ORACULAR‐WINGS■
 ■突き押し払いのリアルバウト■    <第1章>


 近年、日本の残暑は厳しくなる一方といわれているが、今年も例外ではなかった。
 9月に入って間もないこの日の天気は快晴で、予報によると、東京の気温は33度まで上がるということであった。
 東京都内、私鉄京王線の沿線にある都立陣代高校は、創立以来50年以上の歴史を持っているが、校舎は幾度か――とくに、最近はひんぱんに――改修、改築されており、教室には冷暖房が完備されている。
 だから、教室内はいたって快適である。が、廊下に出れば一転、灼熱の世界であった。
 そして、その日の昼休み、ガラス越しに陽射しが照りつけるその廊下を、千鳥かなめは大股で歩いていた。
 歩きながらかなめは、額に張りついた髪を、荒っぽい手つきで払った。こう蒸し暑い日には、自慢の長い黒髪もかえってうらめしく思えるものである。
 かなめは、ある教室の前で足を止めた。教室のドアの上には、「1年2組」と表示されたプレートがある。
 かなめは、ノックもせずにドアを勢いよく開いた。とたんに、教室から爽やかな風が流れ出てきて、かなめは人心地ついた。
「あ、千鳥先輩。何かご用ですか?」
 ドアの近くの席に座っていた女生徒が、親しげなようすで彼女の名を呼んだ。かなめは、生徒会副会長を務めており、学内では有名な存在である。
 それに対してかなめは、温和な声と笑顔で、
「うん、ちょっと学級委員の人、呼んでくれる?」
 と依頼した。ややあって、ひとりの男子生徒がかなめの前に姿を現した。背は高いが、少し猫背がかった気の弱そうな少年である。
「あの、僕が委員長ですけど、え〜っと、何のご用でしょうか」
 委員長は、どこかとぼけたような口調と表情でかなめにたずねた。そのぼやっとした面先に、かなめは素早い手つきで数枚の書類をつきつけた。
「今日の5時までに提出してください」
 そして、それをそのまま委員長の手に押しやった。
「え〜と……、これは何ですか?」
 いまだに事情を飲み込めていないらしい委員長は、書類とかなめの表情との間で視線をうろうろさせていた。そして、委員長は自分がひどい問題をおかしていることにようやく気付いたらしく、たじろぐように一歩後ずさりした。
「それは、1学期中に提出されているはずの、文化祭参加申請書です」
「は、はい。思い出しました」
 陣代高校の文化祭は、9月下旬に開催されるが、出典内容などについては1学期中に決めておくことになっている。が、件の1年2組の場合は、期限の時点では「ゲーム(仮)」としか決定されておらず、詳細については早々に報告するという約束になっていた。
 その約束を交わしたのはかなめではなく、別の生徒会役員であったが、かなめも承知はしていた。そして、つい数十分前、かなめが生徒会室で書類を整理していたときに、ようやく問題が発覚したのである。
「先ほど、昼休みのはじめに、生徒会室まで来るようにとあなたを呼び出したのですが、待てど暮らせどいらっしゃらないので、こうしてわざわざやってまいりました」
「ご、ご足労いただきまして……」
「おわびはけっこうです。とにかく、5時まで時間を差し上げます。必ず提出すること。よいですね?」
「ご、5時ですか? ちょっと待って」
「よいですね?」
「はい……」
 最後にかなめが作った笑いは、委員長に対する最後通牒であった。つまり「あたしが笑っていられる間に、素直に返事しなさいね」ということである。
「それでは、放課後、生徒会室までそれを提出しにいらしてください。私は、会議で留守にしているかもしれませんが、そのときは部屋にいる誰かに預けてくださってけっこうです。それでは、失礼」
 結局、かなめは最後まで慇懃な言葉づかいを貫き通した。そして、そのままドアを静かに閉じて、頼りがいのかけらも感じられない委員長の姿を視界から消した。
 とたんに、背中から汗がにじんでくるのをかなめは感じていた。廊下の窓は閉め切られており、ぬるい風のひとつも流れてこない。
 涼しい自分の教室へとっとと戻ろうと思って、かなめは腕時計をちらりと見た。彼女が愛用している、カルチェの時計である。
 が、それを確かめる必要もなかった。ちょうどそのとき、予鈴のチャイムが鳴りわたったのである。
 このとき、かなめの頭の中に二つの選択肢があらわれた。このまままっすぐ教室に戻るか、何か飲み物を買って喉を潤してからにするか。
