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■フルメタル・パニック! 記憶を消したいシークレット・ファイル■ <後編> |
テレサ・テスタロッサという少女は、まず何事においても「形」から入る傾向がある。 たとえば人型兵器アームスレイブの操縦訓練や休暇を兼ねた日本の都立高校への体験入学などで、彼女の性癖に近いものを宗介は理解していた。 形だ。 それが研究者に共通する性癖なのか、あるいはテッサ個人の資質なのかまではわからない。しかし様式美というものをテッサが愛しているのではないかと、感じることがある。 「ちょっと待っててください」 テッサはそう言って部屋に入った。 直後、何かを強引に押し込む音、掃除機を乱暴にかけるモーター音、それに躊躇なく衣服を脱ぎ捨てシャワーを念入りに浴び、クローゼットより何かをごそごそと探す音。 それらの音を認識して、兵舎の外で宗介は唸った。 (これは、大事だ) コンドームとは水筒の代替品ではなかったのか? 自分は大きな認識違いをしていたのか、そしてコンドームを使用するということはこれほど厄介な手順を踏むのかと宗介は驚く。 (いや、自分はまだ認識違いをしているのかもしれない) だとすれば、テッサは宗介の誤解も知っているだろう。その上で彼女はこのように入念な準備を整えて、いち下士官に過ぎない自分の質問に答えようとしてくれている。 宗介の胸にこみ上げるものがあった。 自分は良い指揮官に恵まれた。自分だけではなく、おそらくメリダ島基地に所属する全ての隊員が同じ気持ちを抱いているに違いない。SRTの要員達は「よし、男になってこい」と言っていたが、確かに彼女のためならば男、つまり一流の戦士になるのは当然の義務に違いなかった。そしてコンドームには、自分が真に一流の戦士となるために必要な重大な秘密が隠されているのだ。 (……何としてもコンドームの秘密を掴まねば!) 天井を見上げ拳を握る、その後頭部に拳大のゴム弾が炸裂して宗介は昏倒した。 フルメタル・パニック! 記憶を消したいシークレット・ファイル<後編> テッサはできる限り平静に、宗介に言った。 「ちょっと待っててください」 脱いだままのパジャマ、マオ曹長がテーブルの上に置き忘れたビールの空き缶、それに読みかけの雑誌。片付けられるものを片付けると、次はカーペットの汚れが妙に気になる。急いで掃除機をかけ息を吐けば、自分が汗だくになっているのに気がついた。 (サガラさん、マニアックな趣味はありませんよね) だとすれば汗臭い身体で宗介に迫るわけにはいかない。 普段の倍量ほどボディソープを使って、念入りに、しかし迅速に身体を洗う。以前マオが譲ってくれた、とっておきの香料入り石鹸も何気なく使う。普段のテッサならシャワーを浴びた時点で我に返るのだが、湯を頭に浴びてなお彼女の意識は変わらなかった。 (たとえ誤解だとしても、これはチャンスなんです) 自分に言い聞かせるように、テッサは呟いた。 (直接告白しても通用しないマジボケで唐変木のサガラさん相手には、一線を越えるくらい押し切らないと駄目なんですっ) 顔の火照りは、湯の熱さで掻き消された。 普段ならばとてもできない事でも、今のテッサにはやれそうだった。事実その通りのことをヤろうとしているのだから、その精神状態はある意味で正常といえるのだが。 ともかくテッサはシャワーを浴びつつ拳を握り。 直後、硬質ゴムがコンクリートにこすり付けられる独特の音が壁越しに聞こえてきた。基地車両として使っている電気自動車では滅多に出せない音だったのでテッサは驚きシャワーを止め、外の様子を伺う。 「サガラさん?」 返事は来ない。 「……サガラさんっ?」 