ORACULAR‐WINGS■
 ■強力無比のマイロード■    <前編>


「っっっしゃああああッ!!」
 季節は6月にさしかかったあたり。ちょうど梅雨時だが、今日は天の邪鬼のような快晴。
 午前の授業が終わり、昼食時間になった途端、それまで窓際の席にちんまりと座りこんでいた女子生徒が勢いよく立ち上がった。
 一年生の一教室、昼食時間とはいえまだほとんどの生徒が残っている教室内で、女子生徒がいきなり奇声を発したというのに、そこにいる誰もがまるで目もくれない。
 それどころか机に突っ伏して眠っている生徒さえいる。きっと奇声が聞こえるのは、いつもの事なのだろう。
 いや、この陣代高校ではそれよりもブッ飛んだ事が、ほぼ日常的に巻き起こっている。
 早朝にいきなり靴箱が爆破されたり、毎日のように窓ガラスが弾け飛んだりと、通常の学校では起こりえないような事がほとんど毎日、校内を騒がせているのだ。
 それに比べれば、この少女――玖珂遊理(くが ゆうり)の奇行なぞ、日常の蚊ほどでさえないというわけだ。
「おめぇは、いつの間にニュータイプに目覚めたわけ?」
 いきなり立ち上がった女子生徒のすぐ後ろに座った男子生徒が、皮肉ったように口を挟む。
 やる気を感じさせない半分閉じた目元に、小馬鹿にしたような捻じ曲がった口。手入れのしていない髪は後ろのほうで無造作に結えられている。
 見るからに嫌味そうな風貌で、女性の目を引くほどの輝くような男前というわけでもない、一言で言えば『無気力そう』である。
「あたしの頭がいつ光ったってのよ? 人のセリフにいちいち面白おかしくボケないでくれる?」
「おめぇには皮肉も通じねぇのか。流石だねぇ」
 遊理がその男子生徒を睨みつけると、そいつは視線を逸らして面倒そうに答えた。
「うっさいな。画期的な事思いついたら、奇声の一つも上げたくなるモンでしょうが」
「てめえのアホな常識なんざ知らねぇよ。どっちがボケだってんだ、どっちが」
 思いきり唾を飛ばしながら妙な屁理屈をこねる遊理に、面倒そうにしかしご丁寧にツッコミを入れるあたり、この男子生徒もノリのいい性格なのかもしれない。
 実はいうと遊理とこの男子生徒――八凪冬真(やなぎ とうま)は中学入学からの仲だった。
 仲といっても腐れ縁という仲で、お互い異性であることなどほとんど考えていない。どちらかといえば、お互いにボケでありツッコミであるようにしか考えていないようだ。
「…とにかく今回は、あんたもアホって言えないような…むしろあんたがアホ面浮かべる考えってのを思いついたわけよ!!」
 遊理はまるで選挙カーの上で道行く人に語りかけるように両手を大きく広げてわめいた。
 それは「民よ聞け」とでも言わんばかりのオーバーアクションだったが、当然この二人のコントは日常茶飯事なのでクラス全員、爽やかに流している。
 唯一の聞き手である筈の冬真は、この時点で既に頭に手を当てて表情を歪めていた。
 どこかの推理ドラマのように低く唸るその姿は、さながら某有名な彫刻か、痛みによく効く成分が半分を占めている頭痛薬のCMのようでもある。
「何よ、その顔は? リアクション早過ぎんじゃないの?」
「…そういう話なのかよ…」
 口を尖らせる遊理に冬真は更にげんなりと肩を落とす。
「まあ聞きなさいよ、あたしのファンタ〜スティックな話をさ」
 冬真のツッコミを軽く無視して、また極限なまでに上機嫌な大声でトチ狂ったオペラ歌手よろしくわめいた。
「…どーでもいいけど、さっさとメシにしてぇんだけどな」
 傍から見て悦に浸っている遊理から視線を逸らして、冬真はひどく冷めた調子で呟いた。
 独特の音程で歌い転げていた遊理も、その言葉にピタリと動きを止める。
 冷静に周りを見てみれば、忘れかけていたが今は昼食時間。多くの生徒が退屈な授業と極度の空腹に締めつけられていた欲求を一気に解放し、猛獣のように弁当を貪り売店のパンを買い漁る、もっとも猟奇的な一時。
 そう、それは例えるなら一種の戦場のような時間である。
 遊理はようやく自分の世界から這い出て現状に気付くと、げんなりした様子で短く呟いた。
「…賛成」
 タイミング良く少女の腹の虫が音を上げたところだった。


「…で、今回の話ってのがまた、アレなワケよゴ隠居」
 10分ほど経ったろうか。適度に食も進み落ち着いてきたところで、遊理がいささかイビツなおにぎりを頬張りながら、すぐ後ろの冬真の机に肘を侵略させてきた。