 少し迷ったうえで、かなめは前者を選択した。5時間目の担当が、古典の藤咲教諭だったからである。少しでも遅刻すれば欠席扱いになるというリスクを、かなめは負う気にはならなかった。
 とはいえ、このままいけば、5時間目の半ばには飲み物のことしか考えられなくなるのは目に見えていた。思えば昼休みのはじめに、ドリンクを買い忘れたのがいけなかったのであるが、例の委員長が放送に応じてさっさと生徒会室まで来ていればこういう展開にもならなかったわけで……。とそんなことをぐるぐると考え続けたあげく、かなめは、
「……ったく、ああ、むかつくったら!」
 とりあえずたまっていたストレスを、階段の踊り場で爆発させた。
 ひとりの少女を巻き添えにして。
「きゃっ! かなめさん?」
「うわっ、だれ?」
 かなめは、すでに後ろにとびのいていた。それから、自分の名を呼んだ、品のある声の持ち主を思い返していた。
 つやのあるブラウンのロングヘアとグリーンの瞳、それでいて日本人的なすっきりとした面立ち。背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている姿は、一輪挿しの花を連想させる。
 かなめが想起したそんな少女の姿が、まさしく彼女の目の前にあった。
「コズエちゃん……」
 少女の名は、篠宮梢(しのみやこずえ)。一学期の半ば過ぎに陣代高校に転入してきた、1年3組の生徒である。
「すみません、かなめさん。何やら驚かせてしまいましたね」
「ああ、いいって。先にびっくりさせたのは、こっちなんだから」
 そう言ってから、かなめは大げさに笑った。つられるようにして、梢も口許に手をやりながら微笑んだ。
「そうだ、かなめさん。昼休みはどちらに行かれてたんですか?」
 とそのとき、思い出したかのように梢が質問を発した。
「ん? ずっと生徒会室にいたけど、さっき1年2組に用事で行ってたんだ」
 かなめがそう答えると、梢は納得したように「ああ」と言ってうなずいた。
「ちょうど、入れ違いになってしまったんですね。私も、さっき生徒会室をおうかがいしたんですが、ちょうど出かけたところだと生徒会の人に言われたので」
「ていうと、あたしに用があったの?」
「はい。ちょっと、聞いていただきたいお話があって」
 このとき、梢の顔はいくぶんうつむき加減で、声の調子は若干低くなっていた。
「でも、もう時間が……」
「大丈夫! 放課後、身体があいたらすぐにでも相手になるから!」
「えっ?」
 かなめは、胸を張って答えた。梢のしぐさから、彼女が自分を強く頼りにしていることを感じ取ることができたからである。
「本当は、今すぐって答えたいんだけど、次の授業は遅れたらヤバいし、放課後は会議に出ないといけないから」
 かなめは、苦笑まじりにそう付け加えたのであるが、梢はとくに意に介さなかったらしく、笑顔でかなめに礼を述べた。
「いえ、ありがとうございます。それでは、放課後のちょっと遅い時間に、生徒会室へおうかがいします」
「うん。4時半くらいには戻っているはずだから」
 このとき、「時間」と聞いてかなめは時計を再確認した。
「やばっ! ごめん、コズエちゃん。ちょっと急ぐから!」
「こちらこそ引きとめてしまってすみません」
「うん、じゃあね!」
 言うがはやいか、かなめはすでに階段を上りきっていた。
 そのままの勢いで、かなめは2年4組の教室までかけ続けた。そのかいあって、かなめはチャイムが鳴る前に無事席につくことができたが、その直後に藤咲教諭が教室に入ってきたので、かなめは休む間もなく「起立」の号令をかけるはめになってしまったのであった。

 放課後、かなめは文化祭の予算に関する会議に出席した。
 その会議は、かなめが思うほかに順調に進行し、1時間もかからないうちに散会となった。
 というわけで、かなめは約束の時間よりも15分早く生徒会室に戻ってきたのである。
「ただいま〜、ああ、涼しい!」
「おかえりなさい。お疲れさまでした」
 かなめが部屋に入ると、黒髪の女生徒が、のんびりとしたようすで書棚の整頓を行っていた。生徒会書記の、美樹原蓮(みきはられん)である。見渡してみると、机の上やパソコンの周りなどもきちんと片づいていた。かなめは「手伝おうか?」と申し出たが、それは蓮に「もう終わりますから」といってとどめられた。
 かわりに、かなめはお茶を用意することにした。蓮は、お茶が出る頃合いを見計らったように片づけの手を止め、別の棚からお茶菓子の栗まんじゅうを取り出してきた。それを置いたお盆を間にはさみながら、ふたりは話をはじめた。
