天烈な会話をしているな、二人とも」
 御崎家の時期当主である御崎瞬は二人の会話についてそうコメントし、オレンジジュースを口に運ぶ。目つきは相変わらず鋭いが、殺気はほとんど感じない。それだけ彼はリラックスしているということだろう。ただ、黒づくめなのは相変わらずだが。黒いTシャツに、黒いジーパンという、夏には暑苦しい格好である。本人は毛ほども気にしていないようだが。
「御崎君、あれが彼らのベストスタイルなのだよ」
 やたらと内装の豪華さに調和している林水敦信は、苦笑している瞬に言う。彼はいつもの白いガクラン姿だった。正式に御崎家から招待を受けたのでもないのに、正装である。多少変な感じもしたが、何しろ『閣下』よ呼ばれるような御仁だ。我々一般の人間の考えが及ぶものでもないのだろう。……などと、瞬は思っていた。隣りに座っていた白いワンピース姿の美樹原蓮も、
「わたくしも、そう感じますけど……」
 と控え目に自分の意見を述べる。
「まあ、そうだろうが……。兵衛、梢。二人はどう思う?」
 とりあえず、小百合葉兵衛と篠宮梢の意見も聞いてみる瞬。瞬の左右に座っていたそれぞれは、
「オレは別に、なんとも。あれが二人の自然体だろ?」
「ただ、会話が奇天烈ってことには賛成ですけどね」
 と笑いつつ答えた。
 会話が奇天烈。それが自然体。ベストスタイル。
 一連の会話が耳に入っていた宗介とかなめは、多少難しい顔をして黙ってしまった。双方、それなりに思うことがあるのだろう。
「おぅ、どうした? なんか反論でもあるのか?」
 反論したいところだが、言われていることは事実である。よけいに難しい顔をしてしまう二人。難しい顔になるのは、もしかしたら兵衛にぞんざいな口調で言われたことも起因しているのかもしれない。
「……まあ、二人をいじめるのはこれくらいにして。閣下。ちゃんと水着は持って来ましたか?」
「ああ、当然だとも」
 威厳のある声で肯定する林水。それを見て梢は内心、『どんな水着なんだろう……』と思っていた。水着の林水。これはかなり想像しがたいものだったからだ。
「それじゃ、お蓮さんは?」
 今度は兵衛が尋ねる。彼女は頬をほんのりと朱に染めると、
「ええ、まあ……。ちょっと大胆かな、と思いましたデザインのものですけど……」
「そりゃ、楽しみだぜ」
 恥らうお蓮さんの様子を見て、兵衛は楽しそうに言う。何を期待しているのかは一目瞭然、という奴であろう。
「…………!」
「ぁ痛っ!」
 眉根を寄せた瞬が兵衛のつま先を思いきり踏み付ける。形容し難い激痛に、彼は悲鳴をあげた。
「まあ……なんというか、当然の結果よね……」
 頭を押さえてつぶやくかなめ。梢も全くだ、というふうに深く頷いていたりする。
 今日の結論。兵衛は、女の敵である。
「無節操に物を言うなと、あれほど言って聞かしているというのに……」
 つま先をおさえて呻いている兵衛を横目で睨みつつ、瞬はため息をついた。続いて梢が、
「兵衛さん……。あなたがモテない原因は全てそれにあるって、自覚していますか?」
 とアドバイスをする。兵衛は涙目で、こう答えた。
「いたた……。そりぁあ分かってるけど、こういう生き方がオレは好きなんだよ」
 こういう生き方。お調子者で、軽い性格で、面白い人とは思われても好きだとは思われない生き方。
「難儀なものだね、小百合葉君」
 僅かに苦笑しつぶやく林水。一方、
「戦場では、臨機応変に対応できなければ死ぬ可能性が高いのだが……」
「つまり兵衛君の生き方では、ずっとモテないってことね」
