ORACULAR‐WINGS■
 ■強力無比のマイロード■    <後編>


「ええ、マジで!? どっから電話してんの?」
 商店街のハンバーガー屋で、遊理は自分の携帯電話に向かってわめき散らしていた。
 ツンツンとした肩あたりまでの髪に、パッチリとした活力に溢れる目に人懐っこい雰囲気を持つ口元、可憐な印象はあまりなく低い背丈もあってか、少女と言うより近所のイタズラ小僧のように見える。
「アンカラってどこよ? ていうか何気に国際電話?」
 電話口だというのにかなりのオーバーアクションで、矢継ぎ早に電話の相手に疑問文を投げつける。
 向かいに座っている冬真は、特に気にした様子も無く、窓の外を眺めながらフライドポテトをかじっている。もともと無気力そうに見えるので、こういう風にボーッとしているのが何となく似合っている。だいたい今でさえ彼は、目の前の電話の内容よりも、今食べている塩加減を間違っているフライドポテトについて、これをつくった店員を想像しているだろう。
「だいたい、あたしじゃなくて母さんに電話しなさいよ。カンカンだよ母さん。『帰って店手伝え』って…」
 遊理の口調が若干いじけた風になってきた。電話の向こう側の相手に、自分からも何か言いたいことがあるのだろうか。しかしこの様子では、遊理の口から話せるような事ではなさそうだ。
 冬真のほうは、そんな遊理の微妙な語調の変化に気付きはしたが、だからといって助言らしいこともできないので、ポテトでカラカラになった口をオレンジジュースで潤していた。
「はあっ、年内には帰れない!? 今年が終わるまであと何ヶ月あると思ってんのよ?」
 そのまましんみりした話になるのかと思いきや、すぐに遊理の口調は元の調子に戻り怒声に近い発言を連発。
 外は梅雨時のジメジメした大雨で、店内も学校帰りの生徒やらでやたらに騒がしい。にも関わらず、遊理の声はそれでもやかましく聞こえる。
 しかし冬真は全く気にせず、イヤな顔さえ見せずに飲み終えたオレンジジュースの半透明の蓋をあけて、中の氷をぽりぽりと食べだした。そうとうポテトに水分を持っていかれたようだ。それから冷房が効いているとはいえ、梅雨時に人でごった返した店内のむさ苦しさに思わず水分を取りたくなったのもあるのだろう。
「うん…わかった、母さんにはよろしく言っとくよ…あたしも、久々に話せて楽しかったよ。うん…じゃね、兄貴」
 程なくして、遊理は名残惜しそうに電話を切った。普段からはしゃぎ過ぎなほどはしゃぐ遊理が見せる表情としては、かなり珍しい部類に入る。付き合いの長い冬真でさえ、まだ数回ほどしか見た事がない。
「ユースケさんか?」
「…今、トルコだってさ」
「へぇ、また遠出だな…」
 冬真が電話の相手を予想してみると、遊理は疲れたように苦笑して肯定するかわりに現状を一言で説明した。
 その一言で冬真も理解したらしく、『うげぇ』と言うような顔をしてぼやく。
 遊理には二人の兄が居るのだが、長男は既に自立しており、次男は高校を中退してから何やらフラッと家を出たっきりで、たまにフラッと帰って来たりしてもすぐに居なくなり、不定期にとんでもないところから連絡してきたりする。
 ちなみに2ヶ月前に連絡を貰ったときは、ロシアのウラジオストックからだった。
「ったく、さっさと帰って来りゃあ良いものをさぁ…手伝いが一人減ったら、仕事が増えんだから、もー…」
 食べかけのハンバーガーを大口で頬張り、飲みこみ終わらないうちから愚痴をこぼす。騒音公害になりかねないほど電話で散々わめいていたが、まだ言い足りないらしい。