数秒置いて再び声をかけるが、やはり反応が無い。心配になったテッサはバスタオルを身体に巻きつけて玄関の扉を開ける。 そこにあったのは宗介ではなく、小さなぬいぐるみだった。 二頭身の、ずんぐりとした愛嬌のある姿。まだら模様の身体に、犬ともネズミとも判断できない頭。帽子と蝶ネクタイが可愛らしさを主張している。 (あ、可愛い) でも、宗介ではない。 見れば、部屋の眼前にタイヤの跡。非常に鋭角の、普通の運転ではつけられないタイヤの跡だ。道路には、炸裂したと思しきゴムボール弾が散らばっている。 「サガラさーん!」 念のためにもう一度声をかける。やはり宗介は返事をしない。気配さえない。 「うふふふふ、ふふふふふふふふふっ」 テッサは俯いた顔のまま、笑った。 地獄の底から聞こえてくるような、そんな笑い声だった。 宗介が意識を取り戻した時、彼は手首足首を縛られてジープ型の基地車輛の荷台に転がされていた。舗装されているとはいえ尋常ではない速度で走り右折左折を繰り返す車体は大きく揺れ、あちこちに頭や肩を打って宗介は呻き声を漏らし上体を起こす。 「あ、起きた」 ハンドルを握っているのは、SRT要員つまり宗介の同僚たるヤン・ジュンギュ伍長だった。地下基地を走る電気駆動式の車輛でこんな真似、ドリフト走行やアクセルターンを猛スピードでやってのける者は数えるほどもいない。 「……これはどういうことだ?」 「それは私の台詞だ、サガラ軍曹」 声は横から聞こえた。 誰から入手したのかゴムボール銃を宗介に突きつけているのは、メリダ島基地では知らぬ者の無いほどの有名人。宗介たちSRTが最も苦手とする上司でもある。 「中佐殿?」 「サガラ軍曹、君には二つの選択肢が残されている」 中佐、つまりメリダ島基地で二番目に偉い存在であるリチャード・マデューカスは、一見するとこの上なく上機嫌だった。だから宗介は「はあ」と頷き、ヤンは目的地目指して車両を走らせた。 「どのような選択肢でしょうか、中佐殿」 「銃殺か轢殺だ」 「……は?」 「銃殺か轢殺か好きな方を選べと言っているのだ、サガラ軍曹。貴様はいち下士官として、否、一個の人間として決して侵してはいけない領域に土足で踏み込んだ、貴様は許されざる過ちを何度も犯しているのだ! いいか、今までは貴様の功績や置かれていた状況の複雑さもあって黙認していたが今度ばかりは状況が違う! 貴様のやったことは艦長の健全なる精神と肉体に対して修復不能の汚染をもたらしたに等しいのだぞ!」 至近距離で、しかもゴムボール銃を突きつけながら怒鳴るマデューカス。その手は怒りのためか小刻みに震え、目は血走っている。どれほど楽観的に判断しても、彼がまっとうな精神状態にあるとは思えない。 「中佐殿?」 「私は貴様のことをそれなりに評価していたつもりだ。貴様には一般常識や紳士的振る舞いに関して救い難いほど経験が不足しているとわかっていたが、それは訓練次第で克服できるものと信じていた! 貴様に紳士の娯楽であるチェスでも教えてやれば少しは倫理的に問題の無い振る舞いを身につけるかと思い用具一式を手配してSRTオフィスに顔を出してみれば、精鋭部隊の連中は揃いも揃って貴様を焚きつけ艦長の心身に癒し難い傷を負わせることを企んでいる! 貴様たちの安易な発想と軽率な行動が後々の戦隊指揮に致命的な問題を発生させると理解できないのか!」 「簡単な質問だと聞いたのですが」 「微妙な年頃の娘にコンドームの使い方尋ねておいて、簡単な質問のはずが無かろうがっ!」 「そ、そういうものなのですか」 これには宗介は大いに驚き、ヤンは片手で顔を押さえる。 あちゃー、という感じだ。 「中佐、ソースケは戦隊にとって不可欠の人材ですよ」 「そんなことはわかっている!」 