「……てなわけで、会議はあっさり終わっちゃった」
「それはよかったですね。ところで、今日は相良さんとごいっしょではなかったのですか?」
「あいつは、今日は別件。でも、会議の原因作ったのはあいつなんだけど」
 相良宗介は、今年の文化祭において「入場歓迎ゲート」を製作する任務を与えられていた。それは夏休みのうちにはほぼ完成しており、出来栄えもなかなかのものであったのだが、いかんせん重大な問題をふたつばかり抱えていた。
 ひとつは、ゲートの外見が「要塞」そのものであり、入場者を「歓迎する」というよりは「監視する」ものにしか見えなかったこと。
 もうひとつは、ゲート製作費として申請された金額が、文化祭全体の予算のほぼ100%にあたっていたことである。
「結局、ゲートはどうなるのでしょう」
「あたしが独断で予算決定したから、その範囲内でどうにかやってもらうわ」
 かなめの独断といっても、それは例年の予算配分に従っただけのことであり、宗介にもあらかじめそのように通知し、了承も得ていた。本人は、若干不服そうな表情を見せてはいたが。
「ほんと、あいつは無駄な仕事を増やしてくれるわ」
 と自分で言った「無駄な仕事」という言葉で、かなめは昼休みの件を思い出した。
「……お蓮さん、あたしが留守の間に、誰か来なかった?」
 この「誰か」というのは、1年2組の委員長のことである。が、同時にかなめは、梢がもうじき訪ねてくるはずということも思い起こしていた。そして、
「いえ、どなたもいらっしゃってませんよ」
 という蓮の答えを聞いたとき、かなめは例のぼんやりした委員長のことよりもむしろ、どことなく思いつめたような顔をしていた梢のことの方を気にかけていた。
 ……学校では明るく振る舞ってるけど、本当はひとりで何か抱え込んでるのかもなあ。
 「進学校から転校してきた秀才少女」、梢は周囲からはそう見られているらしい。それが原因でやっかみを受けることもあるが、多くのものは素直に感心してくれる、という話を、かなめは梢から聞いたことがある。
 しかし、かなめは「進学校からわざわざ転校してこざるをえなくなった事情」までをも知っていた。それは、「あの事件」に直接立ち会ったものだけが知っていることであり、安易に他人に口外できる性質のものでもなかった。
 たとえば、梢はその事件を解決してみせた恩人と現在同居しているのであるが、その恩人とは実のところ陣代高校の男子生徒であり、同居のことが周りに発覚すれば、ろくな噂に発展しないことは想像に難くなかった。
 だから、そのことが原因で梢が苦しんでいるのなら、自分こそがまず支えにならねばならないとかなめは考えている。
 もっとも、今回に関してはそんな過去の事情は関係がないようにかなめは感じていた。それは、人から悩み相談をしばしば持ち掛けられる、かなめ自身の経験によるものであった。そして、そこから想像するに、梢の悩みというのはもっとささいな……。
 コン、コン。
「はい、開いておりますので、どうぞお入りください」
 かなめの思考は、小さな二度のノックで中断させられた。それに応対したのは蓮であったが、ノックの主は自分を訪ねてきたのだ、という確信がかなめにはあった。いちおう、教師がようすを見にきたという可能性も考慮に入れてはいたが、茶菓子を食べているていどで騒ぐような教師は、陣代高校にはほとんどいなかった。
「し、失礼します」
 はたして、返ってきたのは、女性の声だった。少し控えめで、小動物を連想させるその声は、しかし梢のものではなかった。
 ドアが開いて、そこに立っていたのは、ポニーテールがよく似合う、小柄な女生徒。
「どちらさまでしょう?」
 蓮はそのように尋ねたが、かなめは彼女のことをよく知っていた。
「あの、2年2組の、鐘鳴有羽(かねなりゆう)です」
 鐘鳴有羽は、かなめにとっては稲葉瑞樹(いなばみずき)を通じての友人である。もっとも、友人に遠い近いなどないとかなめは思っているが。
 瑞樹と有羽との関係は、「しっかりものの姉」と「自信のない妹」といった感じであった。なにかあると「ごめんなさい」を連発する有羽と、そのたびに「そのあやまる癖をやめなさい」と彼女をしかる瑞樹。それは、かなめの目から見て、なかなかに微笑ましいものであった。
 そんなふうなので、有羽が実は剣術使いであるということは、多くのものには知られていない。かなめも、知識としては知っているが、実際に剣を振るっているところは目にしていないので、そのシーンを想像するのにはいささかの努力を要している。
