ORACULAR‐WINGS■ |
■明日へのワン・ステップ■ <プロローグ> |
8月8日 静かな音を定期的に響かせながら、線路上を走る電車。 車内の乗客はまばらで、空席もいささか目立つ。 窓の外から見えるであろう景色は、快晴の青空に光る太陽の陽射しを受けながら、ただ流れに流れている。 ――季節は夏。 初夏でもなく晩夏でもない、真っ盛りの夏。この季節の気温を一言で表すなら、やはり『暑い』だろうか。その暑さはこの季節を何回過ごしても相変わらずで、照りつける太陽の容赦の無さもまた相変わらずである。 この電車の中は冷房が効いてはいるが、外に出ると酷な暑さがまたその身にぶり返してくる。これを憂鬱に思う者も少なくないだろう。 「…………」 だが、今、電車内の空席の一角に座っているこの少年は、そんな気分を微塵と感じさせていない。窓の外に流れている景色を一点に見つめる漆黒色の双眸はどこにも憔悴した様子もなく、ただ、暑さとは違った意味で少し上の空と言った感じだ。 『間もなく、二神(ふたがみ)〜二神〜……』 と、聞こえてくる電車内のアナウンス。その駅は、もうすぐこの電車が辿り着く駅の名前である。 そして、この少年――鐘鳴江笊が降りるべき駅でもある。 「……着いたか」 誰にも聞こえない独り言を放ち、江笊は席から立つ。荷物の入った大きめのバッグを肩に担いで、電車の揺れにバランスを取られることなく出口へと歩き出す。 出口の側に立ってから、ほどなくして、 『二神〜二神〜……お忘れ物のないよう、ご注意ください。なお、駆け込み乗車は――』 電車が停まるべき位置に停まった。 車内やホームで響いている駅員のアナウンスを軽く聞き流し、江笊は停車した電車を降りる。もわっとした暑さが自分の身を包んできたが、それを気にするでもなく、人もまばらな階段を下りて駅の改札を抜ける。途端に、やけるような夏の陽射しとセミのうるさい鳴き声が、駅の建物を出る彼を出迎えた。 「……ふむ」 自分が着ているシャツの背中に滲んでいる汗と、うるさく響いてくるセミの鳴き声に少しだけ鼻を鳴らしつつ、江笊はバッグを片手に歩いて駅前の広場に出る。 すると。 そこに、自分の知っている女性が立っているのに、江笊は気付いた。 「久しぶりだな、江笊。一年ぶりか?」 女性が厳かな声で言ってくる。これに、江笊も同じように静かな声で答えた。 「ああ、久しぶりだ、士乃殿」 「聞いたぞ、先日、奥義を会得したそうではないか」 「おかげ様でな……」 軽い会話を終えると、士乃と呼ばれた女性は微かに目を細めて微笑した。江笊もそんな女性の笑顔を見上げつつ、少しだけ苦笑を浮かべる。 背は江笊より十数センチほど高い。背中に流れる長い黒髪は水晶のような艶を放っており、少しきつい感じの黒色の双眸には意志の強そうな光が灯っている。線の細い整った顔立ちをしており、恰好によれば男にも見られそうだが、今は白色のブレザーに青の蝶ネクタイ、紺色のスカートと言った高校の制服姿なので、雰囲気的にはまだ女性然としている。 どうやら、学校帰りからそのままここに来たらしい。 ――彼女の名は差音士乃(さおと しの)。 江笊が継承している剣術流派『豪槌流剣術』と対を成す歴史無名の少数剣術流派『術式刀武流』の継承者である女性である。……『女性』と言っても、実際彼女は自分より一つ年上で、本当は『少女』と表現するのがまだ正しいのだが、その風貌で大人の女性とは何ら変わりはないだろうと言うのが江笊の見解である。 「しかし、午後二時。待ち合わせの時間よりは、まだかなり早いぞ?」 士乃が腕時計を見ながら、その微笑を揺らすことなく口を開く。江笊も何気なく時計の時間を見て、また少し苦笑した。 彼女との待ち合わせの時間より二、三〇分ほど早かったからである。 「別に。こんなに、早く来るつもりはなかったのだが……」 「ふ、無理もない。今日は、おまえにとっては忘れられない日なのだからな」 冷やかすような士乃の声。だが、その声の中にも抑えているような何かが隠れているのを、江笊は聞き逃していない。 その理由はただ一つ。 「士乃殿。あなたも、だろう」 「…………」 江笊が放ったその言葉を最後に、士乃は微笑を止めて、元の厳かな表情になる。 そしてしばらく二人の間で沈黙がおとずれ、この場には、未だに激しく鳴いているセミの声だけしか響かなくなっていた。 ……そう。 二人の言う通り。 今日は、自分にとっても彼女にとっても、生涯忘れられない日なのだから。 続く長い沈黙。 だが、それを破るかのように、二人はわずかに表情を和らげた。 ほぼ同時に、それでいて本当にわずかに……間の空気が緩やかになっていく。 「……黙っていても何も始まらない。行くか」 「……そうだな」 沈黙を破った会話はただそれだけ。 そしてそれ以上何を言うまでもなく。 鐘鳴江笊と差音士乃は、駅前の広場から歩き出した。 彼らにとって、大切な者が眠る地へと……。 |
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