「そう言ってしまえばミもフタもない。そもそも俺は、恋というものに兵衛はどうしてそこまで執着するのか理解できん」
「確かにそうよね……」
 ……などとぼそぼそ言い合う宗介とかなめ。梢は苦笑して、
「まあまあ、兵衛さんもポリシーとかがあるんですよ」
 とフォローを入れておいた。
 ポリシーとはちょっと違うが……、実は兵衛がそういうキャラクターを演じているのには、誰にも話せない事情があったりする。瞬と梢は、彼が『演じている』ことに気がついているごくごく少数の人間だった。だからといってその理由を問いたりはしない。『人にはそれぞれ秘密があって当然。無闇にそれを聞くのは失礼だ』と考えているからだ。それに、自分にも他人には言えない秘密があるのだし。
「ところで御崎さんは、泳がれるのですか?」
 上品な仕草で出された紅茶を飲みつつ、美樹原は瞬に尋ねた。スポーツ万能の瞬だ。当然誰もが「泳げる」と答えると思ったが……彼は何故か眉根に皺をよせて答えた。
「泳ぐことは得意なのだが……ちょっとな……」
「……何か問題でもあるのかね?」
「多少ありましてね……。まあ、泳ぐことになったら分かります」
 つまり、できれば言いたくない……ということなのだろう。
「ふむ……。まあ、無理に尋ねたりはしないよ」
「そうしてくれると、助かります」
 彼の口調は、心底『助かった』という響きを持っていた。ある種、トラウマに近いものがあるのだろう。
「ところで食事はどうするんだ? もうすぐ昼だけどさ」
 壁にかけられていた時計を見て、兵衛が瞬に言った。
「別荘には連絡してある。その点に関しては問題ない」
「……じゃあ、『その点以外』についての問題は?」
「無いに決まっているだろう。言葉のあや、というやつだ。兵衛、お前は何故そうピントの外れた所にばかり気が向く?」
 『やれやれ』といった様子でため息をつく瞬。だが同時に、彼の言動で場の雰囲気が和んだことにも気付いていた。
「なんでって言われても……なあ、お蓮さん?」
「……どうしてわたくしに同意を求められるのですか?」
 困惑した顔で言う美樹原。林水は苦笑しつつ、
「唐突だね、小百合葉君」
「いやぁ、なんとなく……」
 こちらも苦笑して答える兵衛。
 どんどん脇道にそれる会話を尻目に、宗介は出されたカロリーメイトをぽりっとかじってのほほんとしていた。
 ……機内の騒ぎをよそに、飛行機は青い空を飛び続ける。眼下にはサファイア色の海と、緑生い茂る島。そして白い雲があった。天気は快晴だ。昨日の予報でも、ここ数日は晴れが続くといわれていた。絶好の行楽日和である。
 飛行機は、ゆっくりと高度を下げていく。正面には、伊豆七島の一つ……そして今回の旅行の目的地、大島があった。



「……なんかオレ、御崎家を過小評価していた気がするなぁ……」
 多少呆然とした様子で、兵衛は憂鬱気につぶやいた。
「どうした? 何か問題でもあるのか?」
「いや……。専用機と来て、ついでに車での送迎だろ? 純和食で質素な食卓からは想像もできない豪華さだな、と思ってさ」
「むぅ……」
 小さく唸る瞬。
 飛行場に降り立った彼らを待っていたのは、御崎家別荘の管理人だった。白い頭髪と髭に、黒い燕尾服。今年は猛暑だというのに、汗一つかいていなかった。名を、谷高正治という。真面目で几帳面、それでいてユーモアのセンスもあるため御崎家の誰からも信頼されてる。
 そして一同は車に乗り、彼の別荘へと移動をしている途中なのであった。ちなみに、車内も格調高い洋風にまとめられている。ここも瞬の母親の趣味なのだろう。
「しかし……面白いお友達方ですな、瞬様」