 冬真は露骨にイヤそうな顔で、紙パックのコーヒー牛乳をベコベコ言わせながら飲み干して遊理を睨みつけるが、彼女がその程度で引く人間でないことは、ここ数年の付き合いで『この女の代名詞』とまでいえるほど理解していた。
 また、なかなか詳しい内容を明らかにしない彼女の話し方もイヤというほど聞かされてきたし、その内容が冬真的に下らない事だということも予想がついていた。
「どう、アレなんだよ八兵衛?」
 くだらない事だろうとは思いながらも、半ば本気で遊理に『お忍び老人の従者』の面影を重ねながら訊く。
 ちなみに二人の食事は弁当と売店の飲み物である。
 売店で格闘するのが嫌だというのもあるが、コンビニなどの即席物では栄養が偏ると考えて弁当にしているらしい。
 冬真の弁当はいたって普通で、冷めて湯気を吸ったご飯と冷凍食品が申し訳程度に並んでいる。
 壁側のご飯が壁面の形を残したまま、わずかに空白をつくっているのがなんとも生々しい。
 これで栄養が偏らないかどうかは謎だが、比較的一般的だろう。
 かわって遊理の弁当は、風呂敷包みにサンドイッチを入れるようなバスケット。その中にはラップで包まれたおにぎりが6つ。
 これは栄養が偏るとか偏らないとかいう遥か以前に、別の点で疑問が沸いてくる。
「なんて言うかね…あたしにもついに、こういう時が来たんだなーって感じかな」
 二発目のおにぎりを三口で片付けて遊理は、昼なのに流れ星を待ちわびるオーソドックスな乙女を彷彿とさせる仕草で、窓の外のやたらと遠い場所を眺めつつ目を輝かせた。
 その間にもおにぎりを食べる口は休まず、強引に流し込むために紙パックのイチゴミルクに口をつけるのも忘れない。
 妄想中の彼女の味覚は、ほとんど…というか激しく麻痺している。だから飲み物との相性が悪かろうと、水気がありさえすれば良いのだ。
 冬真は苦い表情をしたきりで、特に突っ込もうとはしない。
 目の前で米と牛乳を同時に摂取するのを見て、塩気のおにぎりと甘味のイチゴミルクのコラボレーションを想像して気持ち悪くなり絶句したのもあるが、ある程度まで彼女の話題を引っ張って途中から黙りだすのが冬真のやり方だった。
 このまま話を伸ばしても、延々核心に近付かない事を長年の付き合いで熟知していたのだ。
「…ん〜まあ、アレね。あたしもようやく恋する乙女になったワケよ」
 散々勿体つけて口の中のものを飲みこむと、遊理は冬真の方に向き直り頬杖をついた姿勢でわずかにはにかんだ、まるで人懐っこいネコを思わせるような笑顔を見せた。
 だが、唯一向けられた筈の冬真には、最初それが愛嬌のある野良猫ではなく、縄張のボスネコがふてぶてしく腹を掻いている時のような顔に見えてしまった。
 そしてたっぷり3秒待った後『がったん!』と突然、冬真が椅子ごとひっくり返った。
 それが少し前の世代の漫画だったら『すてーん!』だったかもしれない。
「ナニソレ。あたしが突っ込んでいいワケ、そのリアクション?」
「おめえのツッコミ一回に対して、俺はおめえに六回突っ込めるだろうな…」
 予想外のリアクションに怪訝顔で訊く遊理に、冬真はよろよろと体を起こしながらうろたえたのを隠しきれない、どこかまごついた手つきで椅子を立て直す。
 冬真がうろたえるのも無理はなかった。
 何故なら、彼女との長い付き合いの中で冬真は、遊理の浮いた話というものを一つも聞いた事がなかったからである。
 それに遊理は、男性を異性と意識していない節がしばしばある。
 3人兄妹の末っ子で二人の兄にいつも付いて回って育ったためか、そういう見方しかできなくなっていたのだろう。
 遊理に女性らしい部分が無いわけではなく、また奥手というわけでもない。ただ性格と雰囲気が、こと色恋沙汰に関して極端にガサツでニブちんなのだ。そういうのを奥手と言うのかもしれないが…
 だからどんなに男と仲良くなろうと、それが仲の良い友達から進展する事が無い。
 そんな遊理が『恋する乙女』などという、あまりに古典的な単語を口にしている。
 古典的過ぎて、冬真も冗談なのではないかと思ったのだろう。そのための3秒ウェイトである。
「正直に言うぞ。どこの国籍のヤツだ?」
「はぁ?」
 椅子に座りなおして冬真が難しい顔をして頭を掻きながら訊くと、遊理は露骨に首を捻った。
「どっかのターバンつけたシーク教徒が、おめえをマザー・テレサにでも間違えたんじゃねぇだろうな? いや、待てよ…あり得ねぇじゃねぇか…」
「ナニ言ってんの、あんた…?」
 かなり深刻そうな顔でブツブツ呟く冬真に、本気で心配した様子で顔をしかめる。
 大丈夫だろうか?