 さて、蓮はその小さな来客に、普段通りの丁重な応対をとった。
「え〜と、どのようなご用件で……」
「ああ、あたしに用だと思うから。そうでしょ、ユウ?」
 かなめの問いかけに、有羽は大きくうなずきながら「はい」と答えた。
「それなら、そんなところでかしこまってないで、早く入って。ちょうどお茶菓子もあるし」
「あ、ありがとうございます」
 とおじぎをしてから生徒会室に入ってきた有羽は、どこか落ち着かないようすで部屋のあちこちを見回していた。蓮に「どうぞおかけください」と椅子をすすめられて、ようやく有羽は腰を落ち着かせた。
 かなめは、お茶を用意しながら有羽のようすを確かめていた。有羽の顔は若干紅潮しており、小さな身体はさらに縮こまっているように見えた。
 このように、場の雰囲気に気後れするところは、なるほど有羽らしいとかなめは感じていたが、同時に「そこまで緊張しなくても」という思いも抱いていた。
 まもなく玄米茶の用意ができたので、かなめはそれを湯のみにいれて有羽の前に差し出した。それから椅子に腰掛けて、自分の湯呑みにもお茶を注ぎ足した。
「さて……」
 それから、斜め向かいに座っている有羽の方に向きなおって、
「で、ユウの用事って、なに?」
 とたずねた。すると、有羽は顔をうつむかせ、上目づかいでかなめを見つめながら、たどたどしい口調で答えた。
「そ、その、かなめさんに聞いていただきたいお話があるんです」
「ありゃ」
 これはまた、大した偶然だとかなめは思っていた。しかし、
「ごめんなさい!」
「へ?」
 有羽は、条件反射ともいえるような動きで頭を下げていた。仔犬を思わせるような黒目がちの瞳は、わずかに潤んでいるように見えた。
「え〜と、なんで謝るの?」
「ご、ごめんなさい……」
「いいけどね……」
 このとき、かなめは瑞樹に対して深い共感を覚えていた。それから、やや躊躇するような間をおいて、有羽は心配そうな顔でかなめにたずねた。
「……あの、もしかして、お忙しいのですか?」
 その言葉で、かなめは有羽の気持ちを理解することができた。「ありゃ」というつぶやきを、「困ったな」というように解釈されたわけである。かなめは、表情をゆるめながら、有羽に説明した。
「いや、そういう意味じゃないのよ。ただ、今日はそういう日なのかな〜って」
「そういう日?」
「うん。実は、また別に相談を持ち掛けられてね」
「はぁ〜、さすがはかなめさんですねえ」
 今度は、感嘆の声をあげる有羽。その感心ぶりが、あまりにも率直だったので、
「いや、それほどでも、あははは」
 かなめも、つい気を大きくしてしまった。
「だから、ユウには悪いんだけど、ちょっと今はね。待っててもらうか、また明日にでも、ということで」
「はあ、それでは」
 と、有羽が返事をしようとしていたとき、生徒会室のドアが、特徴あるパターンでノックされた。
「あ、宗介だ」
「わかるんですか?」
「まあね」
 とかなめは言ったが、それは生徒会役員ならみんな知っていることなので、とくに自慢するに値することではなかった。そして、外から開かれたドアの向こうには、むっつりへの字口の相良宗介と、もうひとり。
「梢さん!」
「へ?」
 宗介の隣に立つ女生徒の名を叫んだのは、有羽であった。
「鐘鳴さん、どうしてあなたがここに!」
 その女生徒、篠宮梢も、有羽に負けじとばかりに声を荒げる。
「え〜と、どういうこと?」
「うむ。ここに戻る途中、彼女に出会ってな。聞くと、千鳥に用があるということだったので、同行した次第だ」
「あんたには聞いてないけど」
 かなめの質問は、有羽と梢に向けられたものであった。それに対する答えは、ふたりの口からは返ってこなかったが、それでもかなめは十分に事情を理解することができた。
 緑色の澄んだ瞳と、黒いつぶらな瞳から発せられる鋭い視線。
 それらが、ちょうど自分の目の前で火花を散らしながら交錯しているさまをかなめは感じていた。
 知性あふれる清楚な少女も、幼さの残る気弱な少女も、そこにはいなかった。いるのはただ、互いを敵視しあう、ふたりの女であった。
「……そういうことだったのね」
 それは、ふたりがかなめに相談したがっていたことが、根っこのところでつながっていることを示していたのである。
 そうとわかれば、有羽に待ってもらう必要はなかった。むしろ、ふたり揃っていたほうがよい。それでは、どこで話し合おうか?
 そんなふうに、かなめがお膳立てをはじめたときだった。
「この不穏な状況、もしや……」
 スパーン!