 遊理の家は、小さなパン屋を営んでいる。遊理の母親が若い頃にヨーロッパで料理の修行をしており、その後日本に帰国した後も一時期はレストランで厨房を任されていたのだが、3人目の子供…つまり遊理が小学校を出る頃に、一家の主たる父親が長期の単身赴任でオーストラリアへ行き、兄弟のまとめ役だった長男が自立して一人暮しを始めたのを期に、母親はシェフを辞め自宅を大幅に改装して昔から趣味でやっていたパンを売り出したのが最初だった。
 そして必然的に、次男と遊理はそれを手伝う事になり、売り子やパン作りの手伝いなどをやらされることとなったのだが…もともとシェフだったせいか、母親は味に妥協が無くパンの味をとことん突き詰め、上の味を求めれば求めるほど手間もかかり、自然と作業は過酷を極めていった。
 勿論、遊理達もそれに付き合わされる。もうイヤというほどまでに。毎朝早くに起きて仕込みを手伝わされ、学校から帰れば店を手伝わされる。若さと体力に溢れる高校生といえども、その半端ではない重労働には流石に嫌気がさすというものだ。
 そしてそれに音を上げて、いち早く逃げ出したのが次男…というのはあくまで遊理の被害妄想なのだが…
 ちなみに、味に妥協を許さない母親のこだわりか、遊理が安給金で散々こき使われているせいかは定かではないが、パンに売れ行きはかなり好調で、開店前から店先に立ち並ぶものも居るほど…土日には行列まででき、最近では雑誌にまで紹介されたりして、『パン工房・玖珂』という地味な名前は、近頃静かな人気を呼んでいる。
「…で、そのハナシしに俺を誘ったわけじゃねぇよな?」
 愚痴をたれながら遊理がハンバーガーを秒殺するのを見計らって、それまでの話をさっさと終わりにする。
 遊理は「そうだった」とでも言うかのように、口に含んだ物をコーラで流しこむ。急いで物を食べるクセでもあるのだろうか、いつも彼女は口に詰め込めるだけ詰めて飲み物で流し込む食べ方をしている。じつに体によろしくない。
「ぷはっ…そーそー、ちょっと相談したい事あんのよ」
 一際大きく喉を鳴らした後、息継ぎでもするかのように大きく息をもらして、どこかの悪役よろしくニヤリと笑いながら口元を拭う。
「相談ねぇ…まぁ予想ついてるけどな。相良先輩の事だろ?」
「あらら、話が早いね」
 つまらなそうに言う冬真に、遊理は対照的に表情を明るくした。まるっきり純粋という訳ではないが、あっけらかんとした愛嬌のある顔である。冬真の知る限り、この笑顔は友達付き合いに苦労しない便利なものである。普段、他人が引くほどのハイテンションでも、何となく嫌いになれない、憎めないものがある。そんな笑顔なのだ。
「どうでもいいけどなぁ…お前にゃ無理だと思うぜ、相良先輩は」
「なんでトーマにわかんのよ?」
 あくまで無気力な冬真に、遊理は一転してむっとした顔を冬真に向けた。
「なんでって、前例あるしな…。誰かさんのラブレターが、靴箱ごとフッ飛んだ事ぐらい知ってんだろ?」
 口の中で氷を噛み砕きながら、冬真は冷静に答えた。
 前例…少し前に二年の佐伯恵那という女子生徒が、相良宗介の靴箱にラブレターを置いて、宗介がそれを不信物と勘違いして爆破してしまったことである。
 その一件以来、相良宗介という男に恋慕を抱く人間は、この高校では一人ぐらいしか思い浮かばない。もっともその一人と言うのも、微妙な位置ではあるのだが…
「あーアレね…。アレはアレよ。全然問題無いってこっちは。モーマーンターイ」
 ストローからコーラをものすごい速さで飲み干すと、遊理はあっけらかんとした様子でオバちゃんよろしく手をパタつかせる。あれだけ一気にコーラを飲んでおいて「げふっ」の一つも無いのもどうか、と冬真は思ったがそれはこの際放っておくことにした。
「問題無いって、お前…ワイロでも使う気か?」
「何言ってんのよアンタは」
 冬真の暗いシャレに、思わず遊理は脱力してテーブルについた肘を滑らせる。