 車を運転しつつ、谷高は嬉しそうに言った。対照的に言われた本人はむっつりと、
「面白い、か……。良いにしても、悪いにしてもな。とくにコレとか」
 と言って、兵衛を指差す。コレ……英語では、This。つまりは物扱いである。
「あんだと、コラ!?」
「いいかげん、お前の戯言……むしろダメ言に付き合うのに疲れて来ているんだよ、私は」
「ダメ言となッ!?」
 面白いという谷高の評価は、間違っていないだろう……と宗介はぼんやり思った。瞬と兵衛の会話は、ハタから聞いていると漫才そのものである場合が多いからである。もっとも『ハタから聞いていて漫才』という事は宗介とかなめの会話でも当てはまったのだが、彼はそのことについて思い当たってはいなかった。
「そういえば兵衛君は御崎君と長い付き合いらしいが……谷高さんにあったことはないのかね?」
 先ほどから黙って外を眺めていた林水は、ふと疑問に思ったことを尋ねる。
「ん〜……。オレはこの別荘に来るのは始めてっスからね」
「そうなのですか。意外ですね」
「美樹原……。何が意外なのだ?」
「いえ、瞬君と兵衛君っていつも一緒みたいに思っていましたので……」
「あのなぁ……」
「断っておくが……私には、そういう趣味はない」
「オレにも無いぜ。いや、マジでさ」
 やいのやいのと会話を続ける一同。それを聞きつつ、谷高は微笑んでいた。
 あれほど無口無表情で殺気を隠そうともしなかった瞬様が、笑っておられる。よい友達に恵まれましたな。
 こう心の中でつぶやきながら。
 彼の知っている過去の瞬は誰に対しても心を許さず、リラックスしているようでも常に殺気を纏っていた。眼光は暗く鋭く、身のこなしは影のようにひっそりとしている。
 今でもその面影は十分にあるのだが、以前のように露骨では無くなっていた。だからこそ、谷高は嬉しかったのだ。
「瞬様。そろそろ到着します」
 アクセルを踏みつつ、彼は漫才のような会話を続けている瞬に言った。
「分かった。……さて、みんな。下りる準備をしてくれ」



 ……はっきり言って、御崎家の別荘は広かった。
 別荘そのものはオシャレな洋館風のデザインで、二階建て。デザインがこっているというだけで普通の家と同じ大きさだが……
「プライベートビーチまであるのですか?」
 美樹原の一言が、全てを物語っていた。
 つまりは、敷地が半端じゃなく広いのだ。金持ちの別荘ということでプールがあるのかな、くらいに思っていた一同は、そろって驚愕していた。
「この土地は、先々代が購入したらしい。なんでも身体の悪い父親がいて、彼を養生させるために気候が暖かく温泉もあるこの島に別荘を建てたそうだ。その別荘を改修したりして我々が使っているわけだな」
 なんでも、1900年ごろの話らしい。当時は土地が安かったため、これだけ広い敷地を買えたのだそうだ。
「そういえば……御崎家って歴史が古かったんですよね……」
 自分が居候している家の異常さを再確認して、ちょっと動揺しながら梢がつぶやく。
「室町時代から伝わる、豪商の家だ」
「……確か、御崎総合商社は君の父親が一代で創立した会社ではなかったのかね?」
 瞬の説明にひっかかるものを感じた林水は、疑問を口にした。
「確かにそうですが……。その雛型となった会社は、ちゃんとありますよ。今では総合商社に組み込まれていますけど」
 ちなみに、取り扱っていた商品は材木だ。『火事とケンカはお江戸の華』といったものだが、実際江戸の町は火事が多かった。木と紙で出来ている家はあっさりと燃えるため、そのたびに御崎家の先祖は大きな利益を出していたと伝わっている。といっても、値段をつりあげたりしない。薄利多売、信頼第一の誠実な商売だった……らしい。