 いつのまにやらかなめのそばまで移動してきた宗介が、知ったような口調で何かを口走ろうとしていたのである。
「なぜ殴られる?」
「やかましい!」
 それに対して、かなめはどこからともなく取り出したハリセンを宗介に向けて炸裂させた。これは、いわゆる「陣代高校のお約束」であり、いつもなら大爆笑が巻き起こるところであった。が、
「……」
「……」
 有羽も梢も、そんなことはお構いなしといったようすで、一歩も動かずにらみ合いを続けていた。かなめはため息をつき、宗介はいつものむっつり顔で腕組みをした。こうして、生徒会室に静寂の空気が充満した。
「……ところで」
 そんな気配を振り払ったのは、座ったままでずっとお茶を飲んでいた蓮であった。
「なに、お蓮さん?」
 返事をしながら、かなめは少々ひどい想像をめぐらせていた。蓮のことであるから、この雰囲気を察せずに、「このおふたりは、何をしにいらっしゃったのでしょう?」などという質問をするかもしれない、などと思ったのである。
 その想像は、幸いにして外れた。が、雰囲気を察していないという点では、同じことだったかもしれなかった。
「相良さんは、先ほど何とおっしゃろうとしていたのですか?」
 かなめは、深く肩を落とした。そのままの姿勢で宗介のほうをちらりと見ると、どうやら発言の許可を求めているらしく、かなめのほうにさかんに視線を送っていた。
「いいわよ、言っても」
 「どうせ、ろくなこと言わないだろうけど」とは、あえてかなめは言わなかった。「このふたりは、互いに重大な秘密を握り合っている」とか、「誘拐したはずのターゲットが、なぜかここにいて当惑している」とか、そんな妄言が宗介の口から飛び出しても、かなめは動じない自信があった。
 だからこそ、かなめは宗介の発言に顔色を失ったのである。
「……おそらく、このふたりは近い過去に何か言い争いをしたのだ。そして、互いに相手の謝罪を求めているのだろう」
「はぁ、なるほど」
 蓮は、納得したように小さくうなずいていた。かなめがそのまま視線をふたりのほうに移すと、有羽と梢は驚きと困惑とが入り交じったような表情を宗介に向けていた。憤懣やら憎悪といった感情は、ふたりの顔からはさっぱりと消え落ちてしまっている。
 かなめは、やり場なく視線をさまよわせた。やがて、それが宗介とぶつかったとき、
「どうだ、千鳥。俺の想像は、的外れでもなかったようだが?」
 淡々と、しかしはっきりとした口調で、宗介はそう尋ねた。かなめは、どことなく誇らしげに見える宗介の顔に、
 スパーン!
 あらためて、ハリセンを振り下ろしていた。
「だから、俺が何をした?」
「やかましい!」
 しかし、このときもやはり生徒会室に笑いの波は訪れなかった。

 事の起こりは、昨日の夕方のことであった。
 下校時まで、クラスの文化祭準備にはげんでいた有羽は、まっすぐ家には帰らなかった。
 寄り道先は「柳生仙陽流道場」、つまり陣代高校2年4組に在籍する御崎瞬(みさきしゅん)の家であった。帰りしな、ちょうどクラスメイトの小百合葉兵衛(さゆりばひょうえ)と出会い、彼のすすめで剣術の稽古を見学することになったのである。有羽にとっては、願ってもないことであった。いろいろな意味で。
 御崎家は、時代劇でみる武家屋敷のような構えで、その広大な敷地の一角に「柳生仙陽流」の道場があった。道場というだけあって、門下生を指導できるだけの広さもあり、清掃も行き届いていたのであるが、その日は瞬と兵衛の貸し切り状態になっていた。
 すでに稽古の準備をすませていたらしい瞬にあいさつをすませてから、有羽は道場のすみに座して、兵衛と瞬とによる実戦形式の稽古を見学させてもらった。
 結論から言うと、稽古を「ひとりで」見ていた時点での有羽の感想は、
「ちょっと恐かったけど、連れてきてもらってよかった」
 であった。
 有羽の目の前で行われたのは、「実戦形式の」というより「実戦」、より正確を期するなら「命の取り合い」であった。
 ふたりが使用していた武器は、ごく普通の木刀であった。それが、持ち主の「斬る」という意志を帯びることにより、真剣と違わぬ脅威となることを有羽は思い知らされた。稽古を終えたころ、ふたりの道着には大小無数の穴が空いており、もはや修復すら困難な状態になっていた。
 そんなふたりのやりとりを、有羽はかたずを呑んで見守っていた。瞬きひとつしても、ふたりの姿を見失ってしまう、そんなふうに思えるほど、ふたりの動きは鋭かったのである。
 一見力まかせに見えるが、確実に相手の急所を狙っている兵衛の斬撃。それを紙一重でかわしつつ、瞬時に兵衛の死角にまわり、突きを繰り出す瞬。それを、兵衛は肩口にかすらせながらもかわし、お返しとばかりに瞬の胴をなぎ払う。
「入った!」
 そう確信し、握り拳に力をこめる有羽。しかし、
 ゴトリ
「ぐあっ!」
 気がつくと、床に崩れ落ちていたのは兵衛のほうであった。有羽は、一瞬であるが、瞬の動きを見失っていたのである。
「あの、いったい何が……」
 有羽は瞬に説明を求めた。瞬は、床に落とした自分の木刀を拾いながら、ただ一言、