「だってよ。如何せんおめえは、色気が無い、落ち着きが無い、女としての嗜みが無いのガサツ三拍子じゃねぇかよ」
「うるさいっ!」
 遊理は神速で、冬真の頭を横から鷲掴みしてそのまま勢いを止めずに、壁一枚ガラスの窓に打ちつけた。ごぅん、という低い音が遊理の耳にもよく聞こえた。もう少し勢いをつけていたら、アクション映画のワンシーンのよろしく派手に窓を突き破って飛び出していただろう。
「…結構揺れるな」
「イヤ、少しは悪びれろよ」
 打ちつけた部分をさすりながら感想を述べる冬真に、内側からはたくもっとも古典的な動作でツッコミをいれる。
「…で、話逸れたけど、今回は思いきって直球勝負に出てみようと思うわけよ」
 一瞬間を置いて体勢を整えると、咳払いを軽く一つおいて話を元に戻した。
「直球…ってぇと、どういうことだ?」
「決まってんでしょう――ズバリ、即告り」
 既にロクでもなさそうという表情の冬真に、遊理は大げさなポーズで冬真に向かって指差して充分過ぎるほど溜めて言い放った。
 一瞬…いや、4秒程の沈黙。その間、二人は微動だにせず、そこ以外の時だけが二人を無視して通り過ぎて行く。
「あー…一言、言わせてもらうぞ」
 長い沈黙の後、ようやく冬真が頭に手をやり渋面を浮かべ、まだポーズを取っている遊理に向き直って大きく息を吸いこんだ。
「アホかぁっ!?」
 窓ガラスがびりびりと揺れるほどの気勢である。近くの席で大声で笑っていた女子高生も肩を竦めて話を止めてしまった。
「んな事言ってもねぇ…それ以外名案も無いぢゃん?」
 何ら気にした様子も無い遊理は、珍しく難しい顔で突き出した手で拳を作り口元に持っていき「むー」と唸る。
 どうやら彼女なりに考えてはいたらしい。が、あまりに策が無さ過ぎる、と冬真は遊理の猪突猛進思考に呆れる反面、感心していた。ここまでくると脱帽モノだ。
 しかし、それでは即撃墜は免れない…いや、初めから勝機なぞ毛頭無い。どう考えても無謀だ。遊理にも半分以上わかっている筈。それでもコイツは真剣に考えている。放っておくのは簡単だが、だが…本当に放っておいていいのか? てかなんでこんなしょうもない事考えてんだ、俺は?
「…ったく、しょうがねえな」
 なにやら機嫌悪そうに考えた後、冬真は面倒そうに後頭を掻いた。
「お、乗ってくれる、兄弟?」
「おめぇのやり方は見てらんねえからな」
 ニンマリと笑う遊理に、冬真はどこか釈然としないような表情で尚も頭を掻き毟る。掻き過ぎて後ろで結んだ髪が解れだし、無気力そうな顔が更にやる気無さそうなものに見えてくる。
 予想はとうについているのだが、冬真はこの見込みのない馬鹿げた事に、どうしても首を突っ込まずにはいられなかった。それは彼が遊理と親友であるがゆえか、はたまた怖いもの見たさなのか…自分にもわからなかった。
 しかし冬真はこの時点で、既に結構後悔していた…



 一夜明けて、昼食時間。
 冬真は二年四組の教室手前に来ていた。昼食は遊理と同タイム、冬真史上ファーステストラップで秒殺した。啜り餅のように押し込んだ冷飯の異物感がまだ喉に残っているが、気合でどうにかする。御飯と紅茶を同時に口に入れるのはかなり堪える、という新しい発見があったが、今はそれを考えている暇は無い。自分のペースを無理矢理変更してでも、冬真にはやらねばならない事があるのだ。
 意を決して教室に入り、すぐに目に止まった男子生徒の方へ歩き出す。
 噂に聞いていた正体不明の干し肉を、コンバットナイフで切り取りながら口に運んでいるその生徒は無論、宗介である。
「相良…宗介先輩だな…?」