 なにぶん昔のことなので、どこまでが真実かは分からないのだが。
「さて……それでは、部屋割りを決めよう」
 一同を見回して、瞬は言った。
「部屋は全て二人部屋だ。そして部屋数は4つ。……兵衛。二人部屋だからって、女子といっしょの部屋になろうなどとは、絶対にするなよ?」
「ゔっ……」
 図星かよ、おい。
 女言葉も忘れて、かなめは心の中でツッコんでいた。
「……やはり、兵衛は私が見張らねばならぬようだな。閣下、相良。一緒の部屋になるがいいか?」
「いや、待て。ちょっと待て」
「俺はかまわんぞ」
「私も問題ないよ」
 消去法で男の部屋割りはあっさり決まってしまった。もちろん、兵衛の意義は無視である。
「わたしたちは3人だから……誰かが一人になるわね」
「ですね……」
 対照的に、女連中はなかなか決まらなかった。一人あぶれることになるのだ。仲間外れは、誰だって嫌である。それに……兵衛の存在も大きい。『もし』があるのだ。
 しばらくぼそぼそと相談していたが、どうやら決まったらしい。
 ……無理矢理、3人で寝る。
「……いいのか? 本当にいいのか、それで?」
 瞬の疑問はもっともだった。隅っこの方で『お前ら……。オレを、何だと……』といじけている奴が一人いたが、それは無視。
「ぬぅ。大人数でまとまって眠った場合、爆弾を仕掛けられると一網打尽に……」
「安心したまえ、相良君。君以外に爆弾を仕掛ける人物はいないのだから」
 ピントの外れた宗介の懸念へ、律儀に答える林水。
「ソースケ……。あんた、相変わらずね」
 もはや疲れた笑いを浮かべつつ、かなめはぼそりと言った。瞬は苦笑しつつ、
「千鳥、そう簡単に疲れてはダメだぞ。荷物を置いた後に昼食だ。それと、ほら」
 手に持っていた鍵を彼女に投げる。
「これは……部屋の鍵?」
「ああ。無くすなよ? スペアは1個しかないんだからな?」
 一応、念を入れておいた。まあ、千鳥に預けるなら安心だろうが……と心の中で呟きつつ。
「それでは。各自部屋に荷物を置いたら、一階の食堂に集合だ。昼食にしよう」
 一同は、わらわらと動き出した。



「いやぁ、水着って一口に言ってもいろいろと個性が出ているよなぁ」
 のほほんとつぶやく兵衛。林水は一つ頷き、
「確かに来ている服には個性が現れるからね」
 とコメントした。
 昼食が終わり、一休みした後。一同は水着に着替えて海岸に出ていた。
 迷彩柄ボクサーパンツの宗介。オレンジ色をした競泳用水着の兵衛。白いバミューダの林水。3者3様である。それぞれの水着と色が、それぞれの性格を表しているとも言えた。
 対して女子陣の方はと言うと……
「まあ、その水着は……以前の海水浴の時に着て来たものですね」
「うん、そうだけど……」
「……どうなされました?」
「いや……なんと言うか……。お蓮さん、やたらと色っぽいな〜って……」
 その通りだった。
 かなめはレース地の白いビキニ姿で、『若々しい色気』とでもいうべきである。対して美樹原の方は、ミッドナイトブルーのワンピースだった。華奢な身体の微妙なラインが、色の濃淡ではっきり分かる。
 かなめは心の中で、負けたと思った。美樹原にも、そして梢の水着姿にも。
 彼女は、かなめと同じ白いビキニ姿だった。ただしレースはついてなく、胸元に青いリボンがつけられている。彼女も可憐で、儚げな魅力があった。
「梢ちゃんも、大胆な水着ね……」
「うん……。でも、わたしはこれを気に入ってますし。瞬が選んでくれたものだから……」