「殴った」
 とだけ答えた。
「え、え〜と……」
 さらに困惑する有羽。それを悟ってかどうか、瞬は少し詳しい解説をはじめた。
「まず、心臓に一撃入れて、動きを止める。それから、みぞおちを突いた」
「し、心臓ですか? それって……」
 と、有羽が声をつまらせたときだった。
「あ〜、これくらいいつものことだから、大丈夫、大丈夫」
「ほえ?」
 声のしたほうに有羽が目をむけると、そこにはすでに起き上がって身体を伸ばしている兵衛の姿があった。と、目が合って、兵衛はブイサインとともに満面の笑みを有羽に示した。
「いや、決まったと思ったんだけどさ。その気持ちが出た分だけ、負けたね」
「そ、そうですか……」
 兵衛の笑顔から視線をそらし、有羽はあいまいに答えた。
「兵衛のことだから、あそこはそのまま斬り込んでくると確信していたしな」
「そこまではわかってたから、迷わず決めるつもりだったんだけど」
 と、有羽はこの一戦に関する解説をひとしきり受けた。勝つため――あるいは、殺すため――には剣術のみにとらわれないという柳生仙陽流の思想は兵衛から聞かされていたが、これこそ「百聞は一見にしかず」というものなのだと、有羽はこのとき思い知った。
「よし、もう一本やるか」
「望むところ」
 そして、稽古が再開された。有羽は、今度は剣さばきより柳生仙陽流の戦い方のほうに意識を移しながら戦況を見守っていた。
 やがて、兵衛がこの日幾度目かのダウンを喫したときに、入り口のほうから女性の声が聞こえてきた。
「瞬、兵衛さん、そろそろ食事にしませんか?」
 凛として、品性を感じさせる声。有羽は、おそらく瞬の姉あたりが呼びかけているのだと思っていた。が、道場に姿を現したワンピースの女性は、有羽にとって覚えのある人物であった。
「あれ、あなたは?」
「確か、鐘鳴有羽さんでしたね」
 そして、相手のほうは有羽のことをしっかりと記憶していたのであった。
「篠宮梢です。一度、かなめさんたちと一緒に、昼食をとりましたよね」
「ああ、思い出しました」
 名前を聞いて、有羽はそのときのことを思い出していた。梢は、瞬や兵衛とともに姿を現し、自宅で作ってきたとはとうてい思えないような豪華なお弁当を、みんなの前で広げてみせたのである。
 それは決して見かけ倒しではなく、有羽も一口食べるなり、
「おいしいです! お料理上手なんですね!」
 と、梢に向かって言ってしまったほどであった。梢は、まるで謙遜するかのように苦笑していたが。
 そういうことがあったので、梢が瞬たちと親しい関係にあることは、有羽には理解できていた。が、ここで新たな疑問がわきおこった。
「ところで、どうして篠宮さんは……」
「梢でけっこうですよ」
 そう言われて、有羽は問いなおした。
「梢さんは、どうしてここにいるんですか?」
 問いに対し、わずかにこわばる梢の表情。答えは、梢の口からではなく、有羽の背後から返ってきた。
「梢は、私の親戚筋でな。こちらの学校に通うのに便利ということで、住まいを提供している」
 落ち着いた低い声は、瞬――つまり、彼が梢の命の恩人である――のものであった。有羽が振り向くと、瞬はほんの間近なところに立っていた。
「梢、すまないが、今日はもう少し稽古を続ける。食事は少し遅れるが、よいだろうか?」
「平気です。どちらかというと、瞬のほうがお腹を空かしていると思っていたから」
「そうか、ならば待っていてくれ」
 と言い残して、瞬は兵衛のもとへ戻っていった。梢は「はい」と答えて、有羽の隣に腰を下ろした。
「あの、鐘鳴さん……」
「なんでしょう?」
 名前を呼ばれて有羽が振り向くと、梢はなにやら神妙な面持ちをしていた。そして、有羽に告げた。
「このことは、他の人には内緒にしておいてもらえませんか?」
「はい、わかりました」
 対して、有羽の返事は明快であった。そのようすに、梢はわずかに笑みをこぼした。
 それから、ふたりは一緒に稽古のようすを見つめていた。このころになると、兵衛のほうは単調な攻撃が目立つようになり、瞬にカウンターの一撃で決められるシーンが多くなってきていた。
「まだまだぁ!」
「兵衛、そろそろ夕飯にしたいのだが」
「いや、あと一本! 一本取るまでは!」
 と言って、兵衛は剣を構えた。瞬は梢に視線を送り、梢はそれに無言でうなずいた。
「よし、では続きだ」
「おぅ!」
 というなり、兵衛は瞬に斬りかかった。瞬は、それを紙一重のところで見切る。兵衛は連続攻撃でたたみかけるが、瞬はそのすべてを受けずにかわしていた。
 有羽から見て、いまの兵衛に勝ち目がないことは明白であった。普段の兵衛が見せる、力強さの中にある精密さが失われていたのである。そして、兵衛をそこまで追い込んだのは、瞬の実力のうちであることも理解していた。それでも、
「もう、やめておけばいいのに」
 とは、有羽には決して言うことができなかった――。
「えっ?」
 が、隣に座っている少女、篠宮梢はあっさりとそう言ってみせた。続けて、
「今日は、これ以上やっても意味がありませんよ。あんなに楽に、瞬に攻撃をかわされているじゃないですか」