 もはやこの校内で見間違える者など居ない有名人の宗介の目の前に立つと、冬真は思いきり溜めつつ訊いた。この男の前に立つと、その硝煙臭さというか…やたらに緊張した雰囲気からか、思わず表情がこわばってしまう。
 いかんいかん、ケンカをしに来たんじゃない。と、冬真は自分に言い聞かせてなんとか無表情を保つ。
「…ふむ、君は?」
 食事の手を止め、自然な動きでナイフを握りなおしながら、宗介はムッツリ顔のまま訊き返した。小物切り用から、斬りかかり用に素早くナイフを持ち替えるあたり、この男にはまるで隙が無い。それともそこまで冬真を警戒しているのだろうか。『貴様』ではなく『君』と言っているので、本当に斬りかかってくる事は無いだろうが…
「俺のことはどうでもいい、たんなる一年生だ。そんな事より、ちょっと話を聞いてもらいたい」
 宗介に負けず劣らずの無愛想な答え方に、近くに座って状況を観察していた常盤恭子はハラハラした様子で苦笑いを浮かべていた。教室の温度が下がった気がした。宗介に何か関わると、大概教室に居る生徒全てが巻き添えをくうため、皆がおっかなそうな表情を浮かべているのだ。
 ちなみに今かなめの姿は無い。
「…いいだろう。だが、まず名を名乗ってもらおう」
「……八凪冬真、陣コー1年3組、出席番号38番、見ての通りの地味な高校生。ナンなら身長体重計って、視力検査もするか?」
 冷静な宗介に対して、冬真はやたらと機嫌悪そうに答える。普段の冬真であれば、この男にこの手のジョークなど意味が無いという事はわかっている筈なのだが、どうにも今の冬真はそこまで冷静になりきれていないらしく、先輩に対する配慮も考えていない。
「なるほど…では八凪、俺になんの用だ?」
「用って程でもねぇ。ただ、先輩の放課後の予定によるけどな」
「放課後か…時間は空いているが」
「そいつは、よかった」
 怪訝そうな顔で答える宗介に、冬真は目を細めて息を吐き出した。表情こそ硬いが、胸を撫で下ろした様子だ。
「それで、用件は?」
 宗介が核心に迫る。回りくどい話はあまり聞きたくないようだ。まぁこの人らしいか、と冬真は思い、ホッとしたものを頭の隅に追いやった。
「放課後が暇なら、頼みがある。体育館裏に、顔を出してやってほしい」
 冬真の顔はこれまでに無いほど真剣そのものだった。それはもう、真剣過ぎて怖いくらいの形相だった。いつも眠そうな半目は珍しく見開かれており、目つきは悪く厳つい印象があるが、その瞳と顔中に浮かんだ汗は確かに冬真が真剣であろう事を示していた。
「そこに何がある?」
「俺のダチが一人居るだけだ。先輩をどうこうしたい訳じゃねえ。ただ、そいつに会ってくれるだけでいい」
「何のために、だ?」
「行けばわかる。俺からは言えねえ。だが、誓ってあんたに害は無い」
 宗介が訊き返すたびに、冬真の視線は下がり、声は重たくなっていく。何か切羽詰っているような様子である事は一目瞭然だ。他の生徒も、何故か多くがその話を固唾を飲んで見守っている。
「信じろと言うのか?」
 自分なりに精一杯、卑屈をきめこむ冬真に対して、宗介はあくまで疑わしげな態度を崩さない。
「……信じてくれよ。あんた、先輩だろ? 可愛い後輩の願いくらい、気持ち良くきいてやってくれよ…」
 かなり押し殺した声。目元を険しく細めるその姿は、もはや悲痛とも取れる。なんだか込められた何かを必死で堪えている風にも見える。
「ねえ、相良くん」
「む…」
 そんな冬真の姿にいたたまれなくなったのか、すぐ近くで弁当箱を突付く手を止めていた恭子が宗介のほうを見る。その宗介は何やら考えている仕草を見せている。
 しばしの沈黙。
「…わかった。放課後体育館裏に行けばいいんだな?」
 表情を変えぬまま、宗介は口を開いた。冬真の顔が持ちあがる。
「…ああ、絶対…来てくれよ」
