ORACULAR‐WINGS■ |
■その西部方言は亜流にあらず■ <前編> |
その再会は、なにかとてつもない大きな『意味』を含んでいるようで……正直、わたしは嬉しかったんだと思う。 庭先で見つめる夜空は、とても暗かった。星の輝きも薄く、月は完全に雲に隠れてしまっていて見えない。 それでも優香は、飽きることなく空を見上げた。 「優香さん」 背後から声。 振りかえると、そこにはひとりの少年が立っている。優香とは色違いの、青いサンダルを履いた少年。庭へ出る大窓の下には、サンダルは一足分しか置いていなかったので、恐らくは玄関先にあったものをわざわざ持ってきたのだろう。 「なんや淳平くんか。どないしたん?」 軽く微笑む。淳平と呼ばれた少年も、笑い返してきた。 「優香さんこそ、何してるんですか? こんなところで」 「いやぁ……ちょっと、酔い覚ましや」 「酔い――って、飲んだんですか? お酒」 驚きからか、淳平の声が少し上ずっている。優香はカラカラと笑って、 「冗談やって。あたし、不良とちゃうしー?」 皮肉るようなしぐさで、首をかしげて見せた。 「……高校入ったら、たぶんそうゆう機会にも恵まれるでしょうから、いまのうちに馴れておくのもいいかましれませんね」 その言葉にも、優香は実に楽しそうに笑う。 今日は本当に、楽しい夜だった。普段に比べ、気分が高揚しているのが自分でも良く分かった。 一〇年以上を過ごした土地を去ったことが、見知らぬ土地に移り住むことが、そして、この幼馴染との再会が――それら全てが、その他いろいろが、理由となって、この気分を作る。 優香は、淳平の顔をまじまじと見つめた。 「それにしても、ほんま変わらへんなぁ、淳平くんは」 彼女の目線が細くなる。どこか遠くを見る目で、彼女は言った。 「そ、そうですか? ちょっとは背も伸びたと思うんですが……」 「そうやなくって」 笑いながら、彼を指差す。 「その、バカ丁寧な敬語」 「……ああ」 「一コしか違わへんのやし、別に赤の他人ってわけでもないし、タメ口でもええで?」 淳平は、気恥ずかしそうに後頭をかいた。 「いや、まぁ、親が礼儀にうるさいかったもので。『目上の者は敬え』って」 「……確か、幼稚園ときからもうすでに敬語やったもんな」 「もう、馴れですかね」 そう苦笑いをこぼしてから、彼はごく自然に優香のとなりに並んだ。 そして、さっきまで優香がそうしていたように、夜空を見上げる。 「キレイですねぇ」 優香の目が、少しばかり大きくなった。 「キレイって……どこがやねん。雲ってるんやで?」 と、”心にもないこと”を口にする。 「夜はね、いつでもキレイなんですよ」 ――どきりとした。 思わずその言葉に聞き入り、その横顔に見入った。 「澄みきった空。宝石のように輝く星々。まるで、空に穿たれた穴のような月。そんなのも、確かにキレイで素敵ですけど……こんな、何もかもをすっぽり覆い尽くすような、混沌とした夜空だって、ボクはキレイだと思います」 「…………」 それは、さっきまで優香が抱いていた思いとまったく同じ思いだった。 それなりに真面目な顔で語った淳平は、唐突に表情を崩す。苦笑いを、無理やり笑いに変えたような顔つき。そして、笑いを含んだ声で言った。 「あ、はははは、な、なんか恥ずかしいこと言っちゃいましたね。やー……どうしたんだろ、ボク。いつもは、こんなキャラじゃないんだけど――」 「あたしもな」 優香は静かにつぶやいた。心静かに。 「あたしもな、キレイやなって思って、見ててん」 この夜空を――本当に、キレイだと――そう、確かに感じて。 「そう、です、か……?」 驚いたと言うより、呆然としたような声。 優香は再び夜空を見上げる。淳平も、つられて見上げた。 そこには、世界を包むような暗闇。 だがそれは、見る者の心を押しつぶそうとするような重い闇ではなく、どんな慟哭も悲哀も、全て受けとめてくれるかのような――そんな、優しさにも似た闇だった。 「あ」 と、淳平が声を上げる。 そして、優香の方を向いて言った。 「そう言えば、父さんとおじさんに、優香さん呼んで来いって言われてたんだ。