「ラムダ・ドライバ搭載の<アーバレスト>に乗れるのは、ソースケだけですよ!」 「わかっている、わかっているんだ! サガラ軍曹を始末すると敵が同型のASを繰り出してきた時に対抗できなくなる事も! それが我々にとってどれほどの損失になるのかくらい、頭に血の上った今の私でも十分にわかることなのだっ!!」 理性など完全に吹き飛んでいるだろうに、それでもマデューカスは論理的に物事を考えようとしていた。最初からわかっていたことだが説得は無意味であり、当然のように失敗に終わった。 「わかってはいるが、わかるわけにはいかんのだっ!」 「てい」 マデューカスが座席より立ち上がりトリガーに指をかけた瞬間、ヤンは大きくハンドルを左に切った。宗介を拉致した時のように、車輛は滑るように回転し減速せず鋭角に左折する。立ち上がっていたマデューカスはバランスを崩し、車輛から放り出された。数秒ほど宙を舞ったマデューカスは、道の脇に積んだ段ボール箱の山に背中から突っ込んで意識を失う。もちろんそれは偶然ではなく、計算だ。それをやってのけるだけの技量がヤンにはある。 「ああっ、初めて自分らしく活躍できたような気がする!」 色んな意味でいっぱいいっぱいだったヤンは猛スピードで車輛を爆走させつつ不覚にも涙ぐんだ。一方の宗介は、相変わらず手足を縛られたままである。いつもならば隠し持っていたナイフの類で拘束を解くところだが、テッサの部屋に行く際に入念なボディチェックを受けており、その種の道具は全て没収されていた。それどころか、拘束具は微妙な位置に食い込んでいるので関節を外しても脱け出すことは出来ない。 おかしな話ではあるが、プロの仕事である。 「むぅ」 「ああ、そうだ。ソースケ」 「なんだ」 「君はどこへ行きたい?」 言われて宗介は考えた。 やはりテッサの部屋に戻るのが常識的な回答だろう、と。しかしマデューカスの反応を見るに、それは部隊の今後を考える上で「とてもいけないこと」ではないかとも考えた。ついでに言えば、何故か東京にいるかなめの姿が脳裏に浮かびもした。 形容し難い後ろめたさ。 そうとしか言いようのない感覚が宗介を支配し「とりあえずSRTオフィスまで頼む」という言葉を出そうとして。 突然、車輛が止まった。 そこはメリダ島地下基地で最も広い、AS格納庫だった。いくら広いメリダ島基地でも、電気駆動式の車輛で全力疾走すれば、いろんな場所を寄り道したとしても最終的にはそういう場所にたどり着く。オフィスに戻るなら来た道を引き返さなければいけない。テッサの部屋に戻るためにも、やはり引き返す必要がある。 が。 ヤンが車輛を停止させたのには別の理由があった。 「あれは」 あれ、と震える声で指し示す先。 自由にならない手足の拘束に苦労しつつ宗介が視線を動かし。 そして硬直した。 「あれは」 あれ、としか言いようがない。ヤンも言葉を失っている。 視線の先には「あれ」があった。全長8メートル強、重量約10トンの、鋼鉄巨人。地球上で最も危険な陸戦兵器。どの国の軍隊も実戦投入しておらず、そして10年先の技術を詰め込んだ芸術品。M9、ガーンズバックと呼ばれるアームスレイブだ。 それが計10機、四つん這いで動いている。 四足獣というよりは、昆虫のような動きでカサカサと。頭部センサーをせわしなく左右に向けていた10機のM9は、宗介たちに気付いたのか頭部の向きを固定し、その後に身体を向けて動きを止めた。 不気味である。 『……ヒック』 不意に。 格納庫のスピーカーから声が聞こえた。普段より彼らが敬愛してやまない少女の、妙に能天気で甘ったるい声だ。宗介の額にぶわっと汗が浮かび、ヤンは「え? ええっ?」とハンドルを握ったまま困惑している。 『うふふふふふふ』 「た、大佐殿?」 『サガラさーん……み・つ・け・た』 「大佐殿っ!?」 