 クスリとも笑わずに、冬真はそれだけ言うと足早に教室を出ていった。
 話を聞いていた連中はしばらく冬真の後姿を追っていたが、宗介は食事を再開していた。
「なんだか、悲痛そうになったり卑屈になったり、忙しい人だったねぇ」
「む…」
 独り言のように呟く恭子に、宗介が干し肉を口に運びながら短く答えた。



「すぅ――はぁ…」
 放課後体育館裏。遊理は、もう何度目かの深呼吸をゆっくりと行う。その面持ちは今までに無いほど緊張している。
 梅雨時にしては珍しく、今日は一日中快晴で、植えてあるつつじとアジサイは前日の雨の雫をわずかに残し、夕刻の茜色を吸い込んできらきらと輝いている。
「…ガラにも無く緊張しやがって…」
 遊理から少し離れたつつじの裏側で、冬真はやりにくそうに頭を掻いた。今の冬真は髪の毛をおろしていて、長い前髪が前に垂れていて普段のやる気の無い印象よりも、不良のあんちゃんっぽい雰囲気である。もともとそう見られるのがイヤで、いつも髪を結っているのだが…というか、そこまでするなら普通、髪を切るようなものだが…
 ともあれ髪を下ろしている。その理由は、冬真が面倒事に突き当たったときやイライラしているときに必ず頭を掻くからだ。
(『前例』ん時みたいに、茂みとかには隠れちゃいないみたいだな…何も問題はない。何も問題はないよな…だってのに、なんでこんなイライラしてんだ、俺は?)
 尚も頭を掻き毟りながら、茂み越しに遊理のほうを見る。
 遠くから見てみると、胸に手を当てて深呼吸している、緊張してはいるがどこかわくわくしているような顔をした遊理は、誰か違う女子生徒のように見えた。そうだ、冬真は今のような状況の遊理を見た事がなかったのだ。
 それがイライラしている原因なのだろうか? 考えてみるが、イマイチ答えが出ない。そのもどかしさにまたイライラしだして、また頭を掻く。
(あーもー…何やってんだ先輩は!)
 考えているうちに、当たる対象が微妙にずれてきている。ちなみにまだ六時間目が終わってから、数分と経っていなかったりする。二人ともホームルームはサボっている。この場所で待っている時間を足すと、ちょうど今辺りの時間が、放課後の始まりである。
 冬真は珍しく冷静さを欠いていた。もっとも、遊理の面倒事に関わった場合、ほとんど冷静で居られなくなる状況にはなるのだが…今回は今までの事と、何となく違う気がした。
 いつもは予想だにしない危機的状況から、とっさの判断が利かずに冷静さを欠くのだが、今回は胸焼けがしそうなほど気分が落ち着かない。
「あっ…」
 と、いい加減、考えに考えて知恵熱が出そうになったちょうどそのとき、茂みの向こうの遊理が小さく声をあげた。こっそり覗いて見ると、どうやら宗介がやってきたらしい。遊理の顔が、遠くからでもわかるほど赤くなって、いつもの勝気な印象はどこへ行ったのか思いきり地面を見つめる。
 対する宗介も落ち着かない様子で、何やらしきりに時計を気にしている。
「なるほど、八凪の友人というのは君か」
 時間を気にする素振りをわずかに見せながらも、冷静な顔、口調で宗介は遊理に確認を取る。
 遊理は舞い上がっているのか、何も言葉を発せずにこくこくと頷くだけである。
「すまないが、手短に頼む。用事ができたので、なるべく早くこちらの用件を済ませたい」
「は、はひ…あの、え〜と…」
 遊理は気の毒なほど呂律が回っていなかった。自分でも気付いたのか、思いきり頭を振って頬を両手で思いきり叩いた。彼女なりの気合の込め方なのだろうが、その顔はさっきにも増して赤くなっている。
「え、え〜とですね…あの…あたし…す…ス…」
 頭を持ち上げて、小柄な身体を精一杯伸ばして言葉を紡ごうとするが、肝心なところで言葉が止まってしまいまた俯いてしまう。