 と冷静な分析を付け加えた。
 そう、梢にとってそれは何気ない一言であったに違いなかった。「今日は」続けても仕方がないから、また明日にしよう、と。だから、
「ねえ、鐘鳴さんも、そう思いません?」
 などと、笑顔で有羽に問い掛けることができたのである。はたして、有羽の答えは、
「……いません」
「え?」
 有羽のつぶやきを確かめんとばかりに、もう一度問い直す梢。有羽は、一呼吸の間をおいて、
「思いません! 小百合葉くんは、勝てると思っているから、御崎くんに挑んでいるんです!」
 と、一気にまくしたてた。
 それに対し、梢は有羽の言葉を受け流すように反論した。
「ですから、『勝てる』と思っている時点で、負けているようなものなんですよ」
「どういう意味ですか、それは!」
「自分の弱さを正確に把握できない人に、勝ち目はないということです」
「なっ……!」
 「自分の弱さ」、その言葉を、有羽は容認しなかった。
「じゃあ梢さんは、小百合葉くんの強さをどれくらい知っているって言うんですか!」
「まあ、瞬よりは弱いんでしょうね。いまだって、余裕でよけてるみたいですし」
「そうやって油断していると、痛い目にあうんですよ」
「油断、ですって?」
 その言葉に、今度は梢の顔色が変わった。
「あなたこそ、瞬のことがわかっていませんね。瞬は、お互いの実力を熟知しているからこそ、ギリギリの戦いができるんです。油断だなんて、勝手なことを言わないで下さい」
「そう言ってればいいです。最後には、ちゃんと証明されることですから」
「ええ、瞬のほうが強いということが」
「違います!」
 こうして、話は振り出しに戻った。ちょうどそのとき。
「すまん、ようやく終わった」
「いや〜、痛み分け、痛み分け」
 稽古を終えて、ボロボロになったふたりが近づいてきたのである。
「ところで、先ほどからなにやら白熱した議論を行っていたようだが、どうしたのだ?」
 瞬が問いかけると、ふたりは一瞬目を合わせて、
「……」
 すぐさま顔をそむけてしまった。瞬は不審そうな顔をしたが、なにも追求することはなかった。一方で兵衛はというと、何も気づいていないようすで、
「まあまあ、いいじゃん。それより瞬、腹減った。飯にしてくれ」
 とあたりまえのように言ってみせた。
「いっておくが、ここは私の家だぞ」
「わかってるって、そんなこと。そうそう、有羽ちゃんも、飯食ってかない? 瞬の料理は天下一品だぞ」
 「わかってない」と言わんばかりの瞬の視線をよそに、兵衛は陽気に誘いをかけた。が、
「ご遠慮します」
「えっ?」
 少し間の抜けた兵衛のリアクション。それを気にもとめないようすで、有羽は、
「今日は、ありがとうございました。とても勉強になりました。それでは、失礼します」
 一息にそう言って、そのまま道場をあとにしたのである。

「はいはい、わかりました……」
 有羽と梢から事情を聞いて、かなめは腕組みをした。ふたりは、説明をしている間に当時の感情をよみがえらせてしまったらしく、険悪なオーラを互いに発しあっていた。
 とはいえ、かなめから見れば、それはささいなけんかであった。瞬が強いという梢の言い分も、兵衛は強いという有羽の思いも、ともに理解できることであった。
 そういうわけでかなめは、
「あたしに言わせてみれば、どっちもどっちで強いんだけどね〜。それで、納得しない?」
 と、まずは無難な提案を持ちかけた。すると、
「梢さんが納得しないんです」
「鐘鳴さんが納得しないんです」
 対称な答えが、互いの口から返ってきた。
「まあ、これで解決するんなら、話はもつれないわよねえ……」
 誰に言うともなく、かなめはつぶやいた。
 ようするに、ふたりとも「先に向こうが認めれば、こっちも認めてあげる」と思っており、自分から引き下がるのは、意地が許さないというわけであった。ならばどうするべきか。
 かなめが抱えたこの問題に、ひとつの解決法を挙げたのは宗介であった。
「こういうときは、勝負だ」
「はい?」
 少年マンガにありがちな発想に、かなめは首をかしげた。宗介らしくもあり、宗介らしくもないとも言える提案だったからである。宗介は、どことなく悦に入ったようすで続けた。
「戦いの中で、お互いのことを理解しあう。その有効性を、俺は先日知った。女同士の争いをまとめるには、これが最善の方法だ」
「最後の部分がよくわからないんだけど」
 と言いつつも、かなめは宗介の意見に意義を見出していた。恨みっこなしの勝負で、負けたほうが先に頭を下げる。提案する価値はありそうだった。
「……って、宗介は言ってるけど、どう?」
 断られるのを覚悟で、かなめはふたりの顔をのぞきこんだ。すると、
「まあ、鐘鳴さんがよろしければ、私はけっこうですよ」
「私も、梢さんさえ応じてくれるなら、かまいません」
 ふたりとも、表情こそ堅かったが、首は縦にふってくれたのである。
「うん、じゃあ……」
 まずは、なにで勝負をするか。それを相談しようとかなめが考えたとき、出し抜けに宗介が言った。
「よし、では勝負はASでの模擬戦。負けたほうは、全裸で校庭一周だ」
 ドゲシッ!