まいったな、そのこと言うのすっかり忘れてた」 優香も目を合わせ、キョトンとした表情で、 「? なんでや?」 「さぁ? ボクも一緒に呼ばれてるんですよね。なんでも、『二人に話がある』とか」 「なんやろなぁ? ……まぁ、行ってみればわかるか」 彼女はつまらなさそうに息を吐いて、背後に建つ家の、大窓へと戻って行く。 そして―― 「これから、まぁよろしくな」 一瞬足を止めて、そう言った。 「はい、優香さん」 淳平は、にっこり笑って彼女のあとについて行った。 その再会が、なにかとても大きな意味を含んでいるようで……正直、わたしは嬉しかったんだと思う。 だがまさか、正直”こう”くるとは思っていなかった。 いやはや、運命とは皮肉なものだ――。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 「うっ――ぁ……!?」 鼓膜を襲った痺れるような痛みに、その女子生徒――谷崎優香(たにざきゆうか)は慌てて片耳を塞いだ。 「な、なんや?」 周りには、何人かの生徒が彼女と同じように耳を押さえたり、訝しげにあたりを見まわしたりしている。 ここは、陣代高校のとある教室前の廊下。朝のチャイムがなる一〇分ほど前の時間、校舎内に突然轟音が鳴り響いた。 「花火みたいな音やったけど……あ、そうか、”あいつ”か」 チッと軽く舌打ちをして、彼女は手のひら――というより、手首の部分で、耳をこすった。 長髪で、女子にしては少し背が高め。ほっそりした顔にフレームの細い眼鏡をかけており、その奥にある両眼は、切れ長で、微妙に吊りあがっている。 彼女は、廊下の角を曲がってやってきた、同じクラスの男子生徒に近寄って声をかけた。 「なぁ、なんかあったん?」 「ああ、相良のやつだよ。何かまた、爆発とか爆破とかしたらしいぜ」 「あ、やっぱりな……」 優香は細い目をさらに細め、あきれたようにため息をつく。 「あいつも懲りへんなぁ。日本来てもう結構たつんやから、ええ加減学んだらええのに」 「無理なんじゃねぇの?」 男子生徒は肩をすくめて、軽い口ぶりで言った。 一瞬考え込んだふうにしてから、優香は、 「……そやな、なんやそんな気がするわ。ま、わたしがいつまでたっても標準語しゃべられへんのと一緒やな」 「いや、しゃべり方と同じにするなよ……」 「カナメも可哀想に。結局、あのコがいっつも尻拭いやん」 そう言ってから、彼女はふと思い立って、耳を澄ませてみた。 遠くから――誰かしらが、怒鳴り散らすような声が聞こえてくる。 「――……だいたい! あんたはそうやっていつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつ――――!!」 優香は腰に手を当てて嘆息した。 「……やっぱ、可哀相やわ」 「まぁ、学級委員だし?」 やはり軽薄な口調で、男子生徒は言った。 朝からこってりと説教をかました『学級委員』は、昼休みの時間になっても機嫌悪そうなままだった。 「もう許してあげたら? カナちゃん」 かなめの前の席に座った恭子が、苦笑しながら言う。 「…………」 ブスッとした顔つきのまま、かなめは黙って弁当箱のおかずをつまんだ。 その彼女の横に、一人の男子生徒が立っている。かなめの不機嫌の原因、相良宗介だ。肩を落としうつむいて、時折ちらちらと彼女の方に視線を投げ掛けたりしていた。 その彼の横には、優香が立っている。宗介と同じく、こちらもうなだれたような姿勢であったが――彼女の場合は、単なる猫背である。 優香は、気安いしぐさで宗介の背中をポンと叩いた。 「おら。あんたもヘコんでないで、何か言いや。キョーコに任せっぱなしでどないすんねん」 宗介は、目元にしわを寄せて力なくつぶやく。 「いや、今朝から謝罪は続けているのだが……効果がまるでない」 まるで、『もはや許しを請うのはあきらめた……』と言わんばかりだ。 優香は半眼になって、ため息のような息を鼻から吐いた。そして、強い口調で言い放つ。 「それでも、言うんや。そういうもんやろ?」 宗介は、あいかわらずどよよんとした雰囲気でいたが……何か感じ入るものがあったのか、ゆっくりとではあるがうなずいて見せた。 