 一方冬真は、遊理のそんな姿に見入っていた。三年ほどの付き合いの中で、一度もそんな考えがよぎらなかったというのに、ほとんど彼女を女性と考えていなかったというのに…不覚にも冬真は、今の遊理を『可愛い』と思ってしまったのだ。
「ス――」
 もう一度頭をあげた遊理に、止まりかけた冬真の思考が回復する。が、次に何か考えようとする前に、遊理が喋る方が早い。
「…スティーリーダンのニューアルバム、どう思います!?」
 思いきって口走った遊理の言葉は、緊張のためかてんで的外れなものだった。焦りかけていた冬真も思わず茂みに頭を突っ込んでしまった。真正面でそれを聞いた宗介も、おもいきりキョトンとした顔を浮かべている。いきなりスティーリーダンがどうの、とか言われても反応できる人間はあまり居ないだろう。
 ちなみに『スティーリーダン』といっても一人なわけではなく、ユニット名であることはあまり知られていないとか…
「あれ? え〜と、こんなんじゃなくて…」
「…用はそれだけか?」
「あ、いえ、違うんです! 次こそ、必ず言ってみせますから…」
 遊理は見ていて哀れなほど慌てふためき、ここだけは普段のハイテンションの頃みたく謎の仕草を繰り返す。それはもう、傍から見れば薬物中毒の禁断症状に見えるほど。きっと宗介も似たような類を想像しているに違いない。
(何をやってんだよ、あいつは…)
 いつのまにか植え込みから頭を引き抜いた冬真が、現場の煮え切らない空気に眉をひそめ、また頭を掻きだす。
 と、なかなかことが進まない状況にまたイライラしてきた冬真の視界に、別の人物が映った。正確には人物達。冬真風に言えば邪魔物。『者』ではなく『物』なのがポイントである。
 冬真の居る位置からは、校舎裏のほぼ全体を見渡せて、校舎のかどから校門側の遠くが見れる。つまり、校舎裏に誰か来るのが一番最初に目で確認できる位置である。
 そしてそいつらは校舎に沿うように、三人で並んで歩いてきている。着崩した制服にジャラジャラと飾った金属のアクセサリー。同様に頭も賑やかな…一目で『ワルいお兄さん』というのがわかる。
 何をどうこう考える前に、冬真の体は動いていた。宗介達の視界に入らないように茂みから這い出て、不良達の前に立ちはだかる。
「わりぃけど通行止めだ、お兄さん方」
 両手を軽く広げて、冬真は冷静な声で言った。愛想笑いと、一応先輩に対する配慮も忘れない。
「ぁん、誰だてめぇ?」
「ナニ君、僕らとアソびたいワケ?」
「ニク…お前、骨」
 三人それぞれ冬真を睨んでくる。中背とノッポとデブ。三人目のデブの発言は取り敢えず無視して、残りの二人を睨み返した。
「ま、グダグダ言わずに、とっとと俺の目の前から消えろってことだよ、先輩」
 挑戦的な顔で三人を睨みつつ、勝ち誇ったような笑いを浮かべると、不良3人は早速カチンときたらしく片眉が一気につり上がった。
「あぁ!? んだてめぇ、コラ!? ケンカ売ってんのか、コラ!?」
「てめぇ、モテ出ろ、モテ!!」
「ぼ、ぼくは、オニギリが…」
 今にも掴みかからん勢いの三人に、思わず「いちいち『コラ』付けんでも…」とか「モテはここだろう」とか突っ込みたくなったが、それはどうにか抑えて、冬真も戦闘体勢に入った。例の如く3人目は無視である。
「へっ、デリカシーってモンを教えてさしあげるぜ、先輩よ…」
 微妙に崩れた呟きをもらして、冬真は不良三人にむかって飛び込んだ。
 空は一面、茜色。青春をやるにはもってこいである。だから誰しもそういう気分になるのかもしれない…



 十数分後…荒い息を肩でととのえながら、冬真は校舎の壁に手をついた。