「瞬が?」
 ひょっこりと会話に加わる兵衛。彼はさも意外そうな顔をしていたがすぐに邪笑すると、
「ダメだぜ梢ちゃん、あいつはああ見えてムッツリスケ……」
 ごす。
 後ろから飛んできたバッグが、彼の後頭部を直撃する。言葉半ばにして、兵衛は轟沈してしまった。投げたのは当然、瞬である。
「私がいないのをいいことに、好き勝手言ってくれるな……」
「御崎……。お前、まさか……」
「あんたも信じない!」
 ぶっ倒れた兵衛の横に、かなめの打ち下ろすような拳打を食らった宗介が並ぶ。まるで、陸揚げされたマグロであった。
「まあ……兵衛さんの言うことですから……」
 言外に『信じるわけありません』という意味を含めて言う梢。
 所詮兵衛、彼の言動の信憑性はその程度ということか。
「ところで……」
 会話が一段落したのを見計らって、林水が疑問を口にした。
「何故御崎君は、そういう格好をしているのかね?」
 彼は白いTシャツにジーンズのズボンという服装である。水着姿の一同と比べると『浮いている』のは事実であった。
「こら瞬! 泳ぐのが得意なんだったら、オレと勝負しろ!」
 ダメージから復活した兵衛が早口にまくしたてる。瞬は苦笑し、手に持っていた荷物と兵衛のそばに落ちていた荷物をパラソルの下に置くとおもむろにTシャツを脱いだ。
 鍛え上げられた筋肉質の身体が姿を見せる。だが一同の反応は、似たようなものだった。
「……御崎君……。その大小様々な傷痕は、何……?」
 かなめの言う通り、彼の体には様々な傷痕が刻まれていた。銃創、裂傷、刀傷。なんでもござれである。そしてひときわ目立つのが、右肩から左の脇腹へ向けて走っている傷だった。かなり大きくて、深い。命に関わった事は明白だ。
「……過去に、いろいろとな……」
 瞬は寂しそうな目をして、ポツリと答えた。
「まあ……ロクな過去じゃなかった。人を殺し、血の海を渡り、亡骸の大地で眠るような生活をしていたから」
 彼の言った事は……たぶん、真実なのだろう。言葉の重みがそれを示していた。
 しばらくの沈黙。それを打ち破ったのは、意外にも瞬だった。
「……さて。不幸自慢はここまでにして泳ぐか」
「……そうですね」
 場の沈んだ雰囲気を振り払うように、優しく笑う梢。
「おっしゃ! それじゃあまずは、向こうの小島まで競争だ! 宗介、瞬! ついて来い!」
 兵衛もいきなりテンションを上げて、海へ向かって走り出した。
 苦笑しつつ、宗介と瞬が彼に続く。
「なんて言うか……御崎君も、尋常じゃない過去を持っているのね……」
「そうみたいですわね……」
 3人の後姿を見送りつつ、かなめと美樹原はぼそりと言った。まだ彼の発言が尾を引いているのだ。
「そのようだが……大丈夫だろう。彼は強いからね」
「だから、わたしたちも楽しみましょうよ」
 林水と梢に言われて、二人も気持ちの切り替えが出来たようだ。元気良く笑うと、
「それじゃあ、わたしたちも泳ぎましょう!」
 かなめの声を合図に、海へ走って行った。
  


 瞬は銛を片手に持ち、岩の上で海面を睨んでいた。
 双の眼が陽光を反射する海面を見据え、その下に潜むものをも見切ろうとする。
 銛が、踊った。
 投擲されたそれは空を切り、海面に突き刺さる。
 そして柄尻に開けた穴へ通しておいた紐を引くと……立派な鯛が刺さっていた。
「それで6匹目か……。お前といると、文明が滅んでも飯の心配は必要なさそうだぜ」
 神業と言うか、妙技と言うか……。ともかく瞬の非常識な『漁』を見ていた兵衛は、そう感想をもらした。