「……そうだな」 それから、覗き見るようではなく、今度は真っ直ぐにかなめを見据える。 その視線に気づいていないはずはないだろうが、かなめは黙って弁当を食べ続けた。おそらく、彼を無視しているのだろう。 宗介の額に薄っすら脂汗が浮かんだ。一瞬躊躇の色を浮かべたが、彼は怖じける心を何とか奮い立たせて言った。 「……その、何度も言ったが、今朝のことは本当にすまなかった。俺の、勘違いだった。その――すまん、許してくれ」 首の部分だけを折るような、おじぎ。 ――たっぷり、一〇秒は間を空けて、 「………………別に、あたしだけに謝ってもらってもしかたないんだけど? 迷惑かけたのは、あそこにいた全員でしょ?」 あいかわらず顔は向けずに、声だけをかなめは冷たく言い放つ。 「むぅ……」 宗介の顔つきはさらに引きつったものとなった。 「カナちゃん」 恭子が言う。名前を呼んだだけのものだが、少しとがめるような響きがあった。 『うん?』と、かなめは恭子を見つめる。 恭子の、それなりに強い視線が返って来る。『めーっ』と言わんばかりな、どこか愛嬌もある視線ではあったが…… 何となく居心地悪くなって、かなめは、ちょっとバツの悪い顔になった。 「……わかった。言い過ぎたわよ」 小さくため息をつく。同時に、彼女から棘々しい雰囲気が消えた。表情も、余分な力が抜けたようなものになる。 彼女は、完全には向き直らず横目でだけで宗介を見るようにして、言った。 「もう、いいよ……。ま、今度からは気をつけるようにね」 「すまない」 宗介は、今度は深々と頭を下げる。それは、おじぎというよりむしろ安心からくる脱力のようだった。実際、そうなのだろう。 「勘弁してもらえてよかったやん。まぁこれで、あたしらも気まずい思いせんですむわ」 なにせかなめは、クラス内のムードメーカー的存在である。彼女が不機嫌だと、自然とクラスの空気も重苦しいものになるのだった。 「しっかし、カナメも相良の尻拭いでご苦労やけど、キョーコもまぁ毎度毎度、二人の仲取り持ってご苦労やなぁ」 「え? そんなことないよ」 照れたふうに笑って、恭子が言った。 「これで二人がもうちょい素直になってくれたら、あんたの苦労も軽減されんやろになぁ」 「あ、それはそう思う。カナちゃんたちって、なかなか進展しないよねぇ? ホント、煮え切らないんだから」 やれやれ……と言わんばかりにため息まじりで、優香と恭子は肩を竦める。 「ちょ……ちょっとちょっと! 待ちなさいよ」 慌てた様子で、かなめが立ち上がった。 「誰と誰が、その……煮え切らないって? いっとくけど、あたしは別にソースケのことなんて……」 『ことなんて?』 優香と恭子が、異口同音に言う。 かなめは、思わず声を詰まらせてしまう。そして、ちらりと宗介の顔を盗み見た。 「……いったい、何の話だ?」 まったく話の内容を理解していないのか、むっつり顔に眉根を寄せて、宗介は一人訝しげにしていた。 かなめは、ホッと小さく息をつき―― 「と、とにかく! あたしとソースケは全然そんなんじゃないのよ!」 真っ赤な顔で、優香らに言った。 「へぇ〜? そーなん?」 優香は、にんまりと底意地悪そうな笑みを浮かべ、腕組みなどする。その笑顔は邪悪そのもので、まるで、世界征服を企む悪の秘密結社の女幹部のようだ。 「あ、あんたね……!」 と、そこへ。 「ユーカぁ〜」 少し離れた席から、クラスにいた女子が声をかけてきた。 ふと、優香がそちらへ振り向くと…… 「うげっ!?」 『うげぇ……?』 かなめたちは、瞬間冷凍されたかのように固まった優香をいぶかしげに眺めて、それから彼女の視線の先に目を向けた。 教室の席。右前の一角に何人かで集まっている女子生徒。そのうち一人が、こちらに向かって手を振っている。優香を呼んだのはこの生徒だ。 その彼女が、言った。 「戸坂くんが、来てるよー」 少し、笑いを含んだ声。見れば、たむろっていた他の女子生徒らもクスクス笑いをこぼしていた。 教室の入り口付近に、ひとりの男子生徒が立っている。 少々小柄な体格に、ふわふわした頭髪。特にどうということのない表情でいるが、どこか力の抜けたような顔立ちのせいで、微笑んでいるようにも見えた。 と、その彼が、意図した微笑を浮かべて言った。 