 口の中には苦い鉄のような血の味。腫れた右瞼と左頬。腹にも幾つかキレイなのをもらったため、気分が悪い。彼にとって、さっきの戦績は最悪だった。武道などではなかったが、闘う術を知り合いから教えてもらって以来、基本的なコトは毎日やってきた。本当ならここまでてこずるような相手ではなかったはずだ。だが、理由はハッキリしている。
(ったく…向こうが気になって、マトモに集中できねぇでやんの…)
 だん、と壁を叩いて苦笑する。こんなことで気が揺れる、己の未熟さ加減にか。それとも怪我してまで遊理を手伝おうとする付き合いの良さにか。どちらにしろ、自分が空回りしているらしい事には変わりなかった。
(さぁて、定位置に戻るか…)
 息も整ってきたところで、宗介達を確認しようと校舎から顔を出した。
 と、そこにはもう宗介の姿は無く、一人、ただ立っている遊理の姿だけがあった。
「なんだ、もう終わったのか…?」
 一人呟いて、少しつまらなそうに遊理の方へ歩いていく。お茶を濁されたか、それとも体裁良く…考えかけて止めた。
「よぉ、どうだったよ?」
 何となく暗い予想がよぎったため、明るめな調子で声をかける。が、返事が無い。ただわずかにピクリと反応しただけで、あとはわずかに肩を小刻みに揺らしているだけ。
 最初は、泣いているのか? と考えた冬真だったが…
「…なっはっはっはっはっはっ!!」
 いきなり顔を上げて大声で笑いだした遊理に、冬真の考えは即座に吹き飛んだ。それどころかいきなりの事で、思わず半歩分飛び退いて心臓を抑えていた。心臓がバクバクいっている。ビックリ箱をあけたらいきなり拳銃が飛び出してきたような感じだ。
 ひとしきり腰に手を当てて笑うと、遊理は思いきり溜め息をつくとカクンと肩を落として、冬真のほうを振り返った。
「だみだこりゃ…」
「あ〜、やっぱし」
 ほとんど泣き笑いのような表情を浮かべて、また大きな溜め息をつく。つられたように冬真も思いきり肩を落とした。
「なんかも〜、全然眼中に無いって感じかなぁ…まぁなんていうか、つまりぃ、惨敗?」
 誰が聞いても明らかなほどの空元気で、しかも溜め息混じりに言うと、遊理はまた大声で笑い出した。
「まぁ、なんつーか…今日は奢るわ。ユーリに乾杯」
「あはは、ありがと。ついでに、ちょっとハナシ聞いてもらえると嬉しいんだけどなぁ…?」
「あ〜、わかったわかった。愚痴だろーが恨み節だろうが、存分に聞いてやるよ、今日は」
 まるで死人のような視線を向けてくる遊理に、冬真はやりにくそうに苦笑する。ここまでダメージを受けている遊理を見るのは冬真も初めてだった。真面目な顔で落ち込んでいるところは、何度か見た憶えがあるのだが、ここまで狂ったように落ち込んでいるのを見たことはさすがになかった。
「やっぱさぁ…」
 冬真に背を向けると、唐突に遊理は真面目な声で喋りだした。
「アレだけ強い人だとさぁ…あの、ケンカだけはバカみたいに強い兄貴の影、重ねちゃったりするんだよねぇ…」
 明後日の方向を向いたまま、遊理は独り言のように呟いた。まるで夢でも見ているかのようなゆったりとした口調。いつもの遊理からは考えられないものだった。冬真は黙って聞いていた。彼もなんとなく、『らしい』とは思っていた。
 遊理の兄の事…玖珂悠弐のことは、冬真も知っていた。というより、冬真に闘い方を教えたのが、なにを隠そう彼だったのだ。そこそこの長身、陽気な性格と笑顔、自由を愛し、他人に羨望を持たせるほどまでに自分勝手な男。遊理の二人の兄のうち、遊理が一番影響を受けたとすれば彼であろう。
 冬真もそんな玖珂悠弐という男が好きだった。だからこそ、遊理の気持が何となくわかるのだ。
「はぁ…なにやってんだろーなぁ、バカ兄貴…」
 呟いたあとに俯く。オレンジ一色だった空は、いつのまにか厚い雲に覆われており、なんともタイミングよくぱらぱらと雨が降ってきた。