 さきほど転んだショックで、まずい場所でも痛めたのではなかろうか?
 もしそうなら、貴重な話し相手がいなくなってしまう。それはちょっと…いや結構イヤだ。
 などと遊理がかなり失礼な想像をしていると、冬真が急に黙って真面目な表情で遊理を見つめていた。
「な、なによ?」
 もしかしたら本当におかしくなったのかもしれない。そう考えると、ごく自然に声が上ずってしまう。
「…まさかホントに冗談じゃねぇよな?」
 遊理の顔をまじまじと見つめて、心底疑ったように言う。
 まさか今までの話は、全てこの女のホラ話だったのでは? 冬真はそう考えていた。
 思い出してみれば、痛い記憶は数知れない。スポーツ飲料とすすめられて米の研ぎ汁を飲まされたり、麦茶で冷麦を食べさせられた事などまだ序の口だ。
 あれは高校に入ってすぐの事だったか…ひょんなことから遊理を原付の後ろに乗せた事があった。なるべく誰にも見つからないように人気の無い細い道を通っていたところで、唐突に「心の目で見るのよ!」とか言われて両目を塞がれたときには、一瞬『綺麗な川』が心の目で見えた気がしたものだ。事故にならなかったのは本当に奇跡だった。その時の遊理の顔は生涯忘れないだろう。
「その顔は、信じてないな?」
 遊理は不機嫌そうな声で返した。頬を膨らしてムッとするといった可愛らしいものではなく、片目をわずかに細めてあからさまに睨みつけてくる…所謂、ガンをとばすというやつである。
「伊達にてめえの話聞いて、痛い目見てねぇよ」
 ほとんど確認をとるつもりの遊理の言葉を、冬真はあっさり認める。
 ほぼ誰に対してもそうだが、冬真の言葉はそのほとんどが歯に衣着せていない。本人の悪気も多分にあるのだが、既にそれは無意識のうちに彼の話し方として定着してしまったようだ。
「人信じるだけで世界が平和になるんなら、役人が首吊るっての」
「突っ込まないわよ」
 ダークな物言いの冬真に、遊理はさして気にもせずにぴしゃりと言い放つ。遊理がボケて冬真が突っ込むときは演出やコケ方も派手だが、冬真の暗い陰湿なボケに遊理が突っ込むときは何ともドライである。
「ともかく、あたしが片思いしてんのは紛れも無い事実なワケよ」
 なかなか話が進まない事に業を煮やしたか、強引に話を戻す。『恋する乙女』とは程遠いような全く色気の無い言い方だが、やはり恥じらいがあるらしく声のトーンが少し落ちている。
 いつもと少し違うそのテンションに冬真は何かを感じたのか、いつもなら突っ込むところを突っ込まずに顎に手をやって「むぅ」と唸った。
「…なるほどな。で、お前に目ぇ付けられた不幸な野郎ってのは誰なんだ?」
 ようやく遊理が本気らしいことを理解したのか、ツッコミ体勢から一転して冬真は止まっていた箸を進めた。
 さきほどから突っ込んだりコケたりで、全く箸が進んでいなかった。既に冷めているとはいえ貴重な昼飯はできるだけ早く食べねば、これ以上痛むのもかなり悲惨である。
「ん〜と、それがねぇ――」
 遊理が答えようとしたその刹那、教室の下の方から凄まじい爆音が轟いた。まるで小さめの地震に見舞われたかのように教室が微震し、あたりからにわかに女子生徒の悲鳴やら男子生徒の叫び声が聞こえてくる。
「爆弾か!?」
 冬真が某少年名探偵ばりの凛々しい声で叫びながら、教室の窓から外に身を乗り出す。教室の生徒の反応は、それこそパニック寸前だった。
 眠っていた者はいきなり飛び起きて椅子から転げ落ち、紙パックのトマトジュースを飲んでいた者は爆音が轟いた瞬間にそれを極悪レスラーの毒霧のように吹き出し、仲良くまとまって席に座り談話していた女子生徒達は耳障りなほどの悲鳴でハモり、すぐ後に放心状態…。
 普通の高校にはあるまじきなんとも荒んだ情景であったが、色々な意味で肝の据わった遊理と冬真は比較的落ち着いている。
 そして、ここは――生憎と普通の高校ではなくなってしまっている。