 以前梢の水着を買う時に言った『奥義』。それは、この技の事だったりする。
 日の光を乱反射する水面下の魚を見分け、銛を投擲して捕まえる……。漁というにはかなり荒っぽくて非常識な方法だったが……まあ、瞬らしいと言えば瞬らしかった。ほとんど海鳥並の目である。そればかりか、彼は昼間に星座が見えると言う。現在は夏なので、綺麗な冬の星座が空で瞬いている……らしい。ここまでいくと、もはや人間じゃないかのように思える。
「すごいですね……。わたしなんて、どこに魚がいるのかすら分からないのに……」
「いや……梢ちゃん。それが普通。……というか、あまりデタラメーズに毒されないようにしてね?」 こめかみを押さえ、力なく言うかなめ。気持ちは分からんでもない。そんな彼女に、兵衛の無慈悲な言葉がかかった。
「そう言うカナメちゃんこそ、いいかげん『慣れ』たらどうだ?」
「……それは嫌ね……」
 げんなりとした様子のかなめ。そばで釣り糸を垂れていた宗介は不思議そうな顔で、
「そういうものなのか?」
 と手近にいた梢に質問する。
「そういうものなんでしょう。きっとね」
 梢は苦笑しつつ答えた。
 ちなみにここは、瞬たちが泳いだ海岸から多少離れた磯である。泳ぐことにあきた瞬たちは、ここへ夕飯のおかずを取りに来たのだった。
「しっかし悔しいなぁ。オレも水泳なら自身があったんだけど……」
 瞬たちとの競泳を思い出して、兵衛は渋い顔をする。
「気にするな。順位がついたが、微々たるものなのだからな」
 次の獲物を探しつつ、瞬は兵衛にそうコメントしておいた。
 瞬、兵衛、宗介による海岸→小島間の競争は僅差で宗介の勝ちだった。二人とも本気を出していたのだが最近泳いでなくてカンの鈍っている瞬と筋肉質で比重が重い兵衛は、宗介に僅かに及ばなかったのである。
「しかし、海産物が豊富な磯だね」
 日陰でのんびりと涼んでいる林水が、次々にとれる海の幸を見てそうコメントした。当然彼の隣りには、幸せそうな顔の美樹原が座っている。
「ここらへんは海が豊かですから。東京湾の汚染もここまでは届いてませんし」
 林水に答えてから、瞬は銛を投擲。今度の獲物は、石鯛だった。
「晩御飯が楽しみですわ」
 のほほんと言う美樹原。
 と。
「あっ、いた!」
 後ろの方から、やたら元気な女の子の声が聞こえた。
 ……まさか。この声は……!?
 表情を引きつらせる瞬は、ゆっくりと声のした方向に振り向く。戸惑いの混じった視線の先には……13歳ほどに見える少女が、心底嬉しそうな様子で立っていた。
「……メリル!?」
「あったり〜!」
 答えるや否や彼女は弾丸のように突進して、逞しい瞬の胸に抱きつく。
 脂汗を流している瞬と頬をすりすりしている少女。しばらく、誰も反応する事ができなかった。
「御崎君。……彼女かね?」
 流石と言うかなんと言うか。最初に沈黙を破壊したのは、林水だった。瞬は口を開いて何か言おうとしたが……
「でも……梢さんは、御崎さんの恋人ではないのですか?」
「おいおいおいおい! テメェ、二股か!?」
「……最っ低ね……!」
「瞬……どういうことなの?」
 不思議そうな美樹原、露骨に叫ぶ兵衛、嫌悪感をあらわにするかなめ、涙目で瞬を見る梢。そして、事態を理解できていない宗介。もちろん林水は涼しい顔だ。
「………………お前たち、何故メリルを私の恋人と早急に決め付ける?」
 こめかみを揉み解しつつ、瞬はウンザリした様子でつぶやいた。
「彼女は……いや、私が説明しても納得せまい。メリル、お前は我が御崎家にとってどのような存在なのか自分で説明してくれ」