「優香さーん」 声量はそれほどではないが、高く、よく通る声が優香たちに届く。 かなめは、固まったままの優香に向かって、さきほど彼女に向けられたような意地の悪い笑顔で言った。 「どーしたの? ”彼”が呼んでるよぉ?」 途端に硬直を解く、優香。彼女は、一瞬かなめを睨みすえて、そして、 「優香さぁん。お昼、まだですか? よかったら、これから一緒に――」 脱兎のごとくその生徒――戸坂淳平(とさかじゅんぺい)に駆け寄り、その腕を掴んで、なかば引きずるようにして教室を出ていった。 「……は、はやーい」 「うむ。たいした脚力だ。相変わらず、彼女の咄嗟の運動能力には、目を見張るものがあるな」 恭子と宗介が、それぞれの言葉で感想めいたものを漏らす。 かなめは半眼になって、椅子にもたれかかり、 「ヒトのこと、言えないじゃないの」 と、宗介らには聞かれないよう、小声で言った。 「どーゆうつもりや、お前はぁ!? ああ!? 二日にいっぺんくらいは教室来おって!」 胸倉を掴み上げ、彼の背中を体育館の外壁にうちつける。 淳平は、少しだけ顔をしかめてから、はははと半笑いになって言った。 「いえ、だいたい三日に一回くらいのペースですよ?」 「どっちでもええわっ!」 ここは、体育館の裏手。普段から、あまり人気のない場所で、それがゆえに優香は彼を引っ張ってここまで来たのだ。人目のない所で、たっぷりと言って聞かせてやるつもりで。 「もう何度も言うたと思うけどなぁ、教室には来るなって言うたやろが」 「ああ、ええと、はい。言われました……何度も。けど、その、ええと……」 迷いをあらわにして、『あの』や『その』を連発する。これ以上ないくらい、何かを言い出せずにいているのが分かった。イヤミなくらいに。 「……なんや?」 苛立たしげに、優香が促す。 と、 「なんで、教室を訪ねたらダメなんですか?」 「…………」 ぎろりと彼女は目つきを鋭くした。 それでも、淳平は言葉を紡ぐ。 「その、俺も、何度も言ったと思いますけど……その、なんで俺、優香さんの教室に行ったらダメなんでしょうか?」 彼との身長差は限りなくゼロに近いため、目線はほとんど平行に絡み合う。そして、どれだけ睨んでも、彼はその絡みを自らほどこうとはしなかった。 ――ふと、優香の瞳が波を打ったかのように揺らぐ。 その揺らぎは、一瞬で消えた。 「…………まぁ、ええわ」 彼女は、手を緩めて、彼から離れる。 拘束を解かれた途端、激しくせき込む淳平。 優香は、そんな彼を黙って見つめた。さっきまでの怒りのこもった目ではなく、静かな目で。だがそれは、単に怒りの正反対というだけだ。温度は高くはない代わりに、今度はとてつもなく低い――氷のような、冷たい目。 そんな目に、気づいているのかいないのか、淳平は萎縮することもなく言ってきた。 「なにが、いいんでしょうか? 教室に来てもオッケーってこと?」 せきをしすぎたせいか、ちょっと涙目になってはいるが、あの、いつも通りの、わずかに微笑を持った顔つきで。 優香は小さくかぶりを振って答える。 「ちゃう。そんな意味やない」 「じゃ、どういう意味ですか?」 彼女はその言葉を思いきり無視して、 「とにかく、あんま馴れ馴れしくせんといてくれたら、それで文句はないんや」 自分としては、それは、何か絶対的で決定的な言葉のつもりだった。 なのに彼は、お気楽な様子で、その言葉を思いきり無視して…… 「あ、それで、昼メシは――」 「もう食った」 そっけなく答えると、優香はその場を足早に去って行った。 淳平に背中を見せ、歩き出す。 彼の視線を背中に感じ、それを全力で無視していると、顔が”引きつるほどに”無表情になっていった。 正直、表情をなくしているのは苦しい。ダルい。つらい。 体育館の角を曲がって、淳平からは死角の位置に入った。途端に、ため息が漏れて、無表情は崩れた。 その場で、彼女は思わず立ち止まって―― 「……だいたい、いまどき許婚て――どこの異世界の物語やねん……」 小さく悪態をついた後、再び歩き出した。 |
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