 そんな空を見上げて再び視線を戻した冬真は、なんとなく遊理のそれに気付いた。
「…泣いてんのか…?」
「ん…なワケないじゃん」
 冬真の言葉にあからさまに大きく反応して、鼻を啜りながら震える声で答える。遊理は、勿体ぶる性格ではあるが、隠したい嘘が下手な人である。もちろん冬真はそれを知っている。それで時々からかったりしたものだっだが、今回は止めておくことにした。
「そーか」
 なんとも素っ気無い言い方。そっとしておくためには、下手に何か言うより味気ない方がいい。冬真はそれきり黙った。
 雨の降りが増してくる。制服が濡れて肌に張り付いてくるのが、気持悪くもあり涼しくもある。
「…皆には黙っててよ…トーマ?」
「泣いてた事か?」
 まだ落ち着ききっていない口調の遊理に、冬真は軽い調子で聞き返す。
 遊理は答えない。会話が途切れて、雨音が大きくなる。
「トーマには、見られたくなかったんだから…」
「ま、笑いのネタにするだろーからな」
 右腕で顔を拭って顔を上げると、今度はハッキリとした声で言った。後ろ向きのままだが、それで持ち直したというのがわかった。ようやく冬真も、冗談を飛ばす。
「バカ」
「へっ」
 背中の向こうで遊理が笑ったのを悟ると、冬真もハッキリとした笑顔をつくった。
「さて、そろそろ中入んねぇとな…いい加減、気持悪くなってきたし」
 そう言うと、冬真は遊理の手を引いた。別段驚かずに、遊理も苦笑しながら歩き出す。
「相変わらずデリカシー無いね、トーマは」
「そんなモンじゃ、腹は膨れねえからな」
 雨はやっとどしゃ降りになろうというところだった。
 雨の中、久し振りに握った遊理の手は冷たく、昔よりも小さく細く思えた。冬真は降りしきる雨の中、何故だか顔が熱い気がしたが、すぐに自分が今しがた殴り合いをしていたことを思い出した。
 そして思うのは、ただ一つ。
 さっさと、この鬱陶しい季節が終わらないものか、と。



■後書■
 どうもこんばんわ、駄文書きこと未渡軌一です。
 いやぁ…前編をつくってから早、二ヶ月ちょい……すいませんでした(土下座)
 たかだかこんな程度の文章を書くのに、何を二ヶ月以上もかかっとんねん。とかいう方も多かろうかと…え、期待してない? ふんだ、どうせ私なんか…(省略)…
 まぁ、コレは置いておいて…え〜、お楽しみ頂けたでしょうか…というのは別にいいや。どうせ私なんか…(略)…
 書くのも読むのも鬱な物語でしたが、私としてはかなり頑張った方でしょうね。表彰状あげたいような気分すらあります。
 クレーム多々あると思います。まずカナメがほとんど出てこない。後半においては影も形も無し。
 学園物において、宗介が出る以上、カナメも出すのがいわば常識のようなものだったわけですが、私、カナメ嬢を書くのは死ぬほど苦手でして、キャラが崩れる事請け合いだったので、出さないほうが見のためと判断して出しませんでした。
 だいたい宗介だけでも苦労がチョチョ切れる(間違い)というのに…
 さて、今回の話、バカネタやマニアックネタの応酬だった気もしますが、簡単にまとめれば『南からきた男』をもう一度やっただけのハナシなのですねぇ…それをオリキャラでやっちゃおう…というだけの、何てこと無い話なのですな。
 良いんですよ。どうせ私なんか…(略)…
 いやぁ、よくぞここまで私のバカネタに付き合ってくださいました。もしかして途中で飛ばした人もいるのでは?
 ともあれ御苦労様でした。私含む。
 では、そろそろ失礼をば。未渡軌一でした。
 でわでわ
 2003年6月16日


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