 こめかみに流れる油汗を暑さのせいにしながら、瞬は嬉しそうにしている少女……メリルへ言った。
 彼女は、ハッキリ言って可愛かった。三つ編みにした金髪に近い茶色い髪と、くりくりした青い瞳。肌は黒人の血が入っているのか多少浅黒く、『南国生まれ』とでもいうべき雰囲気だ。梢が『静』の美人なら、メリルは『動』の美人というべきか。顔つきは人懐っこく、誰とでもすぐに打ち解けられそうな気がした。
 瞬の指示にメリルは
「は〜い!」
 と彼女は元気良く返事をすると、自分のことを語りだす。
「あたしはね、瞬の妹なの」
 ………………。
 沈黙が流れた。
「あの〜……、御崎君……」
 しばらくしてから、かなめが控え目に手を上げる。
「……言ってみろ」
「…………異母兄妹?」
 すまなそうに質問する彼女だが、メリルは相変わらずニコニコしたまま
「ブー! はずれぇっ!」
 と言った。
「それって……どういうこと?」
 首をひねるかなめ。当然だろう。日本人の瞬と、黄色人種と黒人のハーフのように見えるメリル。どう見ても、一緒の親から生まれたとは思えない。かなめの質問も当然であった。
 瞬はやれやれ、というように溜め息をつくと、
「……つまり、私とメリルは義理の兄妹なわけだ」
『義兄弟!?』
 当事者の二人……瞬とメリル以外全員が、大なり小なり声をあげた。
 瞬と梢は義兄妹となっているのである。義兄妹自体珍しいのに、そこに突然もう一人の義兄妹が登場したのだ。誰だって驚くだろう。
「どういった経緯で、義兄弟になったのだ?」
 いつも通りのペースで、宗介はメリルに尋ねた。誰でも当然疑問に思うはずだ。宗介の場合、疑問というより相手が『清潔な人間』かどうか確かめているような気もするのだが。ちなみに『清潔』というのは、『テロリストなどに突け込まれる弱みがない』ことを指す。
「うーん……。簡単に言うと、義父さんに命を助けてもらったのが縁で……ですねぇ」
「つまり、私の父がアメリカで面倒事に巻き込まれたわけだ。そのついでに面倒事に巻き込まれていた彼女を保護して、結局義理の娘にした、と。だから私にとっては義理の兄妹なわけだよ。
 ちなみにこいつの名前はメリル=F=御崎という。皆、仲良くしてやってくれ」
 メリルの説明に追加説明を入れる瞬。ちなみにその『面倒事』でも死ぬような目に会ったのだが……人に言うのもバカバカしいので、あえて黙っておいた。
「これで納得したか?」
「……一応は……」
 難しい顔をしつつ、かなめは答えた。
「それで、どうしてその妹さんがここにおられるのでしょうか?」
 こんどはしっとりとした声で美樹原が尋ねる。
「私も、それは知りたいな。ここにお前がいるなど聞いていないどころか予想さえしなかったぞ」
 抱きついたメリルの頭を自然な動作で撫でつつ、瞬も興味深そうに言った。
「それはね、義父さんが『そろそろ、日本の高校にお前を入れるべきだな。……よし、とりあえず大島の別荘に行ってくれ。あとは、瞬に任せるから』って言ったの」
「ちょっと待て、君って高校生なのか?」
 外見はどう見ても中学生、場合によっては小学生にさえ見えるメリル。兵衛がいぶかしむのも無理はなかった。しかも着ている服がフリルの付いたエプロンドレスなのである。『不思議の国のアリス』に出てくる少女、アリスのようでさえあった。
「うん。あたしは15歳だよ。3月生まれだけど」
 見ている者まで笑い返したくなるような笑顔で、メリルは兵衛に答える。
「それにしたって……なんつーか、ロリコン好みがするおぐっ!」
「馬鹿者……!」