 全ての元凶は、少し前に陣代に転入してきた二年生――相良宗介である。
 彼は幼い頃からアフガンだかレバノンだかと…とにかく紛争続きの危険地帯を生きてきた、いわば毎日を戦争に生きていた『そう言う関係』のプロフェッショナルな高校生で、平和ボケとさえ言われる日本の一学校に、毎日のように騒ぎを引き起こしてくれる問題児だった。
 そしてついさっきも、まるで起こるべくしてどこかで爆発が巻き起こった。きっと9割9分9厘の確率で彼に間違い無い。
 宗介の起こす問題は、いちいち学校中の騒ぎにしてしまい、ほぼ日常的に巻き起こるとはいえ生徒達がそれに慣れた様子はまだ無い。
 それは、そう…遊理と冬真の大騒ぎな漫才も気にならなくなるほど、生徒達をシャレにならないスリルの坩堝にはめ込んで離さない。
 教室の生徒がまだショックから立ち直れない状況の中、外の方ではもくもくと煙が立ち昇る一階の部屋から、誰かがガラスを突き破って外の方に飛び出した。
「おおぅ、待ってました大将」
 その人物を見て冬真がどこか冷めた声色で、窓の縁に座ったまま拍手する。まるでコンサートの前座が終わり、ようやく真打ちが現われたかのような反応である。表面的には、だが…
 窓から飛び出してきた…というより飛ばされて来た男子生徒は、ムッツリ顔に油断の無い身のこなしで立ち上がり、制服についた泥やガラスの破片を払った。気のせいか左の頬がおたふく風邪のようにひどく腫れ上がっているが、立ち昇る煙と火薬の匂い、ガラス等の破片が飛び散った惨状が不気味なほどサマになっている。
 噂をすればなんとやら、彼こそがその問題児・相良宗介である。
「え、何々? 相良先輩なの!?」
「おわッ!! よせユーリ、落ちる!!」
 宗介が立ち上がる頃、やや遅れて遊理が同じ窓から宗介の姿を確認しようと身を乗り出すと、その拍子に遊理の肩が冬真の脇腹にめり込み、冬真は大きくバランスを崩す。ちなみにここは3階である。普通の人間の感覚としては「落ちたら間違い無くヤバイ」と感じる高さである。確実に一発で死ねるような高さではないぶん、これくらいの高さだと恐怖の種類が違う。
 落下の恐怖と戦いながら、なんとかバランスを保ったまま体をずらして遊理が外の状況を見れるだけのスペースをつくってやると、遊理は更に冬真を押しやるように身を乗り出して、宗介のいるほうをがっつく様に眺めだした。
 ちょうどその頃、爆発のあったまだ煙を吐き出している部屋の窓から、一人の女子生徒が咳き込みながら出てきたところだった。
 女子にしては背が高く、どこかのファッション誌のモデルと言われても疑問は無いかもしれない。
 ただ今は、制服もその長い黒髪もススを被っており、ファッション誌のモデルというより、むしろアクション映画のプロモーションに出てくる女優か、最悪どこかのコントで爆発した後に出てくる女芸人と言ったところか…
 その少女、千鳥かなめは傍目からもよくわかるほど、怒りのオーラを放っていた。
 のっしのっしと力強い足取りで、拳を握り締めて宗介の方に歩み寄るそのかなめの顔は、まるで般若のような形相で宗介を睨みつけていた。それは凝視した人間を決して捕らえて離さない、まるで動物式のロックオンのようで、宗介は脂汗を浮かべたままその場から動くことができない。
 そしてそのかなめは、おもむろに取り出したハリセンで、歩いている分の力を殺さずそのままそれを腕の力に乗せて、最上段にハリセンを振り上げて、思いきり宗介の頭に向かって振り抜いた。
「この、戦争バカッ!!」
 遊理達にハッキリと聞こえたのはその言葉と、派手な打撃音だけだった。
 その後に見え、聞こえたのは、小言をマシンガンのようにばらまくかなめと、シュンとして黙ってかなめの話を聞く宗介の姿。そしてしばらくして、騒ぎを聞きつけて現場に駆けつけた数人の教師に平謝りするかなめと、彼女にムリヤリ謝らさせられる宗介…こういう現場を目にするのは初めてではない。学校で騒ぎが起こった現場に行けば大概見れる光景である。