 かなめは宗介を蹴り飛ばし、壁まで吹き飛ばした。
「どこからそういう下劣なアイデアがわいてくるかっ!」
「しかし、そのときの条件はそうだったのだ」
「あんたらと一緒にするな!」
 そのとき、いったい誰と誰が勝負することになっていたのか、かなめはわかったような気がしていた。
「あのバカのいうことはほっといて、負けたほうは、相手の言い分を先に認める。勝ったほうも、そのあとで相手の言うことを認める。それでいい?」
「は、はい……」
 ふたりから、異口同音の返事が戻ってきたが、声からはいくぶん毒気が抜けているようすであった。
 と、勝負をするというところまではこぎつけたところで、最初の問題に戻った。
「さて、何で勝負をしたらいいかねえ……」
 かなめは考えた。AS勝負というのは論外として、ふたりにとってほぼ平等な条件で競い合える種目というのは、簡単には思いつかなかったのである。
 梢は、記憶力は抜群であるし、知識自体が豊富である。クイズやテーブルゲームで勝負するのは、有羽に対して公平とはいえない。
 一方で、有羽は剣術の使い手である。かりに剣をつかわなかったとしても、運動能力で勝負すれば、圧倒的に梢が不利になる。
 ならば、知力・体力をともに要求する種目なのであるが……。
 と、かなめが頭をひねりはじめたところで、またもやドアがノックされた。
「はい?」
 かなめは、露骨に不機嫌な声をあげた。
「まったく、こんなときに誰よ」
 眉間にしわをよせながら、かなめがドアを開けると、そこには、
「あ、あの1年2組のものです……」
 例の、頼りなさげな委員長が書類らしきものをもって頭を下げていた。実のところ、かなめは彼がくるはずであったことをすっかり失念していたのであるが、表情には出さなかった。
「ああ、やっとできたの。どれどれ、ちょっと見せてもらうわね」
 なかば投げやりな感じで、かなめは書類のチェックをはじめた。が、企画のタイトルを見て、
「……!」
 かなめは目を見開いた。
「え、え〜と、何かまずいところでも?」
 若干泳いだ目で、かなめに問いかける委員長。かなめは、そんな委員長の肩に手をやって、
「あんた、えらいわ」
 と、感心の声をあげた。委員長は、鳩に豆鉄砲といったようすで呆然としていたが、かなめが企画OKの答えを出すと、胸をなでおろしながら引きあげていった。
「いやあ、これは名案、名案」
「どうしたのだ、千鳥」
 宗介の問いかけに、かなめは「これよ、これ」と言いながら、受け取った書類を梢と有羽の前に差し出した。
「これは……」
「うん、これなら、条件として悪くないと思うんだけど」
 提案してから、かなめは梢と有羽の顔を交互にながめた。するとふたりは、
「ええ、問題ないですよ。この勝負、お受けいたします」
「私も、異存ないです」
 ともに自信ありげな表情で、かなめにそう宣言した。
「よし、じゃあ勝負は2週間後。場所は、おいおい決めるということで」
「わかりました。それでは鐘鳴さん、正々堂々と戦いましょうね」
「ええ。梢さんも」
「やはり、あのときの雰囲気が……」
 宗介は、にこやかに火花を散らし合う女性ふたりから、何らかの空気を感じ取っているようであった。
「……それで、いったい何をすることになったんです?」
 と、今までずっと話を聞きつづけていた蓮が、ふたりの前におかれている書類を取り上げた。そして、
「これは、おもしろそうですね……」
 と感嘆のため息をついた。

 1年2組の文化祭出典内容は、
「目指せ! 百人一首王選手権大会」
 であった。


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