 ロリコン。この一言が出た瞬間、瞬の肘鉄が兵衛のみぞおちに突き刺さっていた。
「瞬、ロリコンって何?」
「知らない方がいいのよ、メリルちゃん。特にあなたのような子は……」
 呼吸困難で崩れ落ち、そのまま水面に突っ込んで沈んでいく兵衛。その光景を眺めつつ、かなめは遠い目をして無邪気そうなメリルに言う。まあ、無理もなかった。
「つまり……その娘は『清潔』なのだな?」
 会話が一段落したのを確認して、宗介が瞬に念を押す。
「あのな、宗介。お前は私の義妹を何だと思っているのだ?」
 この瞬の言葉。凄まじくドスが聞いていた。宗介が僅かに身を引いてしまったほどだ。
「いや……。どんな人間でも寝返る時は寝返るし、裏切る時は裏切るからな」
「もしメリルが裏切ったなら、私にも責任がある。ためらいなく撃ってもらって結構だ」
 断言する彼の目は本気だった。責任を取って死ぬ覚悟のある目。
「……分かった」
 瞬の言っていることが本気だと分かったのだろう。宗介はひとつうなずいた。
「ところで、いろいろ知らない人がいますねぇ。お友達?」
 辺りの面々を見渡し、いまごろぽつりと言うメリル。
「そんなところだ」
「それ以外何なんだよ……」
 ウンザリしたように、海から半身を起した兵衛が告げた。
「……あ、ヒョウ君もう回復したんだ……」
「アメーバ並の再生力だな」
 揃って酷な事を言うかなめと宗介。宗介にこういう台詞を言わす辺り、兵衛も相当なものだ。
「あのなぁ、お前ら……。……もしかして、この中で一番不幸なのってオレ?」
「違う違う違う」
「自業自得度自業自得自業自得」
 メリル以外全員に否定され、兵衛は再び海の底へと沈んで行く。
「…………。ああいうことをするから、ギャグキャラ扱いされるんだ……。真面目にすれば、そういうわけも無いのにな」
「でも、面白いお兄ちゃんですよぉ」
「メリルちゃん……。それを、ギャグキャラというのよ……」
 無邪気な少女……もとい、無邪気な自分と同じ歳の女の子にツッコみながら、梢は疎外感を味わっている自分を感じていた。
 どうしてだろう? 瞬は自分にも優しいのに……。
 …………。
 違う。優しいの質が。
 わたしへ向けるそれは友情に近いけど、メリルちゃんへ向けるそれは愛情に近い……?
 ……どうなのかしら?
 瞬とわたし。友達以上、恋人未満。
 今の関係が、メリルちゃんの登場で壊れてしまわないかしら……。
 メリルちゃんは瞬が大好きみたい。……もし、瞬がメリルちゃんを愛していたら……
 ……わたしは、どうすればいいの?
「……梢。梢!」
「……あ……っ」
 しばらく考え事をしていた梢は、瞬の声で我に帰った。
「どうしたんだ? ボーっとしていたが」
「……ううん、なんでもないわ」
 どんどん後ろ向きになっていった考えを中断すると、梢は彼に笑ってみせる。
 その笑顔が何か不自然だと感じた瞬だが、『梢が「何でもない」と言ったのだから大丈夫だろう」と判断して用件を述べた。
「そろそろ、屋敷に帰るぞ。夕食だ」
「あ……分かったわ」
 慌てて立ち上がる梢。
「瞬〜、早く行こうよ〜!」
「分かっている。そう急かすな」
 遠くから呼びかけるメリルに答え、瞬は梢に背を向けて歩き出す。
 一瞬、形容しがたい感情が梢を駆け抜けた。が、彼女は強い意志の力でそれを押さえつけると瞬の後を追って歩き出す。
 後には夕日と足跡のついた砂浜、そしていまだ沈んだままの兵衛が取り残されたのだった……。


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