「あれまぁ…相良先輩もよくやるけど、千鳥先輩もよく飽きもせずに突っ込むよなぁ」
 乾いた笑いを浮かべながら、そろそろ体を支えるために窓枠を握っていた手が痛くなってきたので冬真は窓から体を引っ込めた。
 遊理はまだ体を乗り出したまま、かなめに宗介が連行される様を眺めている。冬真のセリフの反応はまるで無い。情景を眺める後姿からでも、それがただ故意に無視しているわけではなく、上の空で聞こえていないと言う事がわかった。
「…ユーリ、どした?」
 反応が希薄なのが気になったらしく、遊理に呼び掛けてみるがそれでも冬真の方を見向きもしない。
 どうやら遊理は、完全に宗介達の方の状況に見惚れているようだ。それも友人の呼び掛けも軽く耳から遠くなってしまうほどまでに真剣に見惚れているようだ。
「まさか…」
 遊理の様子を見て、冬真は眉根にしわをつくって唸るように呟いた。
 何かピンと来たようだが、頭の上に電球が灯るような嬉しい発見ではないことは表情から見て取れる。
 少し考えた後、冬真はまだ身を乗り出して外を見ている遊理の後頭にチョップを食らわした。
「あたっ!? わわっ落ちる、落ちる〜!!」
 冬真のチョップでバランスを崩した遊理は、窓の外で両腕をぶんぶん振り回す。それは海で溺れかけて海面でシタバタしている様にも見えた。
 だが、なんとか持ちこたえたらしい、やっとこさで遊理は窓の枠に手をかけて体を引き戻した。その頃には既に肩で息をしており、心なし憔悴した様子だった。
「ナニすんのよ、トーマ?」
「まあ座れや」
 冬真に食って掛かるが、今の遊理の語気には強さが無い。
「誤魔化すなよ」
「いいから座れって」
 遊理は尚も抗議しようとしたが、冬真に両肩を押さえつけられて半ば強引に座らされる。遊理は何か反論しようとしたが、冬真が何か話そうとしているのに気付いて、取り敢えず引っ込めることにした。
 いささか不機嫌顔だが、遊理が喋るのをやめると、冬真は難しい顔をしたまま自分も席に座って口を開いた。
「え〜と、だな…ひっじょ〜に言い難いことなんだが…」
「下ネタもズケズケ言うトーマでも『ひっじょ〜に言い難い』ことってあるワケ?」
「黙って話聞け」
 遊理のミもフタも無い台詞に冬真は突っ込まず、冷静に遊理を黙らせた。
 普段ならここから漫才じみた会話が始まるところなのだが、今は冬真が真面目な話をしようとしているので、流石の遊理もそれを察して黙ったのだろう。
「ユーリ、まさかお前の惚れた相手ってのは…年上で、しかもけっこう有名な奴か?」
「えっ? …確かにそうだけど、なんで知ってんの?」
 冬真の問いに、遊理はキョトンとした様子で不思議そうに冬真の顔を覗きこんだ。
 瞬間、冬真の顔がわずかに強張る。
「…ひょっとしてそいつは、生徒会所属だったりするか?」
「あー、そう言えばそうだね」
 遊理の問いには答えず冬真は尚も遠回しに質問してみるが、なんでもないように答える遊理の答えは、いちいち冬真の予想する男性と一致する。
 疑惑が確信に変わってきた。
「…ひょっとしてそいつは、発煙弾使って職員室を水浸しにしたり、朝早くに靴箱フッ飛ばしたりする奴か…?」
 冬真の問いは、もう完全に核心を突いている。他の高校ならいざ知らず、ここ陣代高校でそういう事をする者といったら、ここの生徒の十人中十人が同じ人物の名前をあげるだろう。
「そう、相良先輩」
 案の定、遊理はあっさりと、この校内でもピカ一の知名度を誇る問題児の名前を口にした。
 冬真の顔が見る見るうちに凍りついていく。連続写真にすれば笑い話のネタになるかもしれない。それほど激しく顔を恐怖に歪めていった。
 この日初めて、冬真は昼食を残した。


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