直後、10機のM9は四つん這いのまま再び動き出す。ただ一点、すなわち宗介たちの乗る基地車輛に向けて。 「逃げるぞ、今の大佐殿相手に理性的な交渉は望めない!」 「ええええっ!?」 「早くしろ! 大佐殿は相当量のアルコールを摂取している!」 宗介の絶叫と共にヤンはアクセルを一気に踏み込んだ。 ベルファンガン・クルーゾー中尉は充実した夜を過ごした。 訓練が順調であること。 部下の一人に台無しにされた『ビデオ』を、DVDで買い直したこと。その資金を部下より没収したこと。 訓練の後、自室でそれを鑑賞したこと(音声が漏れないよう大型のヘッドホンを彼は愛用している)。 とあるネットの評論サイトで、世界を代表する『監督』の新作映画が国内で高い評価を受けているのを知ったこと。 年内一杯は上映しているから自分にも映画館で鑑賞する機会があること。 そういえば最初の休暇が近付いていること。東京に部下が住んでいるから、東京に出向く口実と宿泊先に困らないこと。 (……千尋たん……これが、これが『萌え』というものなのか……) 殺伐とした戦場では出逢えそうにない健気な娘を思えば、胸が苦しくなる。まるで初恋の痛みに酔う少女のように、目を伏せて自室を出る。この気持ちをいつまでも味わっていたかったが、SRTを束ねる者として威厳を保たなければいけない。実は前述する部下のヘリウムガスよりも軽い口によってSRTどころか部隊中にクルーゾーの『趣味』が知れ渡っている可能性があるのだが、彼はそんなことなど考えもせず、とにかく今日の訓練と仕事に専念しようと自室を出て。 絶句した。 ひっくり返った基地車輛、散乱する段ボール箱。 コンクリートは一部引き裂かれ、ASが徘徊したとしか思えないような陥没や亀裂があちこちにある。多くの基地職員は引きつった顔で破壊された建物の修理や被害状況の確認を進めており、それを現場で指揮しているのは首をギプスで固定し手足に絆創膏や包帯を巻きつけたマデューカスだった。 「中佐殿、これは」 「知らなければ、それでいい事だ」 ぼそりと、しかしドスの効いた声で低く唸るとマデューカスは再び作業に戻った。会話はそこまでらしい。仕方なくクルーゾーはSRTオフィスへ行き、とりあえず本日行う予定の訓練についてミーティングの準備と現状把握を試みようとした。 「おはようございます、中尉殿」 SRTオフィスにいたのは宗介一人だった。学生鞄を抱え、ディバッグに学生服を詰め込んでいるところである。宗介もまた他の職員と同様疲労しきった様子で、訓練後に巻きつけた包帯や湿布も心なしか数が増えているような印象を受ける。 「……トーキョー行きの飛行機は、2時間前に出たのではないのか?」 「滑走路の復旧は30分前に完了しました」 「復旧?」 「瑣末な問題であります」むっつり顔で答える宗介。「報告書をデスクの上に提出しました、後で確認お願いします。それと」 唐突に思い出したのか、宗介は学生服のポケットから小さな包みを取り出した。 コンドームである。 「これの正しい使い方をご存知でしょうか?」 それを目の前に示され、クルーゾーはこう答えた。 「麻薬やマイクロフィルムを入れて、飲み込む代物だ。売人が税関を潜り抜けたり、あるいは潜入捜査官が情報を隠し通す際に便利なのだ。胃袋に隠しても、胃酸から保護できるのでな」 「なるほど」 「まあ、そういう使い方もあるという事だ」 「参考になりました」 はじめから中尉殿に聞けば良かったと宗介は呟き、そのままオフィスを出た。 クルーゾーが事の顛末を知るのは、宗介が出発してから数時間後のことである。 <了> |
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